転職や結婚など、人生の転機となる出来事には不安はつきもの。楽しい面もたくさんある一方で、未知への挑戦だったり、様々な壁に直面したり、といくつもの葛藤もあるはず。

今回は<オプラ・デイリー>から、アメリカ・ニュージャージ州の50代でパイロットになった女性の体験談をお届け。夢を持ち続けることの大切さを語る彼女の、これまで歩んできた人生とは――。

語り: キャロル・ホプソンさん(57歳) 

私の記憶だと、初めて飛行機に乗ったのは12歳の時でした。叔母が私といとこをエアー・ジャマイカに乗せて、モンテゴベイまで連れて行ってくれたんです。客室乗務員は全員素敵な黒人女性でパイロットは、ハンサムな黒人男性。飛行機に乗ると、驚きの連続でとにかく興奮していました。

次に飛行機に乗ったのは19歳。その頃には、多くの人にとって“飛行機に乗ること”が特別なイベントではなくなっていたけれど、私は変わらずワクワクしていました。

ただ80年代に入るまで、大手航空会社のパイロットで黒人女性はゼロ。それを仕事にしようとは思いもせず、大学院でジャーナリズムを学び、実業界に進むことにしたんです。

20代後半になって、後に夫となる男性と初めてデートをして、彼がこう言ったんです。「それで、君が本当にやりたいことは?」と。その時、これまで一度も言葉にしたことのない「飛行機を操縦したい」という願望が口をついて出ました。彼は次のデートで、飛行訓練のギフト券をくれたんです。

訓練は、物理的にも、感覚的にも本当に最高で! それから訓練の契約を更新し、黒人の航空宇宙分野の専門家のための団体に参加し、メンターを探しました。

でもその頃、私は子どもが生まれ、仕事を辞めて子育てに専念する道へ。ただ、時間ができるたびに訓練を受け、ついに地元の飛行訓練学校で非常勤講師をするようになったんです。

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息子たちが中学に入ると、「とにかくジェット機を操縦したい」という気持ちに駆られました。ゴールに向かって突き進むあまり、私は自分が50歳だという現実につまずくこともありませんでしたね。

それから、地域航空会社に就職。大手航空会社で飛行機に乗るのはメジャーリーグでプレーするようなものなので、まずは地域航空会社で準備をするんです。その経験によって私は腕を磨き、大きな夢であった「ボーイング737を操縦する」ことに近づいていきました。

その夢は、4年後に大手のユナイテッド航空に入ったことで叶いました。今や私は副操縦士で、会社にいる合計11,000人ほどのパイロットのうちの15人の黒人女性パイロットの1人になったんです。

現在の私の使命は、より多くの有色人女性に空を飛ぶ希望を与えること。そのために、私は「ジェット・ブラック・ファウンデーション」という非営利団体で活動しています。また、1921年に黒人女性として初めてパイロットになった伝説のベッシー・コールマンの人生に基づいた小説『A Pair of Wings(原題)』も執筆。今年の6月に発売されたのですが、コールマンが操縦士免許をとった1921年からちょうど100年にあたります。

どこかで、「目標とは日付のついた夢のことだ」と読んだことがあります。自分の夢が大きくないからといって、心配しないで。小さく始めて、思いもよらなかったような形で大きく育てることもできるから。

※この翻訳は抄訳です

Translation: mayuko akimoto

Oprah Daily