ロンドン在住ライター・宮田華子による連載「知ったかぶりできる! コスモ・偉人伝」。
名前は聞いたことがあるけれど、「何した人だっけ?」的な偉人・有名人はたくさんいるもの。知ったかぶりできる程度に「スゴイ人」の偉業をピンポイントで紹介しつつ、ぐりぐりツッコミ&切り込みます。気軽にゆるく読める偉人伝をお届け!
【INDEX】
- マリー・アントワネットってどんな人?
- 「パンがなければお菓子を…」は彼女の言葉ではない!?
- 「お菓子を食べれば…」と言ったのは誰?
- この言葉が広がった理由
悪女?
それともただの世間知らず?
斬首台に消えたマリー・アントワネット
フランスの歴史上の人物として、圧倒的な知名度を誇るマリー・アントワネット。「フランス革命で斬首された」のは知っていても、ここに至るまでの道は案外知らない人も多いはず。
マリー・アントワネット(1755年11月2日~1793年10月16日、誕生名はドイツ語読みで「マリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハンナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン」)は、神聖ローマ帝国の中の1つ、オーストリア公国のウィーンにて、フランツ一世とマリア・テレジアの第15子(第11女)として誕生しました。
とにかく子だくさんの夫妻でしたが(16人誕生)、成長した娘のうち、1名(修道院長に就任)を除き、全員が国の安定を目指した政略結婚をしています。マリー・アントワネットもフランスとの同盟関係を強固にするため、当時フランス王太子であったルイ16世(1754年8月23日~1793年1月21日)と1770年5月16日に結婚しました。
新郎15歳、新婦14歳の若きロイヤルカップルの結婚生活は、最初は順調ではありませんでした。“後継者を産む”プレッシャーをかけられたものの、なかなか子どもが誕生せず、わざわざオーストリアから実兄がやってきて子作りにまで介入したほどでした。
その後、祖父であるルイ15世の崩御により、ルイ16世は1775年に王に即位。マリー・アントワネットは王妃となります。
フランスはアメリカ独立戦争に参戦(アメリカ側)していたため、国庫は火の車。しかし王侯貴族は贅沢な暮らしを続けていました。増税の負担や小麦の不作による貧しさ、そして不平等な封建制度に耐えかねた市民の怒りは爆発し、1789年7月14日、フランス革命が勃発しました。
ルイ16世とマリー・アントワネット、そして2人の子どもたち(二人の間には4人の子どもが生まれましたが、内2人は革命時に既に死亡)はタンブル塔に幽閉されました。ルイ16世は1793年1月19日に死刑判決が下され、2日後の1月21日にギロチン斬首によって死刑執行。
マリー・アントワネットも情報漏洩や贅沢罪、息子への虐待の罪(※諸説あります)で1793年10月16日午前4時頃に死刑判決が下され、その日の午後12時15分、ギロチンにより処刑されました。37歳の生涯でした。
残された子どもたちの内、唯一成人したのは第一子(長女、1778年12月19日~1851年10月19日)のマリー・テレーズのみ。
革命後、彼女は母方の実家オーストリアで育てられ、ロンドンに亡命中だった伯父ルイ18世と結婚。子どもを残さなかったため、マリー・アントワネットの直系の子孫は存在しません。
「パンがなければお菓子を…」は
彼女の言葉ではない!?
民衆が今日食べるパンに窮していると報告された彼女が、「パンがなければお菓子(正確にはブリオッシュ)を食べればいいじゃないの」と言った…というエピソードは世界的に有名です。
しかし実際には「彼女はそんなことを言っていない」というのが真実のよう。
このエピソードはフランスの哲学者、ジャン・ジャック=ルソー(1712年6月28日~1778年7月2日)の自伝的作品『告白』(1782&1788年に出版)の第6巻に書かれた文章が火種と言われています。『告白』に書かれたのは、以下のフレーズです。
「農民がパンを持っていないと言われ、『パンがないなら、ブリオッシュを食べればいいじゃない?』と答えた偉大な王女を思い出しました」
この“偉大な王女”がマリー・アントワネットのこととされ、広まりました。
しかしこの文章をルソーが書いたのは1765~1766年頃と言われ、マリー・アントワネットはまだ子ども。彼女がフランスに来る前のことなので、ルソーの書いた「王女」がマリー・アントワネットを指していないのは明らかです。
「お菓子を食べれば…」
と言ったのは誰なのか?
残念ながら「この言葉を誰が言ったのか?」、また「言った人がいたのか、いなかったのか?」も含め、真相は謎なのです。
ネタ元なのでは?と言われる言葉としては、マリー・テレーズ・ドートリッシュ(スペイン王女でありルイ14世の妻、1638年9月10日~1683年7月30日)が言ったとされる「パンがないのなら、パイの皮(クルート)を食べさせればいいじゃない」がもっとも有名です。この言葉はルソーも知っていたとされています。
ルイ15世の娘(ルイ16世の叔母)であるヴィクトワール王女やソフィー王女もこの言葉を知っており、何度も語っていた…という説もあります。
ではなぜこの言葉が広まったの?
彼女はルイ16世との結婚初期、あまり夫婦仲が上手くいっていなかったようで、その時期に特に服や靴、宝石などにお金をかけていました。カジノやオペラに興じ、パーティに明け暮れ、お抱え美容師に奇抜なヘアスタイルを考案させる「ファッションの女王」としても君臨していたのです。
しかし贅沢な暮らしそのものは、王侯貴族にとっては普通のこと。マリー・アントワネットが国庫を揺るがすほど散財していたわけではないようです。
彼女はベルサイユ宮殿内の無駄なしきたりを簡略化するよう務めたり、宮殿内に作った村里での素朴な暮らしを愛したり、貧しい人への慈善活動も行うなど「その後」の彼女のイメージとは異なる一面もあったようです。
しかし王女として生まれ、王妃となった彼女は贅沢な暮らししか知らないので、生活にあえぐ民衆の心を本当に理解していた…ということではなかったはずです。
民衆の不満は王侯貴族、特に国王一家に向けられていました。彼女の派手な生活ぶりは民衆にも知られていましたから、「庶民の気持ちを理解しない贅沢王妃」のパブリックイメージが出来たのは、時代の流れといえるでしょう。
このイメージが「お菓子を食べれば…」の言葉としっくり合い、時代を超えて世界中に知られていったと考えられています。
もっとマリー・アントワネットについて知りたい!と思った方に、おすすめ映画を2本紹介します。
ソフィア・コッポラ監督の映画『マリー・アントワネット』(2006年)
この映画は多くの部分がフィクションです。しかし主な出来事は抑えているので、マリー・アントワネットの人生を時系列を追うことは可能です。コスチュームや舞台セットがあまりに愛らしく、16年も前の映画ですが、古さをまったく感じさせません。
『マリー・アントワネットに別れを告げて』(2012年)
フランス革命勃発直前直後がよく分かる作品です。マリー・アントワネットの側近(読書係)の目から描いており、当時の宮廷内の混乱ぶりがよく分かります。
参考文献
- 『Queen of France A Biography of Marie Antoinette』(Ishi Press)Andre Castelot・著
- 『Fashion Mirror History』 (Greenwich House)Michael Batterberry/Ariane Batterberry/Ariane Batterberry・著
- 『Marie Antoinette』(Weidenfeld and Nicholson)Antonia Fraser・著
- <Château de Versailles>
- <History>
- <BBC>
- <Britannica>
- 『王妃マリーアントワネット(上・下)』(新潮社)遠藤周作・著
- 『マリー・アントワネットは何を食べていたのか』(原書房) ピエール=イヴ・ボルペール・著/ダコタス吉村花子・訳
- 『その一言が歴史を変えた』 (阪急コミュニケーションズ)ヘルゲ・ヘッセ・著/シドラ房子・訳
- <コトバンク>
その他、多数。
※当記事は、公開後に内容を一部修正いたしました。該当箇所は、「貧しい人への以前活動」を「貧しい人への慈善活動」に修正いたしました。(2022年7月28日)