社会の“普通”に当てはまっていないことで、周りの目が気になってしまったり、自信を失ってしまったりしている人もいるかもしれません。

本記事では、ライターのペニー・ムスコさんの経験談をお届け。瘢痕性脱毛症により髪を失った彼女が、自分を受け入れるまでの道のりとは――。

語り:ペニー・ムスコさん

髪のない姿を人前で見せたら…

初めて人前で髪のない姿を見せたのは、スーパーに行った時。クッキー、ケーキ、ジャムやゼリーのコーナーを歩きながら、驚かれたり、凝視されたりするだろうと予想はしていたけれど、周りの反応はその通りでした。

ただ予想外だったのは、多くの人からがんだと思われること。ジムに行った時に年配の男性から「運動しているなんて偉いね」と言われて、どうやって返答すべきかわからなかったし、それ以上何も聞かないでほしかった。その場を去ってくれることを願いながら、感謝の言葉だけを伝えました。

残念ながらそうはいかず、抗がん剤治療中なのかと聞かれました。私が「いいえ、重度の脱毛症なんです」と答えると、少し間を置いた後、彼はこう言ったんです。「その頭で歩けるのは勇気があることだと思うよ」と。

それってつまり、私がひどい状態だってこと? 勇気があるってどういう意味? 考えたこともありませんでした。

髪を失い始めてから

2009年に額がどんどん広がっているのを感じ、病院に行った私。 そこから1年、あらゆる検査や治療を受け、最終的に2種類の瘢痕性脱毛症(皮膚に瘢痕が生じることを原因として生じる脱毛症)であると診断されました。髪は永久に生えてこないけれど、医師からは命に別状はないと言われたんです。

こうなる前までは、髪のことを大して気にしていませんでした。幼い頃はブロンドの長いストレートヘアで、量も多かったのですいてもらっていたぐらい。ショートヘアやハイライトも試したけれど、最終的には顎ラインのボブに落ち着いていました。

penny musco
PENNY MUSCO

でも、髪を失い始めてからは必死でした。薬局で買えるあらゆるサプリメントを飲んだし、クリーム、ローションも試したし、頭皮に非常に痛みのあるステロイド注射も打ちました。

髪がどんどんなくなっていくにつれ、スタイリングにもこだわるようになりました。スプレーをしたり、ヘアカットに凝ったり、ハットを被ったり。最終的にはウィッグの人生を受け入れました。

変化のきっかけ

でもそれも、数年前の出来事で全てが変わりました。

ある日海岸を夫と歩いていたら、ブロンドのバズカットの女性がいて。彼女の髪型は、単に好みでしているのか、髪を失ったからなのかはわからないけれど、とても自然体だった。それは私が何年も感じたことのない気持ちでした。

そのとき初めて髪がない生活をイメージしたけれど、嫌だと思わなかったんです。「私もああいう髪型にしたらいいかな?」と夫に尋ねたら、「似合うと思うよ」と彼はすぐに言ってくれました。

私は次の日、近所の美容院へ向かい、「バズカットにしたい」と伝えました。残っていた髪の毛を短く切ったら、必死で隠そうとしていた禿げた箇所が露わになったし、海辺にいた女性のようには見えなかった。でも、もう気にならなかったし、隠すのをもうやめて、素晴らしい気持ちになったんです。

髪をもっと短く

カットした後、もっと髪を短くしたくなり、数日後には夫に「全部ない方がいいかな?」と聞いていました。「君がそうしたいなら」と言った彼に、バカみたいだけれどこう確認したんです、「髪がなくなっても愛してくれる?」と。

夫は「髪で愛が決まると思っているの?」というような顔をしながら、ハサミを買ってくれました。その後、二人でお風呂場の鏡を見ながら自分たちで髪をカット。こうして満足のいく仕上がりになったんです。

94歳の母には、「髪は一体どうしたの? みっともない!」と、新しい私の姿を見せたとき言われましたが、彼女の率直な言葉に傷つきはしなかった。友達や家族のほとんどには特に大ごとにはされなかったし、娘からは「よかったね。新しいことに挑戦するのを恐れないの、かっこいい」と反応がありました。

自分の姿を受け入れるまで

だけど、ジムでの出来事のようなことが気にならないと言ったら嘘になります。特に実際に抗がん剤治療を経験した女性からの言葉だと。気持ちはありがたいけれど、彼女の方が深刻な病気で、私は髪を失っただけ。なんだか申し訳ないような気持ちになりました。

こういう経験は、心遣いの気持ちからきているのはわかります。でも初めの頃は、髪のない頭でいる私が悪いのかなと思っていました。社会の“普通”や規範を無視するからこういう思いをするのかなとも考えました。でももうそう思うのはやめたんです。だって、人が持つ間違った印象をコントロールすることはできないから。

実際あるコラムで、「20歳になると周りにどう思われるかを気にする。40歳になると周りにどう思われても気にしない。60歳になると周りは自分に関心がないことに気づく」という言葉を目にしました。その言葉は事実だと思うものの、どんな経緯であれ、髪のない女性は珍しいことから、やっぱり周りは気になると思います。

ただ、70歳にしてようやく、数十年前に知っておくべきだったことを学びました。周りに何を思われてもいい、これが今の私だし、私はそれで満足だと。

※この翻訳は抄訳です。

Translation: Haruka Thiel

Oprahdaily