ジェンダー・アイデンティティとは、自分の性をどのように認識しているかという感覚のことです。自らの性を表すのに心地よいと感じるようなアイデンティティの言葉と出合うこともあれば、決めたくないと感じたり、また変化を経験することもあるでしょう。

今回はそんなジェンダー・アイデンティティのうち、「エイジェンダー(Aジェンダー)」について、武内今日子 東京大学情報学環特任助教にお伺いしました。このアイデンティティが含む経験や感覚、意味合いなどをご紹介します。

【INDEX】


「定義」を語ることについて

ジェンダー・アイデンティティにまつわる概念の意味を知ると、自身についての理解が深まるきっかけになることがあります。それが自身の感情や思いを伝える手助けになったり、コミュニティの存在を実感できたり、他者の性やアイデンティティを理解し、尊重する一歩にもなり得ます。

ただし、前提として武内先生は、「他者のアイデンティティとなる言葉を定義づけようとするのは、すごく慎重さが必要になる行為」だと言います。それは自認・共感したり、していると思っていた言葉の定義が違った形で説明された場合に、疎外感を覚えたり、それによって傷つくこともあるからです。

「誰しも自分のこれまでの経験や思い、言葉への距離感などを否定されたくないはずです。そういう意味では“定義を話す”ということ自体が、かなりセンシティブなトピックということは理解するべきでしょう」

こうした言葉の成り立ちや定義について話すときは、それぞれの言葉が特定の時期、場所において生じていること、その意味も変化するし、個々人によって解釈が異なる可能性があることを前提とすることが大切だと述べます。

エイジェンダーとは?

「性自認に関する言葉の表現や解釈、捉え方は、その人や時代、地域などによって異なることがある」という前提のもとで、武内先生は、現在の日本で「エイジェンダー」がどう表現され、解釈されているかを次のように説明します。

「エイジェンダー(agender)が意味しているのは、言葉の通りに読むと『ジェンダーがないということ』。当事者の感じ方としては、どのジェンダーにも自分が当てはまらないという感覚や、それ以外にも、ジェンダー・アイデンティティが男女のどちらでもないと捉えていたり、ジェンダーやジェンダー・アイデンティティという概念自体がない、もしくは自分を表すうえで意味をもたないということなどがあげられます」
「エイジェンダーを自認する人にも、この語に対するさまざまな距離感や手触り、感情をもっている人がいるのです」

エイジェンダーのように一般的に女性/男性という性別二元論によっては表さない性を自認する人、そのような性を生きる人を含むアイデンティティは複数存在しています。これらを包括する語、つまり“アンブレラターム”としても用いられているのが「ノンバイナリー」です。

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Courtesy of @the_crafty_queer

ほかにもノンバイナリーなアイデンティティには、ジェンダーは揺れ動くものだと捉える「ジェンダー・フルイド」や、二元的な性で自身を表現しない・定めない「ジェンダー・クィア」などが含まれると考えられています。

「中には、エイジェンダーかなと思ったけれど、さらにしっくりくる言葉に出合えたり、または自分で作ってみたりなど、さまざまな捉え方があるのだと思います」

「エイジェンダー」の歴史

them>によると、エイジェンダーという言葉自体は、インターネット上のフォーラムであるUseNetにおいて2000年頃には英語圏で確認されているそう。そしてその後、TumblrなどのSNSやインターネットを通じて広まったのではないか、と武内先生。

日本では1990年代後半から、性別二元論では表せない性を指す「Xジェンダー」という言葉が使われていました。これは当時、「FtX(Female to X)」「MtX(Male to X)」という形で用いられ、生まれたときに女性/男性と割り当てられた人が、二元論的に表せない性を自認することを意味していました。

そして2000年代には、Xジェンダーをさらに細分化する概念として、当事者の間で次のような言葉や表現が使われるようになっていきました。

  • 中性:女性や男性など、ある性別と別の性別の間にあたるどこかに属している
  • 無性:性別がないと捉える性
  • 両性:女性でも男性でもあるなど、自身に2つ以上の性を感じると捉える性
  • 不定性:自身の性が定まらず、揺れ動いていると捉える性
「日本においては、ジェンダーフルイド的な性のあり方は『不定性』という言葉で、エイジェンダー的な性のあり方は『無性』という言葉で表されてきたという歴史があります」

エイジェンダーとも重なり合う意味合いをもつ「無性」という言葉は、トランスジェンダー当事者のコミュニティや個人ホームページなどにおいて、2000年頃にすでに観察されていると武内先生。

「たとえば2002年には、自身を『中性』と表現していた人が後に『無性』という言葉で自分を表すことにしたというプロセスが書かれた個人のブログもありました。『中性』という言葉に感じられる“男女の中間”というイメージに共感ができず、『無性』という言葉を使用するようになったと明かしています」

日本でも近年、たとえば歌手の宇多田ヒカルさんがカミングアウトをして「ノンバイナリー」が知られるようになってきたのと重なる時期に、「エイジェンダー」という言葉が広まったのではないかと考えられます。

「おそらく2010年代後半以降、英語圏からの影響でエイジェンダーが使われるようになっていったはず」と、武内先生。とはいえ、日本に存在していた「無性」という感覚とエイジェンダーには重なるところがあるでしょう。

ジェンダーやセクシュアリティは、英語圏の言葉が日本にもたらされる形で紹介されることが多いですが、武内先生は「それによって、日本でさまざまな性のあり方を生きてきた人たちの経験を捉え損ねないことも大切」と話します。

トランスジェンダーとエイジェンダーの重なり合い

出生時に割り当てられた性別と、ジェンダー・アイデンティティあるいは自分が経験するジェンダーのあり方が異なる人を表す包括的な言葉である「トランスジェンダー」。

トランスジェンダーを自認する人の中には、女性/男性に性別移行をすることが自身の感覚と合うという人だけでなく、ノンバイナリーやエイジェンダーのように性別二元論に沿わない、あるいは性別をもたないと感じる人もいます。そのため「トランスジェンダー」は、ノンバイナリーやエイジェンダーのアンブレラタームとも考えられています。

ただし、武内先生によれば、当事者の感覚においては注意点もあるとのこと。

「メディアが二元的なトランスジェンダー当事者に焦点を当てることが多かったことによる影響などから、エイジェンダーの人がトランスジェンダーを自認しないこともあります」

エイジェンダー当事者が好む代名詞の例

代名詞とは、その人の名前の代わりに、対象となる人を指すのに使う言葉のこと。「彼女は今日赤いセーターを着ている」といったときの、“彼女”がこれにあたります。近年は多様なジェンダー・アイデンティティを表現するための方法のひとつとして、使われることが増えてきました。

まず武内先生が指摘するのは、「ある人のジェンダー・アイデンティティは必ずしも代名詞と結びつくとは限らない」ということ。それを念頭に入れて、ノンバイナリーやエイジェンダーという性自認にとって、代名詞はどんな役割があるかを考えます。

たとえば英語圏やその影響を受けた人は、次のような男女の二元論から外れた三人称代名詞を使う人もいます。

  • they
  • them
  • ze
  • ve

もちろんこれらの代名詞を使う人がすべて、エイジェンダーを含む、二元論的に表せない性を自認しているわけではありません。

「自分のジェンダー・アイデンティティが女性である、もしくは男性である人もthey/themを好んだり、あるいはshe/theyどちらでもよい、とすることもあります。エイジェンダーの人も、she/herやhe/himを好むこともあれば、they/themを使う人や、she/theyなど両方使う人もいます」
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Cat_Chat//Getty Images

日本語圏においては、“彼女”や“彼”といった代名詞ではなく、「○○さん」といったジェンダーを特定しない表現を使うこともできます。「ちゃん/くん」などジェンダーを特定する代名詞を使う場合には、その人の希望に合わせた呼び方をすることが重要です。

一人称の代名詞として日本語では、「私」や「俺」、「僕」「わし」「あたし」「ウチ」などの多様な表現が存在しています。そのうえで「一人称代名詞は二元的なジェンダーと結びつけられやすいので、自分で新たな表現を作っている人もいます。自分に合った一人称代名詞を使っている人が、ほかの人に否定されないことが大事です」と武内先生。

そして、外見からジェンダーを判断することはもちろん、代名詞だけでジェンダー・アイデンティティを判断することも避けましょう。

エイジェンダーの人のセクシュアリティについて

「性的な惹かれや恋愛的な惹かれをどのような人やモノに覚えるか、覚えないということと、自分がどのようなジェンダーで生きているか、自分のジェンダー・アイデンティティをどう捉えているかは別のこと」と、武内先生は説明。

他者への惹かれとその人が自認するジェンダーは“連動”するものではないので、エイジェンダーを含むノンバイナリーの人は、あらゆる性的指向をもつことも、または一切そういった惹かれを覚えないこともあるものです。

エイジェンダーのように「a」を接頭語につけた否定の形をもって表現されるセクシュアリティには、「アセクシュアル(エイセクシュアルとも。性的な惹かれを覚えないこと)」「アロマンティック(恋愛的な惹かれを覚えないこと)」などがあげられます。

※日本語圏ではアセクシャルという言葉が恋愛的な惹かれを感じないというニュアンスを含むこともあり、「これは当事者によってもはっきり区別をして心地が良い人とそうでない人とで分かれる」と武内先生は補足します

「アセクシュアル」も「アロマンティック」も他者への惹かれの経験について使われる言葉である一方で、「エイジェンダー」はジェンダーの実感の仕方を指すので、前述のとおりこれらは混同されるものではありません。

「重なり合う形で経験されることも」

一方で、「自分が何に対して惹かれるのか」と「自分がどのようにジェンダーを感じるか」ということは異なるトピックではあるものの、武内先生は「重なり合う形で、同時に経験されることもある」と言及。

「たとえば日常的な場面で、女性や男性の集団で恋愛について話すとき、異性への性的惹かれを覚えることが当たり前のこととして話が進むことがあります。思春期にそういった会話についていけないという感覚を覚える人もいて、その中で自分が“女性”や“男性”としてみなされていることを実感し、違和感をもつ自分にも気づいていく。シスジェンダーではないんだということへの気づきにつながることがあるとは思います」

そしてセクシュアリティは対象となる相手の性だけでなく、自身の性も含めて説明されることがあります。たとえば「同性愛者」「異性愛者」というとき、その人自身のジェンダー・アイデンティティもふまえて使われることもあると言えるでしょう。

武内先生は「もちろん人によりますが」と前置きをしたうえで、エイジェンダーの人が経験するセクシュアリティの傾向について以下のように述べます。

「エイジェンダーの場合、パンセクシュアル(全性愛)やデミセクシュアル(感情的な強い結びつきをもった相手にのみ性的な惹かれを覚える性)など、ジェンダーに包括性のある言葉のほうがしっくりくるという人もいます。これはノンバイナリーに含まれる、ほかのジェンダー・アイデンティティをもつ人にも当てはまると考えられます」

エイジェンダーはジェンダー・アイデンティティに関する概念であり性的/恋愛的な惹かれとは別のものですが、性的/恋愛的な惹かれに関する経験に、ジェンダーが複雑に織り込まれることもあるのです。

お詫び

この記事は、<コスモポリタン アメリカ版>の翻訳記事の制作過程で生じた誤訳や間違った情報を発信した誤りを受け止め、コスモポリタン日本版独自の取材記事として配信をしているものです。

経緯については、こちらで詳しく説明しています。

誤った情報を含んだ発信により当事者の方を傷つけてしまったほか、読者の皆様がより包括的で正しい知識に触れる機会を損ねてしまったことをお詫び申し上げます。

コスモポリタン編集部


監修: 武内今日子 東京大学情報学環特任助教

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東京大学大学院情報学環特任助教。博士(社会学)。専門はジェンダー・セクシュアリティ研究。非二元的なジェンダー・アイデンティティに着目してカテゴリー形成の歴史や日常的な相互行為について調査研究を行っている。