思春期になると首から足首まで肌を露出することが許されず、学問や本を読むことは禁じられ、結婚後は頭髪を剃り落とすことを強いられ、毎週金曜日、儀式的に行われる夫婦の性生活は親類すべてが知ることに…。

ニューヨーク、ブルックリンにあるユダヤ教超正統派のコミュニティ、そこで女性たちが強いられる戒律の実態を描いたNetflixのシリーズ『アンオーソドックス』。原作の著者であるデボラ・フェルドマンさんは、そのコミュニティから脱出したサバイバーの一人です。

自身が産んだ一人息子以外のすべてを捨て、頼るものがなにもない外の世界で、自身の幸せを見つけるまでの10年にはどんな苦難があったのでしょうか。そして伝統的な社会において女性の自立を阻むもの、彼女が考える、その正体とは--?

本記事では、デボラ・フェルドマンさんの特別インタビューをお届けします。

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この物語は、日本はもちろん、世界のあらゆる文化に置き換えられるものだと感じました。文化や言語を超えたそうした反応を、ご自身はどんな風に感じましたか?

驚きました。こんな反応が得られるなんて思いもしなかったので。実際に書き始めた時は、真逆の恐怖と戦っていたんです――「誰も私を理解してくれないんじゃないか」って。私のスタンダードと読者のスタンダードはあまりに違いますし、誰にも理解されず、誰にも信じてもらえず、私は物語の牢獄の中で孤立したままなんだろうなと。

「本を書いてほしい」という出版社の提案にも慄いていました。周囲もそれを裏付けるように「すごくニッチでローカルな話だから、NY以外の人には意味不明だし、たぶん売れないね」と言っていたくらいです。

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Anika Molnar/Netflix

Netflixでドラマシリーズ化もされましたね。

それまでにも映画化のオファーをたくさん頂いていたのですが、ずっと断っていました。というのも、大半がハリウッドの男性プロデューサーからのお話で、何の保証もなく大きな約束をするような話だったので…。

でも、2014年に移住したベルリンで2人の女性に出会い、彼女たちの仕事や人柄を知って、「物語に心を寄せてくれる人に出会えた」という気持ちになりました。

彼女たちがNetflixに「ブルックリンのユダヤ教超正統派の人々の物語を、イディッシュ語(ユダヤの言葉)で作りたい」と企画を売り込んだ当初、Netflix側は「イディッシュでって…彼ら(ユダヤ教超正統派)はテレビを見ない唯一の人々なのに!?」と言ったとか(笑)。

でも彼らは、ヨーロッパでの足場固めに、アーティスティックなプロジェクトを探してたんです。予算はネトフリ史上最少額でしたが…。

ドラマシリーズと本にはどんな違いがありますか?

当然ながら、ドラマシリーズと本は異なります。シリーズを自分の物語と思った人、本を自分の物語と思った人、両方に繋がりを見出した人もいるでしょう。でも結局のところ、私が主張する“普遍的なもの”は、それらとは異なります。

私たちは長い間、「一般的ではない人生を送って来た人は、何かユニークで異質なものを持っている」ということを信じてきた--もしくは信じ込まされてきましたよね。そうした「神話」が揺らいでいるのが今の時代です。

『アンオーソドックス』はそのプロセスの一部だと思います。私たちが信じ込まされてきた「私たちは違う存在だ」という考えは、嘘とか幻想のようなものなんですよ。

コミュニティ脱出からの10年の間は、どんな10年でしたか?どんな困難がありましたか?

とても、とても苦労しました。自分が変化するには平均的にみて10年はかかると思ってはいましたが、本当に大変で、内面的にも外面的にも多くの資源、多くの戦略、そして本当に多くの幸運が必要でした。

なので、脱出を考えている人からアドバイスを求められると、すごく怖くなってしまうんです。本当のことを伝えたら、怖気づかせてしまいそうで。「過去に戻って、自分にアドバイスをするなら?」と聞かれたら、答えは「アドバイスはしない」。だって、“彼女”が諦めてしまうのが怖いから。

困難はとても複雑なものなので端的に定義するのは難しいのですが、最初に直面するのは「現実的」なこと。貧乏で教育もなく、コネも支援もありません。そして次に、「社会的」な側面。一般的な世の中の作法が理解できず、他人とのコミュニケーションの取り方や友達の作り方がわからないのです。

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Anika Molnar/Netflix

“コミュニティ”からの攻撃もあったと聞いています。

彼らは、常に足を引っ張ろうとしてきます。手紙を書いてくるんですよ。「お前が外の世界に属することなんて不可能だし、絶対に幸せになれない。死んでしまえ」と。

この程度ならまだマシです。なぜそんな事に力を注ぐのかといえば、失敗させることで“コミュニティ”に疑いを持つ子どもたちに示すことができるからです。「出ていけばこういう事になる」と。

彼らは脱出者たちに、「死んでしまえ」とそそのかします。残念ながらその脅し文句には実際に効果があって、“コミュニティ”脱出者の間では自殺が蔓延しています。

“コミュニティ”からの脱出者(計画中の人も含めて)は、この10年で10倍以上に増えていると言われています。大半は男性で女性はごく少数、そのほとんどが出産以前の若い世代です(※デボラさんは19歳で出産。“コミュニティ”においては決して早くはない)。

つまり脱出した女性たちは、感情的にも社会的にも、最も被害者となりやすい世代なんです。“コミュニティ”はそのことを利用して、脅すのです。「ほら、私たちが警告した通りになった。何も変えられないんだから、もう諦めなさい」と。

私が長い間耐え抜くことができたのは、子どもがいたからです。非常に不思議なもので、母親であることで、自分以外の存在に気持ちを集中させることができたんだと思います。この根本があったことで、幸運やめぐり合わせに恵まれたんだと思います。

著書が成功を収めたことはどうでしょうか?

本は、実質的な部分で私を救ってくれました。大衆からの注目を集めたことで、子供の養育権を守ることができたんです。でも、感情的には――私の非常に傷つきやすい感情面を、救ってくれるものはありませんでした。

というのもアメリカで本が出版された時の私は、脱出してまだ3年目の25歳で、非常に弱々しいまま、突然、人前にさらされたのです。当時はとても辛かったです。でも、もし本の成功がなければ、さらなる困難に陥ったと思いますし、一定の目標に到達するには必要なことだったと思います。

私が今10年を経て幸せを感じられるのは、端的に言って、自分がどんな人間になりたいか、どんな人生を生きたいかがはっきり描けているから、そしてそのための決定を自分で下すことができるからだと思います。

シンプルなことですが、そうしたシンプルなことは、以前の自分には想像できないものでした。ひとつひとつの決定を「自分のため」に下し、自分がどんな人間で、何を望むかなんてことを思い描く機会を、持ったことはなかったから。ですから、そうなるまでの過程は本当に大変でした。

だって“コミュニティ”では「どのような個人になるべきか」なんて事例はないんです。“個人”の自主性や主張は、集団にとって大きな脅威ですから。

どんな自分を見つけたのでしょうか?

私は、集団のイデオロギーや、集団の思考パターンを素早く察知する人間のようです。どういうことかというと、私は自分が何かしら行動したり考えたり感じたりする時はいつも、その理由を慎重に考えるんです。

それは、私個人の特質と言うより、むしろ社会がそうさせているのだと思います。外の世界にいる今でも、とても頻繁に「ノー」と言っています。「他人が自分に期待すること」に「ノー」と言い、「古びた常識」に「ノー」と言います。私がここ、ベルリンに住むのは、そうすることが可能な町として知られているから。ここでは、嫌ならただ「ノー」と言えばいいんです。

インタビューなどで「自分の本当の幸せを再構築するために必要だったことは?」とよく聞かれます。

たとえば、もし私にパートナーがいたとして、今も残る西洋社会の伝統においては、「王子さまとお姫さまはハッピーエンドにならなくちゃ!」となりますよね。でも実は私は、そうした伝統的な意味でのパートナーを持たないと、意識的に決めています。それは、「パートナーがいれば誰だって幸せになれる」なんてことを信じられないから。「パートナーがいても幸せになれる」であればまだしも。

件の質問を聞かれれば、その答えは「集団から求められる常識に絶対に従わないこと」。これは“コミュニティ”が、私にもたらした結果。あそこにいれば、集団から与えられる圧力の公正さに敏感にもなります。

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Anika Molnar/Netflix

様々な文化に見られる「伝統」と「女性の自由」の対立ーーつまり、伝統は守るべき、でもそれによって差別される人がいることに、どう折り合いをつければいいのでしょうか?

この二項対立については、私は自分が知る範囲――特にユダヤ教に関してしか語ることはできません。でもこれは、あなたの社会にも当てはまるはずです。私が強く信じているのは、問題は「宗教」とか「伝統」ではなく、ユダヤの歴史に見られる「家父長制度」です。

実は、ユダヤ教義がまだ宗教として確立する以前は、どの宗教よりも女性に友好的で、聖書の物語にはたくさんの女性が登場します。

たとえばデボラという女性――私の名前の由来になった人は、預言者で、軍の司令官で、政治のリーダーで、70年間の統治でその時代の繁栄を築きました。結婚もしていません。彼女は“彼女自身”だった女性であり、人々からは神に選ばれた存在と考えられていました。初期のユダヤ教は非常にフェアで、男女は平等な参加者であり、同等の価値を持っていました。

ところがその後、男性によって彼らの特権のみを残す形に書き換えられてしまった。歴史上の女性たちの存在を消し、実践の場から女性の役割を排除した男性たちは、自分たちの欲望を叶え権力を手にする方法として、宗教を都合よく利用したんです。こうしたことは多くの宗教や文化において見られることです。

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Anika Molnar/Netflix

権力を欲する男性は、なぜそんなに女性を脅威に思うんでしょう?

男性が「女性=脅威」と考えるのは、子どもを産むことができないから――という考え方は宗教よりもずっと昔からあるものです。

言ってみればそれこそが究極的な男性の“伝統”であり、彼らが「伝統を守らねば」と言う時、それは「権力を手放したくない」という意味です。いわゆる伝統とは、全く関係がありません。

もし本当に伝統を守りたいと言うなら、じゃあ女性を肯定する素晴らしい伝統にまで戻りましょう、と言いたい。それなら大賛成です。私は見てみたいんです――女性がリーダーで、軍の指揮官で、預言者である世界を。

実は今、このテーマについて書いているところです。笑えますよね、私が伝統にものすごく近づいているんですから。伝統を取り戻したいと思っていますよ。男性が捨て去った伝統をね。


アンオーソドックス (&books)

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Credit: amazon
『アンオーソドックス』
著者 デボラ・フェルドマン
訳者 中谷友紀子
刊行 辰巳出版 / &books