人気プラスサイズモデルとして、またボディアクティビストとして、これまでのメディアが理想としてきた画一的なボディ・イメージに改革を起こしているイスクラ・ローレンス。彼女のInstagramや発言は、世の中に大きな影響を与え、多くの人々から共感を得ています。とはいえ、彼女にもモデルとして求められる体型に苦しみもがいた過去が。今、ありのままの体型を受け入れたイスクラが、大切なメッセージをコスモポリタン アメリカ版に語ってくれました。

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イスクラは“ぽっちゃりした子ども”だったと言います。食べることが大好きで、まるまるとしたお腹をしていて、でも子どもだった頃は、それを悩むこともなかったそう。

「両親にとても愛されているのを感じていたから、全然気にしていなかったわ」とイスクラは振り返ります。

そんな彼女も年頃になると、ファッションに興味が出てきて、ファッション雑誌をよく読むように。そのとき『エル・ガール』誌で行われた“スーパーモデルを探せ”コンテストに応募。イスクラは優勝こそできなかったものの、モデル・エージェンシーにスカウトされ、テスト撮影や小さなファッションショーの仕事を始めることになりました。「大好きなファッションの世界には興味があったし、私もそんな世界に携われたらいいなと思っていたの」。

けれど、当時のイスクラは、比較的スリムな体型だったにも関わらず、そのままでは不十分なのだと思い知らされます。「6カ月ごとにヒップのサイズを測られたの。憧れのモデルたちを見ては“絶対にこの体を変えて成功するんだ!”って思ってた。敵は、自分の体型だった。なんとかサイズダウンしなきゃ、と思って毎日が闘いだったわ」。

いつしかそれが強迫観念のように頭にこびりつき、体重や体のサイズをはかる日々。そして、消費するカロリーより口にするカロリーの方が少ない生活を送っても、用意された服のサイズが着られず、エージェンシーもクビに。新たなエージェンシーを求めて8カ所に応募しましたが、すべて不採用。どのエージェンシーもイスクラを見て、体型がカーヴィーすぎる、女っぽすぎる、成熟しすぎていると言ったそう。「いつだって言われる言葉は“〜すぎる”だったの」とイスクラは語ります。

自分の体型にもがき続けること4~5年、イスクラはついにプラスサイズモデルの道を見つけ出しました。ところがエージェンシーを訪ねると、今度は「細すぎるから服のサイズをあと2つ上げないとダメだ」と言われたとのこと。これがとどめだったとイスクラは言います。彼女は「変わらなければならないのはファッション業界だ」と気づいたのです。

一部の世界の既成概念でしかない、“理想的なサイズ”に自分を当てはめるために、私は5年も6年も、多くの犠牲を払い続けたわ。でも一度もうまくいかなかった。認めてもらえないつらさがモチベーションになっていったんだと思う…周りに否定されるたび、闘う準備ができていったの」

自分を変えるより、業界を変えたい。

ファッションビジネスに、これまでとは違う取り組み方があることを示したいと思うようになったイスクラは、まず自分の精神面や感情を見つめ直すようにしました。すると、いろいろなことに気づきがあったと言います。例えば、ワークアウトは細くなるためだけのものではなく、自信に自分が持てるようにするためのものでもあるとわかったこと。

ありのままの体を愛し始めると、徐々に仕事も増えていったそう。理由は、彼女のサイズのモデルが他にいなかったからでした。

こうして今日の自分に辿りついたイスクラは、最後にこんなメッセージをくれました。「自分を愛しながら、自分と向き合ってみて。気分がずっと明るくなるはず。それができたら、人生が今よりずっと素敵なものになるから!」

※この翻訳は、抄訳です。
Translation:中尾眞樹(Office Miyazaki Inc.)
COSMOPOLITAN US