過去に何度かトラウマティックな経験をし、「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」と診断されたライター、アクティビストのマデリーン・ポペルカさん。 心の傷からの回復を目指し、さまざまな壁を乗り越えてきた彼女が<コスモポリタン アメリカ版>に語ったこととは――。

※記事には、性暴力についての記述があります。心身への影響を懸念される方は、閲覧にご注意ください。

語り:マデリーン・ポペルカさん

過去のトラウマティックな経験

私は、心の傷からの“回復”というのは努力のいらないものだと思っていました。切り傷のように、いじったり、感染したりしなければ、時間とともに自然に治ると思い込んでいたのです。起きたこと自体を忘れてしまえば、痛みも消え去るはず――しかし、現実は違いました。

私はこれまでの人生の中で何度かトラウマティックな経験をしてきました。そうした経験のたびに心底震え上がりましたが、肉体的に痛めつけられたことはなかったので、それがトラウマになっているとは気づきませんでした。毎回「たいしたことはない」と自分に言い聞かせていたのです。

トラウマ的な過去を持つ母の娘として、その影響は子どもの頃から感じていました。母は私を愛していましたし、自分が得られなかったチャンスを私に与えようとしてくれました。でも、母を怒らせてしまったときには家中追いまわされ、ほうきで叩くと脅されました。本当に叩いたことはありませんでしたが、私はおびえ、クローゼットに隠れて何時間も泣きました。

いつも自分のせいだと思っていたし、私が口答えしなければ、姉のように賢ければ、もっとましな人間なら、母にこんなことはさせなかったのに…。こうした記憶は覚えているのが辛過ぎたので、記憶から葬り、思い出すことはありませんでした。

日常生活が恐怖に

26歳のある朝、ファーマーズマーケットからの帰りに1人の男性に追いかけられて急いで逃げました。たすけを求めて叫びましたが、まわりには誰もいません。とにかく必死だった私は、目に入った車の前に飛び込みました。襲われるよりは、車にひかれた方がましだと思ったのです。その後はなんとか逃げ切り、「忘れよう。それほど悪いことがあったわけじゃない」と言い聞かせながら帰りました。

その1年半後、私は、友達が涙を流しながらトイレから走ってくるのを目撃しました。彼女は知り合いの男性から薬を飲まされ、性的暴行を受けたのでした。ワインを飲みながら近況を話し合う楽しい夜が悪夢に急転し、私は自分を許せなくなりました。自分が事件を食い止められなかったことに罪悪感を感じたし、恐くなったのです。

その夜、あまりに身近で事件が起きたため、自分にも容易にそれが起き得ると思うようになりました。それからというもの、友達や知り合いがハラスメントや暴行を受けたと聞くたびに自分にも似たようなことが起こるだろう、と考えて世の中におびえる人間になったのです。

自宅でさえ安心することはなく、予想しない音がするたび胸がドキドキしました。ドアを開けられ、殴られ、誘拐されたり、レイプされたりする自分の姿が見えたのです。

こうして日常的に不安を感じるようになり、週に何回かは悪夢にうなされ、パニックで汗びっしょりになって起きました。徐々に症状は悪化し、ついに仕事も、睡眠も、パートナーとの会話も困難に。私は正気を失うのではないかと思いましたが、当時は理由がわかりませんでした。

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Maria Maglionico / EyeEm//Getty Images

「PTSD」という診断

私は自分の人生のあらゆる状況を見直しました。仕事でストレスを感じる相手との時間を減らしたり、「午後7時半からはSNSは触らない」というルールを設定したり、休暇をとったり、野菜主体の食事に戻して、アルコールもほどほどにしたり。自分ができる範囲で最大限に健康的でリラックスできる生活をしましたが、不安もパニックも消えませんでした。

最終的には専門家の力が必要だと思い、クリニックに行ったところ「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」の診断を受けました。

セラピーで症状に対処しようとしている間も、悪夢、不安、うつに苦しみました。悪夢やパニックによって結婚1年目はものすごく困難なものになり、望んでいたほど楽しいものではなくなりました。性的暴行を受けるような生々しい夢や侵入思考(自分が考えたくなくても頭の中に勝手に浮かんでくる考え)に苦しんでいるときは、男性に触って欲しくないし、そばに近寄ってほしくないのです。

こうした深刻な不安は日々の生活を不可能にし、自分は壊れていて役立たずでその場からいなくなりたいと思いました。いつも「何で私なの? どうして私がトラウマを経験しなくちゃいけないの? どうして“普通”になれないの?」と自問する日々が続きました。

自分が苦しんでいる姿を見られたくなくて、疎遠になった人もいます。ランチやイベントに行けない言い訳をして、可能な限り人を避けました。仕事などの集まりで人と会わなければいけないときは、エネルギーをかき集めて、元気で自信があるような演技をしました。でも、家に帰ったとたん、涙にくれました。

自分が経験していることを隠すのは辛いことでしたが、打ち明ける選択肢はありませんでした。自分を恥じていたし、知られるのは最悪の事態だと思っていたのです。

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coldsnowstorm//Getty Images

トラウマからの回復への道のり

その後1年近い治療と、私自身が回復について意識的になったことにより、不安は弱まり、悪夢やパニックはまれになり、苦しみの最中には失っていた自信をとり戻し始めました。私に起こったことは自分のせいではないし、PTSDとの闘いは弱さではなく、自分を成長させてくれたものだと気づいたのです。

私は回復の過程に含まれていたポジティブな側面を見始め、自分が以前よりも共感的で、思いやりがあり、洞察力があって、感情的知性のある人間になっていると感じました。トラウマのサバイバーとして、苦痛な瞬間も含めて自分の人生を受け入れることにした結果、これまでに経験したことのない喜びを見つけることができ、人生で初めて、自分を愛せるようになったのです。

トラウマを乗り越えるのはときに耐えがたいほど苦痛ですが、その過程を大切にすることを学びました。自分自身について知ることは、ものすごく充実した経験になります。自分の痛みを他者に見せることは、愛情にあふれ、支えとなる関係を作ることになります。羞恥心を徐々になくすことで、しばしば喜びを感じられるようにもなります。

トラウマを経験したことは大変だったけれど、回復は多くの贈り物をもたらし、それによって自分が誇りを持てる人間に成長できたことに感謝しています。

ただ、症状が消えたからといって、私の回復の旅は終わりませんでした。子どもの頃にトラウマを経験したことによって自尊心が傷つけられ、その後の経験によって、自分は力不足だとか、とるにたりないとか、自分はどこかおかしいという考え方が強化されていたからです。

トラウマから癒えるためには、大きな出来事について和解するだけでは不十分。根深い、不正確な思い込みをときほぐすことが必要なのです。回復の中には、こうした思い込みを捨て、不完全な人間として自分を受け入れることが含まれます。

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coldsnowstorm//Getty Images

心の傷と向き合うということ

今まで心の傷とどう付き合うかについて、私に示してくれた人は誰もいませんでした。それどころか、両親や先生、世間の風潮は、自分の感情を抑圧し、先に進むように言いました。私も試してみましたが、さらに痛みが増すだけ。苦しんでいる最中は、回復することが可能だと思わなかったし、自分は壊れていて、恐怖や身を切るような羞恥心と生きることに慣れなくてはいけないと考えていました。

でも今振り返って思うのは、一度は自分を見捨てたけれど、諦めなくてよかったということ。

私がトラウマから回復した話をシェアし始めてから多くの人々に、「どうしたら回復できますか?」に聞かれました。回復への旅を4年間続けてきた今、簡単に教えられるものではないと実感しています。トラウマからの回復は、個人的な過程で方法は一つではありません。経験の一つ一つが複雑さを持っているし、私たちは別々の性格と好みを持つ唯一無二の個人です。

だから私の、あるいは誰かが歩んでいる旅と、あなたの旅を比べないでください。私の話は何百万のうちの一つであり、すべてのトラウマサバイバーの経験を反映したものではありません。それぞれ固有の課題に直面するし、誰もが同じ援助やチャンスを得られるわけでもないのです。

回復の過程で、私はずっとメンタルヘルスケアを受けてきて、自分が安全だと感じられる環境に暮らしています。自分を支えてくれるパートナーがいて、経済的にも安定しています。私が恵まれた環境にあること、そして誰もが同じ状況下にないこともわかっています。回復には努力と献身が必要ですが、それだけで今の私があるわけではありません。誰かにとっての“回復の道”が、必ずしも同じかたちである必要はないのです。

もしあなたが、PTSDに苦しんでいるのなら

今、ものすごく辛い気持ちだと思います。だって、トラウマティックな経験を生き延びるのはとてつもない苦難だから。あなたにもう二度とそういうことがないようにと願う一方で、今ここにいることを祝福したいです。

過去に向き合うのは勇気がいるもの。その過程は常に混乱していて、不快で困難ですが、あなたにはやり遂げる強さがすでにあるとも言えます。今はそんな気がしないかもしれませんが、きっと大丈夫だと私が約束します。

※この翻訳は、抄訳です。
Translation:mayuko akimoto
COSMOPOLITAN US