毎年11月の第4木曜日は、アメリカで最も重要な祝日の一つ、“サンクスギビング・デー”こと「感謝祭」。

感謝祭には、各家庭によってマカロニ&チーズやスタッフィング、インゲン、カリフラワーなど様々なバリエーションの料理がテーブルに並びますが、「七面鳥(ターキー)」を除く定番料理の多くは、初期の頃から続いているもの。

一方で、信じられないかもしれませんが、家庭で何時間も(あるいは何日も)かけて作る感謝祭の定番料理である七面鳥は、おそらく1600年代には食卓に並んでいなかったと考えられます。

では、なぜ感謝祭に七面鳥を食べるようになったのでしょうか? この日に七面鳥を食べる本当の理由や歴史、食卓に並びはじめた当初のレシピなどをご紹介!

感謝祭の歴史

1621年に巡礼者たちが感謝祭を祝ったことが始まりと言われていますが、アメリカでこの日が国民の祝日になったのは、1863年にエイブラハム・リンカーン元大統領が宣言してからのこと。

詩人、小説家で雑誌編集者のサラ・ジョセファ・ヘイルは、南北戦争中に平和を促進するため、リンカーンおよび4人の歴代大統領に、感謝祭を祝日と制定するよう請願しつづけており、40年近くの年月を経て実現に至ったといいます。

また、その2世紀以上前となる1620年、迫害されていた宗派に属していたイギリスのプロテスタントの巡礼者たちが、北アメリカ大陸(現在のマサチューセッツ州)に到着。その翌年、最初の冬を生き延びた人々が、感謝の気持ちを捧げるためにこの日を祝ったことが起源とされています。彼らにとって感謝祭とは、断食と祈りを捧げる信心深い日であり、おそらく春に行われていたと見られています。

感謝祭のオリジナルのメニューは?

食卓にたくさんの料理を並べる現代の感謝祭に比べて、当初の感謝祭の料理はかなり質素なものだったそう。主食のトウモロコシは穂軸についたまま、あるいは穀物としてパンに混ぜて焼いたり、挽いて粥にしたりして食べていたとされ、主なタンパク源は鹿肉、その次に野鳥として七面鳥が入手されてたもよう。

これらの料理以外のメニューは謎に包まれていますが、スミソニアン博物館によれば、当時の七面鳥の詰め物は、パンではなく、玉ねぎとハーブだったとのこと。

最初の感謝祭に参加した人々は、マサチューセッツ州の海岸付近に住んでいたため、テーブルにはイセエビや甲殻類、ハマグリ、ウナギなどの魚介類もたくさん並んでいたと想定されます。また、当時はクルミやブナの実と一緒に、栗も食べられており、現在の定番料理であるパンプキンパイはなかったものの、カボチャやウリ類が食卓に並んでいたと考えられています。

感謝祭になぜ「七面鳥」を食べるのか?

巡礼者たちが七面鳥を食べたかどうか定かではないのだとしたら、七面鳥を食べる伝統はいつ生まれたのでしょうか?

きっかけは、前述のサラ・ジョセファ・ヘイル。彼女が編集者として携わっていた雑誌<Godey's Lady's Book(ゴディのレディズブック)>の誌面で感謝祭のレシピやメニューを紹介し、主婦たちが感謝祭の食卓に興味をもつよう工夫したのだそう。ヘイルは「感謝祭がどうあるべきか」というアイデアと楽しみをアメリカ人女性の心に植えつけ、それらのメニューを子孫へ伝えていく世代に影響を与えました。

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Transcendental Graphics//Getty Images
『Godey's Lady's Book』に掲載された1860年代当時のファッションページ。

感謝祭と聞いて連想される、七面鳥のローストとセージのドレッシングや玉ねぎのクリーム煮、カブのマッシュ、その頃は外国料理だったマッシュポテトなどの料理が、当時の同誌の感謝祭のページに掲載されていました。ヘイルはその後、現在の感謝祭の食卓にも並ぶようなレシピをたくさん紹介した料理本を何十冊も出版しており、大切な祝日の食卓に影響を与え続けてきたのです。

From: ELLE JP