強い絆を築いている相手に対してのみ、ごく稀に性的魅力を感じる「デミセクシャル(半性愛)」という性的指向。本記事では、コロナ禍をきっかけにデミセクシャルを自認したとある女性の体験談を<コスモポリタン イギリス版>よりお届け。

長年にわたって、周囲との恋愛観の違いに悩み、自分の性的指向を見極めるのに苦労してきたと話す彼女が、自身のセクシャリティに気づいて変わったこととは…?


【INDEX】


文:イジー・プライスさん

周囲に合わせようと
必死だった学生時代

10代の頃は、自分がいつか誰かを“本当に”好きになるなんて思ってもいませんでした。

男の子とイチャイチャすることに興味がないのは、友達の中では私だけ。もちろん興味がないなりに、挑戦してみたこともありました。だって、みんながそうしていたから。でもそれは相手に魅力を感じたからではなくて、みんなが楽しんでいる“恋愛というゲーム”で置いてけぼりになりたくなかっただけでした。

私が通っていた女子高の寮では、友達はみんな毎夜のように、週末に出会ったばかりの男の子たちとヒソヒソち電話を楽しんでいました。私はというと、その横で「学校の演劇の授業でどうしたら良い役がもらえるか」なんてことを考えていました。

その時の私は、電話越しのイチャつきに全く興味がなかったわけでも、学校の規則を破るのが恐かったわけでもありません。ただシンプルに、誰のことも好きになれなかっただけなんです。

人気ドラマの俳優にクラスメイトの誰もが夢中になっている時には、個人的には全く惹かれてもいないのに、友達と話を合わせようとファンのふりをするのに必死でした。壁に写真を貼って“証拠”を用意したことも。でも心の中では、まるで何も感じていませんでした。

コロナ禍で向き合った
自分の性的指向

これはすべて、10年も前のこと。今の私は、当時の私が知らなかったことを知っています。それは、私がデミセクシャルだということ。

学生時代にそのことに気づいていたら、好きでもない俳優のファンのふりをしなくて済んだかもしれません。毎夜のように友達が恋人に必死にメッセージを送っている間、どうして自分は誰のことも好きになれないのか悩まずに済んだかもしれません。

デミセクシャルとは、感情的な強いつながりがない限り、特定の人に性的な魅力を感じない性的指向を指します。これまでには、このセクシャリティを表す言葉がなかっただけで、これこそ私が常に感じてきたことでした。

そんな私に気づきを与えてくれたのが、コロナ禍でのおうち時間でした。自宅にこもりながら「自分とは?」と考える時間が生まれ、これまで感じていた疑問や違和感と向き合うことができたのです。

私はずっと、自分がどういう性的指向・恋愛指向なのかを見極めることに苦労してきました。多くの友達と同じような形では、人を好きにならないことは知っていました。

でも、一度誰かと深い恋愛関係になると性欲が強くなることから、性的欲求を抱かないとされる「アセクシャル」は当てはまらないようでしたし、恋愛感情も経験していたので「アロマンティック」でもないと思いました。

ずっと自分の性的関心が薄いことに悩み続けていましたが、自分がデミセクシャルだと自覚したおかげで、これまでの恋愛や性的関係に関するモヤモヤを理解することができました。

たとえば、クラブやバーなどで出会った人と一夜限りの関係を持ったとしても、本当に何も感じなかったのです。でも今なら、その理由がわかります。

一時的な衝動に突き動かされて、ついさっき出会ったばかりの人とせっかちに唇を合わせることは、デミセクシャルである私にとっては性的魅力には繋がらなかったのです。

コロナ禍をきっかけに私が「デミセクシャル」を自認するまで
Rieko Honma//Getty Images

友人からの理解を
なかなか得られず…

とある記事を通してデミセクシャルという概念に触れ自認をしたとき、やっと肩の荷が下りて、心に平穏が訪れました。出会ったばかりの人に対して、性的にも感情的にも惹かれない、ときめきを感じないことの理由がついに判明したのです。

女性の性が解放されつつある現代の恋愛文化は、それはそれで大きな意義があると思いますが、一方でデミセクシャルとは相いれない側面があるのも事実です。強い絆で結ばれない限り性的魅力を感じない人にとって、ドラマや映画に出てくる恋愛関係の見本はそれほど役に立っていないでしょう。

パンデミックの以前、私には2年以上にわたって性行為に及ばない期間がありました。むしろその方が幸せだったし、特に困ることもありませんでした。でも友人たちの反応はこう。「どうして?」「信じられない!」「なにか助けがいるんじゃない?」。

深く好きになれていない人とは体を重ねる気がおきないことを理解してもらうのは、なかなか難しいことでした。

どの選択も尊重されるべき

カジュアルな性的関係を望む人も、そうでない人も、どちらの選択も尊重されるべきもの。どちらの場合も、自分にとって最適な選択を行っているだけにすぎません。

また、セクシャリティは流動的であっても良いことを覚えておいてほしいです。今の私はデミセクシャルを自認していますが、だからといって私が“一生”にわたって、出会ったばかりの人に性的魅力を感じないと断定する必要はありません。未来に何が待っているかは、誰にも分からないことなのですから。

これまでずっと、自分の恋愛や性的関係の特性に当てはまる言葉を探していた私は、デミセクシャルという概念に出会い、そのコミュニティの一員だということに気づけたことに嬉しく思っています。

※この翻訳は、抄訳です。
Translation:mayuko akimoto
COSMOPOLITAN UK

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