LGBTQ+という言葉の中には、ゲイやレズビアンといったセクシャリティ(性的指向)と、トランスジェンダーといったジェンダー(性自認) が含まれています。もちろん、ここに頭文字が入っていなくとも、性的指向や性自認はグラデーションのように数多く存在するものです。

また、性的指向と性自認は複雑に絡み合うこともあり、なかなか社会的な理解が追いついていないという側面も。人の数だけセクシャリティがあると考えると、実際に当事者の声に耳を傾けることが多様性を理解するための第一歩となるはず。

そこで本記事では、レズビアンを自認するトランスジェンダー女性が寄せたエッセイを<コスモポリタン イギリス版>からお届けします。

映像&演劇クリエイターで役者のドリュー・グレゴリーさんは、出生時に割り当てられた体の性が男性だった一方で、現在はレズビアンを自認するトランスジェンダー女性です。彼女が綴る等身大の言葉から、きっと学ぶことがあるはず。

文:ドリュー・グレゴリーさん

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“ゲイ”になりたかった学生時代

皆さんは「カミングアウト」についてどう考えていますか? 「カミングアウトはすべてのLGBTQ+当事者が経験するべき“最初の一歩”」「カミングアウトは簡単なことではないけど、一回限りのことでしょ?」などと考えていませんか?

私は高校時代、ずっとカミングアウトしたいと思っていました。当時は、男性を愛する男性である“ゲイ”だと思い込みたかったのです。素敵な男の子を見ては、彼らと恋に落ちる自分を想像していました。でも、どうもうまくいかなった。

私がゲイだと思い込みたかったのは、そうすることで自分が置かれている様々な状況についての説明がつくと思ったから。「どうして他のストレートの男の子たちと仲良くできないのか」、「自分の中に女性性を感じる部分がある理由は?」--。

でも結局のところ私は、男性に性的魅力を感じることはなかったんです。

むしろ私は、女性に魅力を感じていました。そして女性に対する気持ちが、違うベクトルにも向いていることも自覚していました。彼女たちと一緒にいたいし、彼女たちのようになりたいという気持ちがあったのです。欲望と嫉妬のような気持ちが混同した“片想い”の感情は、頻繁に、そして激しく心をかき乱しました。

トランスジェンダーであり
レズビアンであるということ

ゲイではないということに気づいてから23歳になるまでは、自分のことを「ストレート」だと思っていました。ところがある時、「ずっと女の子になりたかったんだよね」という誰かの発言を聞いて「これかも!」と腑に落ちる感覚がありました。

そして私は、トランスジェンダー女性であることを自認したと同時に、同性愛者にもなったのです。

トランスジェンダーであることをカミングアウトしたとき、周囲の人たちは、私のセクシャリティ(性的指向)にはあまり興味がないようでした。家族や友人は、私が「女性である」という現実に順応することに必死だったのだと思います。だからこそ、私が「女性」でなおかつ「女性が好き」だということは、あまり気にかけていないようでした。

でも私にとっては、自分の人生を振り返り、長年にわたって混乱していた自分の性自認や性的指向を明確にすることは大切なプロセスでした。そして、自分のレズビアンとしてのアイデンティティの重要性にはっきり気づいたのです。

以前から自分の中にあった
レズビアンとしての側面

思春期から青年期にかけて、私は主にノンバイナリー(特定の性別に当てはめない)や、クィアな部分を持つ女性たちと交際してきました。私を含め彼・彼女たちのほとんどは、自分の性自認や性的指向を公表していませんでしたが、お互いに惹かれあう部分があったのだと思います。

今思い出せば、好きなアートやドラマ作品などの方向性を見ても、私の中には以前からレズビアンの側面があったことは明らかでした。自認する前までも興味は持っていましたが、“普通”になろうとする自分が拒絶していたのです。

カミングアウトをしてからの私は、LGBTQ+コミュニティの一員として居場所を確立しはじめ、レズビアンが集う空間に心地よさを感じるようになりました。トランスジェンダーの人たちと友達になったり、レズビアンの価値観を大切にするシスジェンダー女性たちとの出会いから、ようやく一人じゃないと感じられるようになったのです。

私の外見的な性表現も、私自身のレズビアン・アイデンティティを反映しはじめました。カミングアウトして最初の1年はドレスや濃いメイクを試していましたが、その後はタイトなパンツを好んで履いたり、いわゆる“ボーイッシュ”なスタイルへと変化していきました。

もちろん、トランスジェンダー女性としてのアイデンティティを投げ出しているわけではありません。私はただ、トランスジェンダー女性であるということと同じように、レズビアンである自分にも親しみを感じているというだけなのです。「自分が何者か」ということと「自分がどんな人を好きになるか」の大切さは両立します。

コミュニティの中で感じる
友人たちとの違い

思春期に“ストレート男性”として女性と一緒にいることが当たり前だったので、周りのレズビアンの友人たちとは「経験」に違いがあるのも事実です。

たとえば、友人たちが「初めて同性愛者だと気づいた瞬間」や「初めて女性同士で体を重ねたときの思い出」、「初めて家族に恋人を紹介したときのこと」について話す一方で、私は「トランスジェンダーだと気づいた瞬間」や「ホルモン治療をした後に初めてオーガズムを感じた時の思い出」、「女性として自分の家族に初めて会ったときのこと」しか語れません。

そのため、レズビアンとしての自分を意識していなかった当時のことを“痛み”として感じてしまうことも少なくないのです。

何十年もの間、異性愛者であることが性別移行の条件とされてきました。その名残で、主流のポップカルチャーに「レズビアンのトランス女性」にまつわる表現はほとんど見られません。そして、「トランスジェンダーである人は同性愛者になれない」と思い込んでいる当事者がいることにも気づきました。

でも私たちはみんな、自分のジェンダーとセクシュアリティの交差地点で生きているのです。

だからこそ、“ボーイッシュな女性”になりたいと願っていたトランスジェンダーの女の子にも、その他の人々のように、活躍する場があるべきなのです。私は今LGBTQ+コミュニティの中に、そんな居場所を作っているところです。

この翻訳は、抄訳です。
Translation: 宮田華子
COSMOPOLITAN UK

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