『007』の世界に憧れていた少女が、国をまたいで諜報活動をする正真正銘のスパイに――。“長すぎる”面接、まるで軍隊のように厳しい訓練など、あらゆる試練をクリアし、アメリカ中央情報局(CIA)の諜報員として目の当たりにしたものとは…?

ビル・クリントン大統領やジョージ・W・ブッシュ政権のもと、1998年~2003年までCIAで諜報活動に従事した経験を綴った『わたしはCIA諜報員だった』(集英社文庫)の著者リンジー・モランさんが話すには、「実際のCIAでの生活は、映画とは異なります」とのこと。秘密に覆われたCIAで女性スパイとして働く実情に迫りました!


【INDEX】


『007』に憧れた少女の夢

―いきなりですが、なぜスパイになろうと思ったのですか?

小さな頃、『007』や『ハリエットのスパイ大作戦』が大好きで、スパイになることを夢見ていました。それに、私は小さな頃から、ヒッソリと誰も知らない計画を実行することにワクワクする性質で(笑)。学校では友達と暗号を使った手紙交換をしたり、両親や近所の人の秘密を詮索していました。

ハーバード大学に入学した頃には、この夢は忘れるどころか、どんどん大きくなっていきました。そんなある日、CIAに履歴書を送ったら、「インタビューに来てほしい」と電話があって。これが他では類を見ないほどの“長すぎる”面接の始まりでした。CIAは1年以上かけて、私の心理をチェックするテストを実施し、幼稚園時代の友達や近所の人に私のことを質問するなど、徹底的な身元調査をしてきました。

その後、晴れて合格したものの、「CIAで働いている」と言うことは決してできず、表向きは無名の会社で事務をしていると言っていました。なので、一流企業に入社していく大学時代の同級生と話すときに、自分の本当の職業を言えないことは、とてももどかしかったですね。

CIA元諜報員が語る、「女性スパイとして働くこと」pinterest
Lindsay Moran

―CIAは「完璧なエリートたちが揃う組織」という印象があります。入局した当時の印象はどうでしたか?

どこかに「誰も信じてはいけない」という感覚があった

初めてCIAの本社に足を踏み入れた瞬間、「アメリカを守る」という自尊心と、誇りを感じていました。それに、これから始まる冒険にワクワクしていましたね。

ただ、入ってからは正直、印象が覆されました。以前は、私も完璧な機関だとイメージしていたのですが、入社直後、権威主義的な面や出世競争を繰り広げる同僚たち、予算の無駄遣いなど、リアルな一面が見えてきて…。私たちが入手する情報も時には真実ではなかったり、不要なものだったり。そういうことを目の当たりにし、結局は人によって成り立っている組織だと感じました。それに同僚との関係も、どこかに「誰も信じてはいけない」という感覚がありました。

正真正銘のスパイへ

―その後、精神的にも肉体的にも厳しいトレーニングが待ち受けていたそうですが…。

大きく分けて2種のトレーニングを受けました。

ひとつ目は準軍事的なトレーニング。内容は、車やボートを超高速スピードでレースする練習、格闘術、捕虜になったときのシミュレーション、武器の使い方、飛行機から飛び降りる訓練、車の下などに隠れている爆発物を察知するトレーニングなどです。想像以上に、身体的にも精神的にも限界に追い込まれるので、パニックに陥って辞めていく同僚もいました。一方で、私は「一日、一歩ずつ成長している。私は今、頑張っている」と状況をポジティブに捉えていました。そこで、厳しい状況に追い込まれても、自分は「冷静でいられる」人間だと知ることができたんです。

そして、ふたつ目がスパイとしてのテクニックやノウハウを学ぶトレーニング。極秘情報を握る人にスパイになってもらうよう説得する方法、嘘のつき方、スパイと怪しまれて尾行された時の対処の仕方など。ちなみに、そういった際、映画でよく見るような激しい格闘シーンはありません(笑)。実際は、いかに冷静に“一般の人”を装えるかが大切なのです。

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lindsay moran

―厳しいトレーニングを終え、初めて諜報員として派遣された場所は東欧ですよね。実際に諜報活動をした時のお話を教えてください。

昼は外交官、夜はスパイ

私の任務は海外に行き、まず外国政府の機密情報にアクセスできる“協力者”を探しだすこと。そして、その人たちに近づき、諜報活動を手伝ってもらうよう説得するんです。この工程を「リクルート」と言います。そして、この現地で情報を提供してくれるスパイを「エージェント」と呼び、私は彼らの安全を保護しながら、機密情報を得るのです。

初めての派遣先はマケドニア。昼は表向きの役職、外交官として働きながら「リクルート」をし、夜はスパイ活動をしていました。

夜のスパイ活動は、女性にとって少し難しい一面もあります。仕事内容はエージェントと車内、ホテルの部屋、レストランなど様々な場所で密会し、情報を得てノートに書きこんでいくこと。その為、相手が男性の場合“誤解”されることがほぼ毎回です。密会するときは、陰に潜んでいるエージェントを車でコッソリ迎えに行くのですが、その時に彼が大きな花束を用意していることもあって(笑)! このように女性でスパイとして働く同僚は、皆同じ問題に直面していました。

でも同時に、エージェントとの関係は親子にも似ています。私は彼らの安全を守る責任があり、彼らが負っている莫大なストレスや不安に共感を持って耳を傾け、安心させてあげないといけません。彼らは最悪の場合、殺される可能性もあるので「エージェントの身に何かあったら…。」と、常にストレスを感じていました。

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lindsay moran

―心が休まる瞬間がないような印象を受けます。私生活でも相当ストレスがあったのでは…?

“若い女の子の日常”が羨ましかった

そうですね。特にデートをするのは一苦労です。誰かとデートをする場合、その相手の情報を収集してCIAに送らないといけません。そしてCIAがその人物がスパイでないか身元調査するのです。
それに、部屋の中に隠しカメラや盗聴器が仕込まれているのでは、という心配も常にありました。バカンスに出かけても、自分の任務のことが頭からはなれず、パラノイア(妄想症)の状態になっていましたね。たまに同世代の友達と会うときは、普通に“若い女の子の日常”を楽しむことができる彼女たちに、すごく羨ましさを感じていました。

CIAに感じた疑問と退局後

―その後CIAを辞められたそうですが、その理由は?

危険を冒せるのは「役に立つ、良いこと」と信じられる任務だけ

マケドニアでの任務の後アメリカの本社に戻り、イラク戦争の準備に関する仕事をしていたのですが、徐々にCIAで働くことへの疑問が強くなっていきました。
9.11に関して言うと、CIAはこういった事件を事前に防止するはずの機関です。それにオサマ・ビンラディンを探すのに10年も時間をかけるべきではありません。そして、その間にISISなどの新しいテロリスト集団が現れました。

また、アメリカが自国の利益のためにイラクで混乱を生みだしたこと、そしてCIAが拷問をしていることなども耳に入り…。私はアメリカが善な国だと信じて育ったのですが、「悪いこと」に加担する機関では働いていけないと感じたのです。スパイとして、どんな激務や危険を冒すことにも問題はありません。でも私にとって、それは「役に立つ、良いこと」と心から信じられる任務のためにだけ。

それでCIAを退局し、今は「Environmental Investigation Agency」という機関で働いています。環境保護を目的とした機関で、仕事内容は、環境破壊をする人や会社の悪事を、スパイ活動を通して暴くこと。CIA時代に鍛えられたスキルを、地球市民として、次の世代に生きる人々のために活かせることに心からやりがいを感じています。

―最後に、CIAでの経験は、あなたの人生にとってどんな意味を持ちますか?

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James Kegley

素晴らしい人々に出会い、貴重な経験ができたことに感謝しています。でも、多くのCIA時代の同僚たちから、「私も、あなたのように辞める決断をするべきだった」と言われました。なぜでしょう。最近では新しい長官ジーナ・ハスペル氏の拷問に関与した過去が論争を招きました。拷問をするということは、人間性を失った地点に到達したということ。

私は「自分の中の本当の“私”を失いかけている」と感じたから退局しました。でも、CIAで働いたことに後悔は全くありません。今いる場所や、もっと明確な「本来の自分」に導いてくれた、大切な人生の一ページだから!


始終、どんな質問にも誠実に、丁寧に答えてくれたリンジーさん。そんな姿勢から「人間性」を大切にした生き方を選んだ彼女の、芯の強さと優しさが伝わってきました!

【リンジーさんから学んだ心を大切にして生きるコツ】

・厳しい状況に直面したら、自分の成長を確かめポジティブマインドをキープ。

・本心に耳を傾け、自分を見失うと気が付いた物事からは手を引く決断を。

・自分が“心から”納得できる仕事なら、“心から”やりがいを感じられる。