46歳で指定難病の膠原病、全身性エリテマトーデス(SLE)、シェーグレン症候群を発症した宮井典子さん。病気の発症以来、誰もが生きやすくなる社会を目指して発信や活動を続けている宮井さんは、そのポジティブさでも多くの人々を勇気づけています。

今回は、当事者として感じる社会への課題や、SLEを取り巻く環境、本当の意味での“多様性”についてインタビュー。発信を続けるなかで、宮井さんが感じたこととは――。

――宮井さんの病気について教えてください。

私は指定難病である膠原病の中に属した「全身性エリテマトーデス(SLE)」を患っています。症状は全身にわたり、主には関節、皮膚、腎臓、肝臓、内臓部分にも現れます。ただ全身と言っても、人によって症状や度合いがまったく異なったり、併発する病気や合併する病気も様々です。

今までの私の症状で言うと、全身の倦怠感、筋肉痛、手指の第一関節第二関節の強張り、炎症、腫れ、発熱など。いくつもの症状が重なり合うこともありますし、悪化してくると、「蝶形紅斑」といって赤い発疹が頬に現れたり、38度以上の発熱を繰り返したりという症状が現れます。

私の場合、初めて病気を発症したのは2019年でしたが、今年の1月にさらに状態が悪化して症状が大きく変わりました。今は新しい治療を開始したばかりなので、以前のような症状は落ち着いています。

――37歳で予備軍と診断されたときのことを教えてください。

実は私が中学生くらいの頃から母が入退院を繰り返していたのですが、のちに膠原病だとわかりました。当時は膠原病というものが、どういう病気なのかほとんど知られていませんでした。

そして私が37歳のとき、体調が優れず2週間ほど微熱が続いて。それまでは健康だったし風邪をひくこともあまりなかったけれど、「おかしいな」と違和感を覚えました。それと同時に、なんとなく心の中で「母と同じ膠原病かもしれない」という気持ちがあったので、その覚悟を持って確認する気持ちで病院へ。予想通り「膠原病の可能性がある」と医師から告げられとき、当時は東京に来て間もない頃だったので絶望感を抱える反面、体調不良の原因がわかった安堵感もありました。

私の場合、両親を看取って東京に出たので帰る場所もなく、母の病気と重なったので「私はこれで死ぬのかな」と思いました。ただ先生が、「今はお母さまの時代と違って、様々な治療法があるので今すぐ死に至るということはないですよ」と言ってくれたので安心した記憶があります。

――その後ご結婚や出産を経験されましたが、気持ちの面で変化はありましたか?

予備軍と診断されましたが、先生が「このまま発症しない人もいるし発症する人もいる。若干の生活制限や食事制限はあるけれど、発症するかどうかはいろんなことが複合的に関係しているから、今を楽しく生きなさい」と言ってくれたんです。

それからはなるべく病気にフォーカスするのではなく、長い自分の人生にフォーカスしたいと考えるようになりましたね。

その中でタイミングよく理解してくれる夫やその家族と出会えたことも心強かったです。自分自身が病気になって「予備軍から発症してしまうんじゃないか」という不安も抱えていたので、やっぱり家族がいると楽しみと安心感が得られる。家族のおかげで、この先の人生が描けるようになりました。

――SNSで病気についても発信していますが、そのきっかけを教えてください。

元々ピラティスのインストラクターをしていたのですが、そのときから発信は積極的にやっていました。だから、発信する内容をピラティスから病気に関することに変えるだけだったので自然な流れだったと思います。

ただ、発信したことで思った以上に反響があったのには驚きましたね。世間でのSLEの認知度が低いこともあり、今まで発信する人が少なかったので医療関係の方から「病気の現状を知りたい」とお声がけいただくことも増えました。そんなニーズがあって誰かの役に立つなら、情報を提供しようかなと思って今に至ります。

――発信してよかったことはありますか?

私へ連絡してくださる方は、40~50代の同年代の方が多いんです。この年齢って、結婚や子ども、家族、仕事、介護…などの悩みも増えるし、「この先、仕事や人生どうしようか」と不安を抱えている人たちが多いように感じていて。そんな方々から、「人生を諦めていたけどもう少し自分が好きなことをやってもいいと思えた」「自分には価値がないと思っていたけど、自分の経験を話すことで誰かの役に立つことが分かりました」と言っていただくことがありました。

世代的に「誰かのために生きている」方も多いと思うのですが、「自分のために生きてもいい」というメッセージをいただくと私も自分自身を振り返るきっかけにもなります。

――宮井さんのポジティブさの源はなんでしょうか?

やはり両親を20~30代で看取ったという経験でしょうか。元気だった人が病気になって亡くなるという過程を見ているので、「人生には限りがある」と常日頃から思っているし、自分たちもが想像もしないタイミングで病気になることもあると実感しました。

どうせ時間が限られているなら、人生楽しめた方がいいですよね! 考え込んでも、同じように明日が来てしまうから。

私は今年で49歳になるのですが、毎日がカウントダウンされていくならいろんなことをしたいと思うし、笑っていたいなって思っています。

45歳で指定難病の膠原病、全身性エリテマトーデス(sle)、シェーグレン症候群を発症した宮井典子さん。今回は、当事者として感じる社会への課題や、sleを取り巻く環境、本当の意味での“多様性”についてインタビュー。発信を続けるなかで、宮井さんが感じたこととは――。
Noriko Miyai

――世間で「病気や障がいは個性」と言われることもありますが、宮井さんは「個性」をどのように考えますか?

この病気が発症してから、いろんなタイミングで「個性」について考えることが多くなりました。誰かや何かと比較して自分の良さを見つけたり、人と違う部分を取り上げて個性を見つけるのはなんか違うような気がしていて。

病気や障がいが個性だと言われることもありますが、決して自らが望んだわけではない。当事者の方がそう発信しているのならいいと思うのですが、私自身「病気は私の一部で、中心ではない」と思っているので人から言われるとモヤっとしてしまいます。

――当事者と周りの差を埋めるためにはどうすればいいと思いますか?

経験していないことを理解するのは、難しいですよね。だから私自身も、病気のことを理解をしてほしいと思っているのではなく、知ってほしいと考えています。

身近にそういった方がいないとなかなか理解できないし、家族でさえも分からないこともあります。100%理解することは、どんなに時代が変わっても難しいと思うので、当事者・健常者がお互いを知ろうとする努力が必要なんじゃないかなと。それが多様性のある社会なんだろうなと感じています。

――SLEを取り巻く環境について、感じている課題はありますか?

SLEは幼少期で発症することもあれば、私のように40代で発症する人もいて、それぞれ発症時期によって悩みや生きづらさが違ってきます。なりたい姿があっても先が見えなくて「自分には無理」と選択肢を狭めてしまったり、突発的に体調が悪くなってキャリアを諦めざるをえなかったりすることもあるんです。

私たちの病気も医療の進歩により5年生存率は95%以上になり、今は「人生先がある」と言われています。だからこそ、当事者には「いろんな可能性があって、いろんな選択肢があって、未来がある。そのための成長ができるし、未来に希望を持ってほしい」と伝えたい。未来に希望を持つことで、辛い治療も頑張れると思うんです。

目先のことだけにフォーカスしていると、辛いだけになって楽しみを感じられない。自分自身が「こうなりたい」と感じるような人がいることで生きてく励みになると思うんです。そのためにはもっとロールモデルが増えればいいなと思います。もしかしたらすでにロールモデルに匹敵する人がいても、「私はそんなタイプじゃない」と感じて発信していない人もいるかもしれません。今は誰もが発信できる時代なので、発信する人が増え、選択肢が増えていったらいいですよね。

――社会全体に正しい知識が広がるにはどのようなことが必要だと思いますか?

私たちのように難病を抱えていると社会では“弱者”と言われたり、公的な制度を使って助成をしてもらっている立場なので、さまざまな意見もあります。

私自身は、難病患者の困り事だけを主張だけをしたいのではありませんが、生活していく上で常に困り事を抱えている現実を知ってもらいたい。私たちの病気は見た目ではわかりにくいからこそ、当事者として日常で抱えている数々の困り事を伝えていくことが認知や理解への一歩。多様な社会に向かって何かするのであれば、恐れず現実を発信するということが必要だと思います。

私も手の痺れや倦怠感は日常的にありますが、傍から見て「全然元気じゃん」と言わてしまうこともあります。なので、目に見えない症状を抱えている人が社会にいるということも知ってほしいですね。

――今後、誰もが生きやすいためにどんな社会になってほしいと思いますか?

本来の多様な社会とは、さまざまな国籍や人種、性別、病気、障がい、そして健常者と言われている人たちも含めて、どんな立場であろうとも誰もが交われる世界だと思っています。

難病患者として、多様性と言いながらも“強い人から弱い人へ”という社会の構図に違和感を覚えています。病気や障がい問わず、また見た目のわかりやすさやわかりにくさで判断するのではなく、困り事を抱える当事者の声をフラットに聴いてもらえる社会になってほしい。誤解と偏見がなくなってほしい。これが今の私の願いです。だからこそ表面化されにくい人々を巻き込む動きが必要なんじゃないかと思って、実は今プロジェクトを進めています。

私は今、そこまで重い症状を抱えているわけではありませんが、「症状がわかりにくいから」という理由で、社会から置き去りにされてしまうことで、若い世代が将来に希望を持てなくなってしまうかもしれないと感じています。

今の時代は小さな声が形になる時代なので「誰もが幸せだと感じられる平等な社会」を目指して、当事者が発信し続けることが大事。理論的ではなくても、当事者の声として「こんな現実を抱えている!」と伝えていくことを諦めず続けたいです。


宮井典子さん

ヘアターバンデザイナー、ピラティスインストラクター。37歳のときに膠原病予備軍と診断、関節リウマチの兆候が現れる。38歳で結婚し、39歳で妊娠、出産。産後4カ月で仕事復帰し、ピラティスのインストラクターとして精力的に活動。45歳のときにSLE、シェーグレン症候群を発症。現在は、病気や薬の副作用による髪の悩みに特化したヘアターバンをデザイン、販売している。