2022年6月にアメリカの最高裁判所が「ロー対ウェイド判決」を覆し、一部の州で中絶の権利が剥奪される事態になったことから、アメリカで高まっている「妊娠や中絶の権利をめぐる議論」。

今回、<コスモポリタン アメリカ版>からご紹介するのは、「子どもは欲しくなかった」という母親に育てられたとある女性(匿名希望)のエッセイ。“望まれない子”として生まれたという著者が、妊娠や子育てに対して思うこととは-。

子どもを持ちたくなかった母

「もし受精卵に意志があったら、誰しも産まれてくることを選ぶ」と主張する中絶反対派の人もいます。でも実際には、“望まれない”子どもたちは、母親の胎内で選択することはできません。

私は、子どもを望んでいなかった母親のもとに生まれたうちの一人です。冷たく孤独な子ども時代を過ごし、感情表現が苦手で、健全な人間関係がどのようなものか今でもよく分かっていません。これまでの経験から、誰しもが「親になること」を強制されるべきではないと強く思うようになりました。

昔から子どもを持たない人生を理想としていた母は、農園を経営したり、世界中を旅行したり、大好きな科学でキャリアを築くことを夢見ていたそうです。そんな母が、私の兄を産んだのは80年代のこと。避妊の失敗によってではなく、父と社会からのプレッシャーに押し負けたのです。

大学を卒業してすぐに、父と結婚した母。独立心の強かった母が、支配欲が強く、“伝統”を重んじるタイプの父を選んだのか、私にはよく分かりません。

一方で、父が母を選んだ理由は分かる気がします。「母親は、子どもを抱いたら母性本能が働く」という人がいますが、きっと父も母がいつか考えを変えると思ったのでしょう。時間が解決しないのなら自分が説得しよう、と。そうして父の説得の甲斐あって、二人の子ども(兄と私)が誕生したのです。

母は私たちを育てるために仕事を辞めました。そのことを、母はいまだに受け入れていないように思います。

今でも思い出す、母のため息

外から見れば、私たちは普通の家族でした。庭つきの一軒家は理想の家庭の象徴としてよく描かれますが、 そんな家に育ち、公園で遊んだり、ピクニックもたくさんしました。

でも、それだけが家族の真実ではありませんでした。

私は、ジュースをこぼしたり、ひざをすりむいたり、くり返し同じ歌を歌ったり…といった、子どもがやりがちなことでも怒られ、罰を与えられていました。母が私に向けていた軽蔑の眼差しや大きなため息、イラついているサインの数々は、今でも鮮明に焼きついています。

最も幼い頃の記憶の一つは、トイレトレーニングを始めた頃のこと。自分で上手くおしりを拭けなくて、トイレに母を呼んだときのことです。母の目に表れた怒りを思い出すと、今でも胸が締めつけられます。

手のかかる幼児に、絶えず何かしらを要求され続けていた母は激怒し、みじめな気分になっているようでした。その時の母の様子を、私は今でも忘れることができません。

そして、こういった子ども時代の経験に大きな影響を受けていると私が気づけたのは、 30代に入ってからでした。

母と息子

“完璧”な子どもを目指して

生き延びるために“母親からの愛情”が必要だと分かっていた子ども時代の私は、暗号を解読するように彼女の反応を学習しました。母をイラつかせなければ、私が“完璧”だったら、すべてはうまくいくのです。

母は、私のために何かすることを嫌っていたので、自分の要求を押さえつけ、できるだけ早く自立するために努力しました。場の空気を読み、争いごとを避け、母の快適さをなによりも優先しました。

自分の気持ちをおさえて、他人の機嫌をとろうとするくせは、あれから何十年たっても変わりません。8年生のときの文集では、「最も大人っぽい生徒」として名前を挙げられるほどでした。

私が母に受け入れられ、愛されるためには、明確な理由を彼女に示さなければならないし、そのためには誰よりも優秀じゃなきゃいけない――というのが、小さな子どもの頭で考えついた結論でした。

もし自分がいい子なら、つまり、優等生で礼儀正しく、愛想がよければ、母の怒りを回避できると考えたのです。

遊んでいてフェンスにぶつかってケガをしたり、本に書いてある知らない言葉の意味を親に尋ねたり…といった、子どもにとって自然なことでも、母をイラっとさせる原因でしかなかったからです。

side view of depressed girl sitting on floor at home
Ricardo Bacili / EyeEm//Getty Images

今でも残る、数々の影響

大人になった私には、様々な影響が残りました。

  • 自分の価値を周りからの評価によって決めてしまうこと
  • 見捨てられることへの恐怖
  • 傷つきやすいこと
  • 誰かと親しくなり過ぎることへの嫌悪感
  • 自分の欲求を口にすることの難しさ
  • なんでも自己解決してしまうこと
  • 助けを求めることに対する羞恥心や罪悪感
  • 無条件で愛してくれる人がいることへの疑い など。

私の経験は、思ったよりも珍しくはないようです。成人の40%が「不安型の愛着スタイル」を持つと言われていますが、その主な原因として挙げられるのが、主たる養育者から欲求に応じてもらえず、親しい情緒的な結びつきを形成することに失敗した、ということ。

そしてこれは、残りの人生における目標や希望、物事への対処方法、人間関係に大きな影響を与えるものなのです。

close up portrait of woman
Jacqueline Vd Berg / EyeEm//Getty Images

社会や周囲による女性へのプレッシャー

誤解のないように言うと、私は母を責めているのではありません。母の欠点を晒しあげたり、自分の生い立ちについて泣きごとを言いたくてこのエッセイを書いたわけではありません。

私の不満なんて「たいしたものではない」と言う人もいるでしょう。たしかに、身体的な虐待はおしりを叩かれることくらいで、食べものや住む家、衣服といった基本的欲求は常に満たされていました。それに、父の方が子どもを欲しがっていたのに、私たちに安全や愛情を与えるのが母親だけの仕事だとされていたことにも、今の私は疑問を抱きます。

周囲や社会から当たり前に「女性は子どもを産み育てること」を期待され、一人の人間としての夢や願望を諦めざるをえなかった時代は、母のような境遇だった人も少なくありません。女性たちの中には、社会的なプレッシャーによって母親になることへと追い込まれていった人もいたのです。

実際に、「子どもを持たない選択」というのは最近になって高まった価値観なのです。2013年に出版された<タイム誌>で、子どものいない人生を“新しい生き方”として特集しているくらいです。

そういった時代を生きた両親には、悪気はなかったかもしれません。子どものために自分の人生を諦めるしかなかった母を思うと悲しい気持ちになりますし、子どもを育てることを好きになれなかった母を責めることができません。それでも、子どもには「自分の存在は重荷なんだ」という思いは残ってしまうんです。

実際のところ、「子育ては楽しいことだらけではないし、何よりも、誰にでも向いているわけではない」という根拠は世の中にたくさん存在しています。それにも関わらず、ほとんどの場合は、その事実は認められていません。

代償を払うのは「子ども」

中絶を許されなかった女性たちを対象にした長期研究「Turnaway Study」は、明らかな事実を裏づけています。中絶を許されなかった女性の子どもたちは、人生に困難を抱えやすいのです。

また2014年に発表された「予期せぬ妊娠に関する研究」でも、次のように記されています。

「もし彼らの母親たちが、もっと親になる用意ができていたら、時期をまちがって生まれた子どもたちの人生は、いちじるしく改善されていたことだろう」

私は、カウンセリングやセラピーを受けつづけ、少しずつ不健全な対処メカニズムから抜け出すことができました。それでも私とパートナーは、子どもを持つかどうかまだ決めていません。

私たちが子どもを持つと決めるときは、何かしらのプレッシャーからそう強いられたからではなく、私たちを待っている大変な子育てにも労をいとわないという心の準備ができたときです。

そして、誰しもが親になることを強制されるべきではありません。性的暴行や近親相姦による被害、母体への危険、あるいは避妊の失敗などの状況になかったとしても、親になりたいかどうか、親になる準備ができているか、その確信がないまま生まれ育てられる場合、その代償は子どもが払うことになるのです。

※この翻訳は、抄訳です。
Translation:mayuko akimoto
COSMOPOLITAN US