なにかを食べるとき、そして食べてから、“罪の意識”を感じることはありませんか?

「ダメだけど、食べたい」と悩んだり、結局食べて「またやってしまった…」と後悔したり。けれど、アイスクリームやピザを食べることは、本当に「罪」や「悪」なのでしょうか。ダイエット食品なら食べても良い? ブロッコリーは善で、フライドチキンやピザは“悪い”食べもの?

私たちが食べ物との関係に悩むのは、「現代のダイエット文化の罪」が大きく影響しています。この記事では、食べ物に対する見方を変えるべく、ダイエット文化がつくりだした「罪悪感」の正体を解説していきます。

言葉が助長する「食べものへの偏見」

そもそも、食べて栄養を摂ることは、自己愛のひとつと言えるはず。本来ならば、サラダではなくパスタを選んだとしても後ろめたさを感じる必要はないんです。一方で、スーパーやレストランに行くと、食べ物に「善悪の価値」をつけるような言葉であふれています。

たとえば、カロリーや糖分・脂肪ひかえめの食品によく使われるようになった「ギルトフリー(=罪がない)」や、「ご褒美」を謳うスイーツなど。こういった言葉は、体が欲しがっている物を欲しいときに食べることが、“いけないこと”のように思わせる言葉です。

食品の専門家で「反・ダイエット文化」の活動をしているクリスティーン・ディロージャーさんも、広告による悪影響に警鐘を鳴らしています。

「マーケティング担当者は、食品を『ギルトフリー』と呼ぶことで、私たちの“弱み”を突いているんです。そして、『食べることが何か悪いことのように感じるべきである』という意識を強めています」

食欲は自然なものなのに…

「お腹がすいた」という感覚は、脳からくる生きるために栄養が必要だという信号。でも、ダイエット文化が浸透している現代では、細身であることが美しく、社会では心身の健康よりも重要視される風潮も。

その結果、生物として欠かせないものであるにもかかわらず、食べものへの考え方が捻じ曲げられることに。現代社会で愛されるためには、一定のスタイルを保たなければならないという既成概念ができ上がり、私たちの多くが、生存本能である食欲に従うことに対し、罪悪感や不安感を持つようになってしまったというわけ。

ディロージャーさんによれば、「食べ物と人間の感情が結びついていることは、よく知られた事実」だそう。

「食べることは、生命に燃料を与える行為。そのため食事をすると、人間の体は快楽の化学物質であるドーパミンを放出します。一方で、罪悪感や不安、恐怖は何百万年もかけて発達してきた根本的な感情で、生命がおびやかされる状況に対処するためのものです」

全米摂食障害協会(NEDA)のローレン・スモラーさんによれば、重要なのは「食べものを善悪で判断すること」ではなく、「自分の体が今どのような栄養が必要なのかを知ること」だといいます。

「(食べ物に対して)善悪の価値をつけるような言葉により、人は食べ物に対する自分の体の反応を信じられなくなってしまっているんです。空腹感という合図を無視するよう仕向けられてもいます」

摂食障害を引き起こすトリガーになることも

食品のパッケージだけの問題ではありません。夏が近づくにつれ、あるいは最近だと、コロナ禍での外出自粛生活からやっと抜け出そうかというときにも、「夏向きボディ」や「コロナ太り」などの言葉によって、ウイルスとはまったく関係のない不安感にかられることもあるはず。

神経性食欲不振症および関連障害(ANAD)全米協会会長のマリア・ラゴ博士によると、こういった価値観が拡がることで摂食障害を引き起こすトリガーになったり、すでに摂食障害である人の状況を悪化させることもあると警告。

「ダイエット文化に基づいた言葉によって、食べることに制限をかけるべきだと自分たちに思い込ませてしまいます。そして、食べるものに気をつけるべきという考えが不安を引き起こす原因にもなりえます。自分の食べる物をコントロールしすぎるのをやめようとしている人が、逆戻りしてしまう可能性すらあるんです」

良い食べ物も、悪い食べ物もない

自分のトリガーは何なのかに気づくことが、食べ物との正常な関係を取り戻す第一歩。

たとえば、自分で料理することを覚え、素材が影響しあって複雑でおいしい味を生み出すことを理解することで、以前はこわかった食べ物も害がなく思えるようになるという場合も。素材を知り、どのように調理されているかを知ることで、恐れていた食べものを克服できる人もいます。

メンタルヘルスを守る活動をするアキア・レッドさんは、「食育の大切さ」についてこう話します。

「社会や、他人の価値観をすぐに変えるというのは難しいでしょう。けれど、その中で自分がどう生きるかは変えられます。私たちが社会的不平等について学んだり、知性や情操面の教育を受けて育ったように、食育や反ダイエット社会の教育も必要だと思います。知識はとてもパワフルで、それによって物事に対して新たな言葉が与えられるのですから」

新たな言葉を学ぶとき

最初のステップは、「食べ物に善悪の価値をつける言葉」はおかしいと気づくこと。

ラゴ博士がアドバイスするのは、「食べることに対して柔軟性を持つ」こと。あなたの体は時に、ジャガイモを欲しがることもあります。別のときにはサラダを欲するかもしれません。そしてどちらの選択も、まったく間違っていないのです。

友達同士で食べ物に対する言い方に気づくことでも、その会話の意味を見直すことができます。たとえば友人や家族が、「今日は良い子にしてデザートは食べない」なんて言うことがあれば、「あなたは良い子だよ。どっちを選んだとしても」と伝えましょう。

ラゴ博士は、どんな状況や言葉使いが自分にとってトリガーになるかを知ることも大切だと言います。

「言葉の中に潜んでいる、たとえば優越感とか批判的なメッセージを書き出すことで、そんな言葉にだまされない判断を下せるようになるはずです。食事は体にエネルギーを与え、思うように体を動かすためのものだと心に留めておくのも役に立ちます」

ただ、人によってはまだダイエット文化に逆らうことができない精神状態であることも。急に考え方を変えるのが難しい場合には、ダイエット文化に紐づいた言葉が掲げられている場所を避けるのも一つの手です。

もし、食べ物に対する考え方が生活に支障をきたしているようなら、思い切って専門家に相談しましょう。

私たちは、見た目がどうであろうと健康で幸せで、充実した毎日を過ごしていいのです。あなたが手にしているのはクッキーであって、手りゅう弾ではありません。体に栄養を与える食べ物を、もっと公平な視点で見つめてみてください。

この翻訳は、抄訳です。
Translation: Sasaki Noriko(Office Miyazaki Inc.)
GOOD HOUSEKEEPING