自分の人生は、自分でしか生きられないし、どう楽しんでいけるかは、毎日の選択と気持ち次第。どんな生き方だって、自分で選んできている人は、いつだって魅力的に見えるし、自然と心惹かれるもの。コスモポリタン日本版では、人生を謳歌しているさまざまな女性の生き方を紹介していきます。

MC・シンガー・プロデューサー

ティガラさん

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Fabian Parkes

「将来は、外務省勤務か、政治家になる」と言っていた少女が、いつの間にか音楽の世界へ。日本ではあまりなじみのない、ブラジルのヒップポップ、バイレファンキとの出会いが、人生を大きく変えたきっかけとなったティガラさんの、オリジナリティ溢れる人生の歩みをクローズアップ!

-"世界をよくすることが人生のミッション"だと思うようになったきっかけは?

私はとても幸せ。こんなに幸せなら、世界も幸せにしなくちゃ!

カトリック系の学校に通っていたこともあり、キリスト教を学ぶ時間がありました。その中で、私は恵まれた環境で育っているんだと自覚したんです。だから、その幸せを広めていかないとと。それが義務感というか、人生のミッションだと思っていたので、将来は、外務省に勤務するか、政治家になりたいと考えていて。いい大学に進学しようと思い、慶應義塾大学 法学部 政治学科に入学しました。

カトリック系の学校に通った頃、フランス語の授業もあったので、当時から海外への興味はありましたが、大学に入ってからは、「とにかく外務省に入るために頑張るぞ」と思っていたし、海外で生活することや、音楽をやるとは思ってもいませんでした。

-音楽の道に進むことを決意した経緯は?

政治の世界に飛び込んで、自分の幸せが続くのかがわからないと感じた。自分がハッピーじゃなきゃ人は幸せにできないし

大学1年生の頃、外務省に勤務している人の話を聞ける機会がありました。その人の話は、「外務省に勤務すると、こんなにいい環境の中で仕事ができ、とてもいい暮らしができます」というような内容でした。その人自身の人柄もあると思いますが、その話を聞いた時に不思議とそれがショックで。国の機関で働いているにも関わらず、こんな責任感がない人とは働けないと思ったんです。そして、仕事のシステムが利益を中心で動くものだから、そのシステム自体を一個人が変えられないと気が付きました。その中で、私ひとりで戦い続けることは、今幸せを感じている私が、そのまま幸せでいられるか分からないと思ったんです。

そう考えてた時期に、ブラジル人の友達に音楽をかけてもらって。その音楽を聞いた時、人生最大の衝撃を受けたんです。それが、ブラジルのヒップポップ、バイレファンキというジャンルで、「やばい! 私もこの音楽を作りたい!」と思ったのがきっかけです。

そこからは、とにかくアルバイトをしてお金を貯めて、海外に積極的に行きました。この時は、将来なにをしたいと、はっきりしたビジョンは持っていませんでした。ただ、日本では学歴で判断されることがあるというのは分かっていたので、将来自由に生きるためにも、きちんと卒業するために、卒業できる範囲で大学の勉強をしていました。

-外務省勤務、政治家を目指していた娘が、突然音楽に目覚めちゃって周囲の反応はどうでしたか?

「どうやってお金を稼ぐの?」と言われたけど、何千枚、何万枚とあるCDの1枚になれないわけがないと思っていた

親は超びっくりしてましたよ(笑)。でも、「ダメ」とは言わない親で、「どうやってお金にするの?」って聞いてきたんです。どうやってお金にするか、確かなものはなかったけど、CDショップには、何万枚というCDがあって、マドンナになることはできないかもしれないけど、この中の1枚にはなれると思ったんです。根拠はありませんでしたが、CDを出す人の仲間入りをするためにはどうすればいいのかを考えていました。

昔から考えることは好きで、それは、15歳の夏休みに約2カ月行っていたフランス文化の影響を受けているところがあります。

日本の中で日本人はマジョリティだけど、フランスに行ったら、私はマイノリティだった。特に私が行ったところが田舎だったこともあり、白人主義なところもあって。その時までは、私が主役の人生だったけど、「あれ、主役じゃないぞ」と。それがとても衝撃的で、日本人やアジア人について、さらに、世界について考えるようになったんです。

日本ではほとんどありませんが、フランスではバスが遅れることが当たり前で、その文化にも衝撃でした。「やばい! 世界は広いぞ」と思いましたね。そこから、哲学的な考えや議論が好きになりました。

日本の社会では、自分の意見を言うことさえも許されないところがあるけど、はっきり自分の考えを伝える私としてはその状況がとても辛かったんです。「こんなことも言っちゃダメなの?」とか、「こんな理不尽なことが起きるんだ」とか。このまま黙り続けていたら私は幸せになれないと思ったから、日本での音楽活動は考えていなくて、海外で表現者になろうと思っていたし、自分が社会に合わせるより、自分に合った社会を見つける!と思い、海外に行きました。

バイレファンキの本場、ブラジルに行ったり、デモテープを作ったり、とにかく何でも挑戦しました。とはいえ、どんなに考えても、行動を起こしていても、音楽で生計を建てられる根拠にはならないけど、「絶対できる」という思いだけはありました。今考えると無謀だなと思いますが、それぐらいの勢いがあったほうがいいかなと。

-自分に合った社会を見つけるためにはどうすればいいですか?

人は人、自分は自分…人と自分を比べない!

幼い頃から、母に「人は人、自分は自分」と言われていたんです。だから、人と自分を比べるという感覚がない。自分に合った社会は、他人と比べていては見つからないと思うんです。

でも、母の思惑は、友達が持っているおもちゃを娘が欲しがらないようにするために言っていたことだったみたいで、「まさか、自分の人生を勝手に作るとは思わなかった」って言ってます(笑)。

そして、自分の勘というか、感覚を信じています。音楽のことも、「おもしろい!」と思ったことを行動に移していったという感じです。

当時は、音楽をアップするSNS「マイスペース」が流行っていて、そこに自分の音楽をアップしたらバズったんです。その頃はL.A.に住んでいて、「日本人なんだし、普通にポップスをやったほうがいいよ」と言われたこともあるけど、そんな言葉は気にせず、ひたすら自分の感覚を信じて動いていました。すると、自然と意気投合する人との出会いがあって、まだどこのレーベルとも契約していなかったけど、「いける!」としか考えていなかった。だから、マイスペースがバズった時は「やった~」というより、「やっぱりね~」という気持ちでした。

-そこからトントン拍子に話が進んで、無事、契約することに。でもそこからが大変だったとか?

それまではビギナーズラックだった。その後、音楽業界のシステムも含めて苦戦続き…

ちょうどマイスペースで新しいアーティストを探している時期でもあったし、マイスペースが話題になった時に、レーベルから連絡がきて、オーディションもなく契約することができました。契約金も大きかったし、グローバル展開しているレーベルだったのも魅力でした。でも、それまでは、「やっぱりね~」の感覚でできていたことが、全然「やっぱりね~」ではなくなっていき、いかに無謀だったか…。たまたまいい出会いが続いて、運がよかっただけってことを思い知りました。

契約後、「ティガラは日本人だから、日本で活動したほうがいい」となり、日本に戻ってきたけど、今まで一度もJ-POPをやったことがなかったし、新しい音楽をやろうという流れもなかった。世界的にメジャーなアーティストとコラボしても、日本では大したニュースにはならず。当時の担当さんに「もう一度海外でネタ作ってきたらプロモーションするよ」って言われ、2枚目のアルバムを作ることだけに集中して、ヨーロッパでプロデューサーを見つけるために約2年住んだりしたけど、気持ち的には「もうやめようかな」って思った時期でしたね。

ちょうどその頃、所属事務所を探している時期で。レコード会社には所属していたけど、まだ事務所に所属していなかったので、「日本で活動するなら事務所に所属したほうがいいよ」とアドバイスをいただいたので、事務所を探していていたんです。辞めたいと思っていた時期だけど、縁あって、大きい事務所に所属することができて、「ティガラを海外に売り込むぞ」という流れになり「やばい、やめられないぞ」と(笑)。辞めたいと思った時に限ってやめられない理由ができるんです。

事務所はお金もかけてくれて頑張ってくれたんですけど、なかなか芽が出ず。しかも、「あれはダメ、これもダメ」とルールができて、私の実力が発揮できない環境になってしまったんです。もともと日本でトップになることよりも、国際的なアーティストになることを目指しているので、日本の事務所では難しいのかなって。

-大きな事務所を辞めて独立。その決断後、いろんなチャンスが巡ってきた。

音楽は表現方法のひとつ。私は表現者になりたい! そして、自分が幸せになれる道を歩みたい
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Fabian Parkes

その事務所の関係者とはファミリーみたいな付き合いができていたのですが、ここで私は幸せになれるかを考えたら、夢は叶うかもしれないけど、幸せじゃないかもと思ったんです。だから、思い切って独立しました。どうやら自分にはそれが合っていたみたい。事務所を辞めると決めた瞬間から、いろんな話、いろんなチャンスが舞い込んできたんです。

私は表現者だから、音楽以上のこともやりたくて。音楽は表現方法のひとつなんです。いいアーティストが見つかったらプロデュースもしたい。今までの経験があるから、そこにたどり着いたんだと思います。

政治家になって世界を幸せにするような大きなレベルではないけど、でも、人は、ミクロのレベルで幸せになることが大切なんだと思うんです。願いがあって、夢があって、それを叶えるためのチームや環境を作っていく。「神様は乗り越えられない試練を与えることはなさいません」という聖書のフレーズがあって、乗り越えられない気になっているだけとか、他の人と比べて乗り越えられないと思い込んでいるだけってこともあると思います。

そして、どんな人も簡単に夢を手に入れているわけではない。そう理解し、人生や今の環境に抵抗しすぎず、我慢もしすぎないで、人にはそれぞれのストーリーがあるから、自分は自分のストーリーを作って歩んでいくことが大切なんですよね。

「最終的には人生に対する愛の大きさ。愛と情熱を持っていれば、サポートしてくれる人と必ず出会える」というティガラさん。そんな彼女の純粋なまでのひたむきさが、おもしろい"何か"を巻き起こすかもしれない。

【ティガラさんから学んだ仕事をより充実させるためのヒント】

・人と比べず、自分を愛し、自分の人生を楽しむ

・なにかに迷った時は、幸せになれるかどうかでジャッジする

・どんなことにも愛と情熱を持つ

・抵抗しすぎない、我慢しすぎない

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