ニューヨーク出身のモデル、アマンダ・ブースさんは、2年前に男児を出産。息子はダウン症と診断されました。今日に至るまで、彼女がどんな思いで息子を守り育ててきたか、その詳細をコスモポリタン アメリカ版に語っています。

私が自分たちの話をするのは、否定的な態度をとる人たちのためではなく、それを必要とする人たちのためで、きっとその思いは届くだろうと思ったのです。

「なぜ、誰にでも健康な赤ちゃんが生まれると思うのか、考えてみると不思議です。自分自身がそうだったのですが、とても自己中心的で無邪気だったと思います。息子のマイカが生まれた時、多くの合併症やその疑いがありました。でも、息子の生命力の強さを知ったのはその時でしたし、彼が私自身の力にも気づかせてくれました。私は今もダウン症についてあまりよくわかりませんが、マイカのことはよく知っています。

最初から話しますと、私は助産師のヘザーとともに、自宅で自然分娩をする予定でした。夫のマイクと私は、遺伝子検査を受けないことにしていました。どうでもいいと思っていましたし、マイカに染色体異常が見つかるなんて夢にも思わなかったのです。ただ、息子の心音が弱かったので、何度もモニターでチェックしました。専門家の中にはマイカの体が小さいからだろうとか、私の胎盤が"衰えて"石灰化し始めているせいだと言う人もいました。さらに2週間モニタリングを続けた後、ある専門家が言ったのです。『病院に行った方がいいわ。今すぐ』。こうして、私の自宅出産の夢は脆くも崩れ去ったのでした」

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「常勤の小児科医が初めて我が家を訪れ、遺伝子検査を受けたことがあるかと聞きました。私たちは自信を持ってこう答えました。『いいえ。私たちはそういうことを気にしていませんから』。エリスロマイシン(盲目になるのを防ぐため、新生児に適用する抗生物質の一種)の使用を拒否したときと同じように確信を持っていましたが、これについても質問されました。『なぜ?赤ちゃんを傷つけるものではないわ』と他の医師達も言いました。私たちの方針は、医療介入はなるべく最小限に、というものでしたが、そうはいかなくなることは肌で感じていました。 この小さな子を守るための、長い闘いはもう始まっていたのです…。

出産後、病室に運ばれると、例の常勤小児科医から出た最初の言葉は、『あなたの赤ちゃんはダウン症だと思います』。彼女によると、マイカの斜めを向いた目がその証拠だとのことでした。でも、私の夫は半分メキシコ人で、斜め向きの目をしています。心電図をとることには同意しましたが(ダウン症の赤ちゃんの50%は先天性の心臓機能障害を持っています)、生まれたばかりのいたいけな我が子から4本分もの血液を抜きとって、検査をしてもらいたくありませんでした。だから、検査は拒否しました。やはり、私たちにとっては大した問題ではなかったのです。

マイカの心電図はまったく問題がなく(ラッキーでした)、3カ月が過ぎました。彼はすくすくと育っていましたが、時々、もし息子が"そうだったら"と考え込むことがありました。私たちはマイカのために、新しい小児科医を探すことにし、ケイトリアイ医師と出会いました。彼は、マイカが3カ月を迎えた時点で検査したいと話していたので、この頃に検査を頼みました。というのも、もしダウン症だった場合、その頃に医療的な措置が必要になってくるからです。1カ月後、彼は検査結果を知らせに我が家を訪れました。私たちにはすでに覚悟ができていましたが、ケイトリアイ医師の思いやりや理解によって、その覚悟はさらに強くなりました」

黒ずくめの水曜日。

「本当に、ケイトリアイ医師のような素晴らしい小児科医に出会えて、私たちは幸運でした。診断を受けた初日から、彼は息子に野菜や果物を中心とした自然派の食事を与えるよう指示しました。ビタミンやミネラルを山のように摂取したところ、息子は飛躍的に健康になりました。数カ月に1度血液検査を受け(息子はもう十分大きくなったので)、甲状腺、鉄分、血液細胞、膵臓機能等々、様々な項目を検査していますが、ケイトリアイ医師は"どうにかやっていく"ことで満足したりはしません。例えば、ダウン症児にはよくあることなのですが、マイカには歯がなかなか生えて来ませんでした。診察の際、彼に指摘されたので、『でも、ダウン症の子にはよくあることですよね?』と答えると、すぐさまこう切り返しました。『理由をご存じですか? 歯の成長が遅れるのは、甲状腺の機能とも関係しているのですよ』。そこで、マイカの甲状腺を調べ、薬の量を変更すると、なんとびっくり! 歯が生えてきたのです! 同じ考え方を持つ、協力的な人々に囲まれているのは、素晴らしいことです。現代の、柔軟な社会に生きられることに感謝しています。とはいえ、その後も困難は続きました。

特別な支援を必要とする子の親として数カ月を過ごした頃、私たちはSNSを始めることにしました。主な理由は、私自身が他の人がアップした子どもの写真を見るのが大好きだったので、自分も同じことをする責任を感じたこと。もっともそれまでの間、マイカの世話をしながら、私は考えていました。私自身、ダウン症にはなじみがなかったから情報を知りたいけど、インターネットは恐い場所でもある。だから、個人から直接話を聞くことができるインスタグラムで情報を仕入れることにしようと。

調べてみると、私はたちまちそこに写っているダウン症の赤ちゃんたちやその両親たち、そして彼らが注ぐ愛情に胸を打たれ、私も一翼を担わなければと思うようになりました。人々がどんな反応をしようと、恐くはありませんでした。私が自分たちの話をするのは、否定的な態度をとる人たちのためではなく、それを必要とする人たちのためで、きっとその思いは届くだろうと思ったのです。だからと言って、最初の挑発的なメッセージに胃が縮む思いがしなかったわけではありません。私は息子を思って泣きました。でも、予定より少し早く、今後彼を待ち受ける闘いを知ることができただけなのですから、これでいいんです! 私には、彼が成長して浴びることになる否定的な態度を前もって学習しておく必要があります。彼がそれに負けないように、胸を張って、彼を理解できない人々をも理解し、愛する勇気を持って生きられるよう、私が育てなければならないのですから

びしょぬれの私たち。

「ダウン症については、かなり時代遅れの認識があり、人々はもっと真実を知る必要があると感じます。出生前検診による中絶率は、驚くべきものです。でも、もしダウン症児が実際にどんな生活を送っているか、少しでも知っていたら、その数字はもっと低下するでしょう。前にも話しましたが、私は遺伝子検査を一切拒否しました。私は自然がもたらすものをそのまま受け入れたかったのです。命は生まれるべくして生まれるものであり、私が何らかの操作をしてはいけないと思ったのです。検査を受けなかったのは、どんな検査結果が出ようと、気持ちに変わりはないからです。私は、自分たちがそれぞれ皆違うとわかっていますし、大多数の人々が検査を受けることに異を唱えるつもりはありません。ただ、マイカのような人間に、手を差し伸べ、肩を貸し、くもりのない目で見てくれるよう、心から願っています

「マイカは一般的な子どもとは違いますが、想像していたような違いはありませんでした。息子はいつも私の目をじっと見つめているので、彼と私の間にあるつながりをはっきり感じることができます。彼の心の内は、言葉を介さなくても強く伝わって来るので、そこにいる誰もがそれを感じられるほどです。この世界には、闇が広がっています。だからこそ、私たちは善いものの存在を思い出さなくてはなりません。マイカは善です。私はただ、この善きものを広めるお手伝いをしているにすぎません。

私の生活は、かつて想像したこともなかったほど変わりました。出産後6週間もしたら仕事に復帰し、かつての生活を再開するつもりでした。典型的な夢見る若者、ですよね? だから、マイカに対する責任の重さを自覚するのは、大変なことでした。私は彼が生きていくために、彼の背中を力強く押し、私が持っている知恵をすべて授けなくてはいけないのです。私は人生において常に努力してきましたから、やっただけのことが返ってくることは知っていました。マイカが"出来ない"ことをただあきらめるなんて、考えられません。私は息子がなんとなく生きるのではなく、常に前に進めるよう、努力してきました。世の中は目まぐるしく動いていますが、私たちはそうではないだけです。

マイカが元気いっぱいのやんちゃ坊主に成長した今、私の親としての役割は少し変わりました。私は、息子のために口を開くことにしたのです。人々に、私の息子をありのまま見て欲しい。彼の持っている力を知り、成功のチャンスを与えてやって欲しい。彼が人々に向けている愛情を見逃さないで欲しいのです。

マイカ、ママはこうして、あなたの前に横たわる偏見と闘ってるのよ。この世界に、愛と絆より強いものがある? 困難がなければ、人生はつまらないわ。マイカ、これからも大変なことはあるけど、あなたが懸命に生きて、前に進む姿を見られたら、ママはそれだけで嬉しいの」

※この翻訳は、抄訳です。

Translation:mayuko akimoto

COSMOPOLITAN US