自分の人生は、自分でしか生きられないし、どう楽しんでいけるかは、毎日の選択と気持ち次第。どんな生き方だって、自分で選んできている人は、いつだって魅力的に見えるし、自然と心惹かれるもの。コスモポリタン日本版では、人生を謳歌しているさまざまな女性の生き方を紹介していきます。

フレデリック・エルネスティン・グラッセ・エルメさんpinterest
ROBERTO FRANKENBERG

フレデリック・エルネスティン・グラッセ・エルメさん(フードコンサルタント、料理執筆家)

11月初旬、気まぐれな雨が降るパリ。シャンゼリゼ通りから脇道に入って進むと、アパルトマンとカフェが並ぶパリの日常風景が広がる。ある一軒のアパルトマンのベルを鳴らすとドアを開けてくれたのが、ブロンドの美しい髪と、レオパード柄のワンピースが印象的なフレデリックさん。

75歳の現在、彼女は高級レストランやホテル、食品ブランドのコンサルタント、美術館での展示会、本の執筆、TV出演などマルチに大活躍。74歳でその功績が称えられ、レジオン・ドヌール勲章(フランスの最高勲章)を昨年受章した。

アラン・デュカスの右腕として約30年間一緒に働き、20歳近く年下の元夫ピエール・エルメをはじめ、フランスの超一流シェフたちに、その「創造性」や「鋭い感性」を頼りにされている唯一無二の存在。

そんなフレデリックさんのモットーは、「挑戦は待たずに、自分から仕掛けること」。

人生100年時代と言われる現代、フレデリックさんのように生涯現役で、ワクワクとした毎日を過ごすための秘訣を直撃しました!

ミシュラン3ツ星シェフたちの「勝利の女神」

――フレデリックさんの名刺には、「料理思想家」と書いてあります。幅広く活動をされていますが、現在取り組んでいるのはどんなことですか?。

人生100年時代! 「チャレンジし続ける」75歳のフランス料理界のミューズpinterest
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今年9月、パリにオープンしたイタリア料理レストラン「Cucina」

一番最近の仕事は、アラン・デュカスが今年9月にパリにオープンしたイタリア料理店「Cucina」、そして3ツ星シェフのクリストフ・センタ―ヌが開いたレストラン「Papillon」のアーティスティック・ディレクターを担当したこと。

あとは「アート×フード」の活動。今まで、グラン・パレやポンピドゥー・センターで展覧会を開催したわ。料理の本も、33冊出版したの。

――20代、30代の頃は異業種にいたそうですね。当時はどのように働いていましたか?

リスクが私にモチベーションをくれる。昨日よりも今日、もっと自分を成長させたい。それには、ただ挑戦するのみ!

当時は映画専門の雑誌で働いていたの。イギリス系の雑誌だったんだけど、英語がまったく話せなかったのに飛び込んで…(笑)

はじめはタイプライターとして入社したのに、翌月の雑誌を開くと私の名前の下にジャーナリストと書かれていて! 編集長に聞いたら「きみ、明日からジャーナリストとして働きなさい」と言われたの。文章の書き方がまったく分からなかったから、かなりのチャレンジだったわ。

その後に異動した雑誌では広告部長になった。でも正直、まったくと言っていいほど広告の知識はなかったの。

今振り返ると、私のキャリアは一貫して「挑戦」の連続だったわ。私は、昨日よりも今日、もっと自分を成長させたい。それのためには、チャレンジに挑むことが大切なの。

一方で、20代の頃は無知だった。30歳で自分自身や仕事のことを一度振り返ったとき、自分に価値を見出せず、不安に襲われたこともあったわ。でも、そんなときにある男性に出会い、「泣くのはやめて、目を覚ましなさい! 世界の美しいものを見て、吸収するんだ」と言われたの。

25歳のアラン・デュカスが作ったパスタが、38歳の私の人生を変えた!

――いつから「料理の世界」に入ったのですか。

初めて料理に魅了されたのが、30歳の頃。以前は、食に特別に興味はなかった

料理が、私の人生に大きな影響を与えた瞬間が何度かあったわ。まず、初めて料理に魅了されたのが30歳の頃。以前は食に特別に興味はなかった。でも、前述の男性との出会いが、私の「食の世界での冒険」の扉を開き、今に至っているの。彼は有名シェフの友達が多い食通で、私に最高の「食」と「文化」について教えてくれたから。

2つ目の大切な出合いが、1981年、南仏のホテルのレストランを統括していたアラン・デュカスが作ったパスタ。当時私は38歳、広告の仕事でカンヌ映画祭に参加した際に友人から、「近くのホテルに、アラン・デュカスという25歳の男の子がシェフを務めるレストランがあるからぜひ行ってみて」と勧められ、すぐにランチをしに行ったの。その日オーダーした一品が、「マルシェから帰ってきたパスタ」。セミエビ、ジャガイモ、豆、ズッキーニの花のフライなど、新鮮な11種の材料のバランスが絶妙で…。あまりのクオリティの高さとアイデアの斬新さに、雷に打たれたようだった。このパスタが、私の人生を変えたわ!

当時、一般的にパスタに何種類もの野菜を加えるという発想がなかったから、この「海(セミエビ)」と「土(野菜)」の食材のハーモニーに衝撃を受けたの。あまりの驚きに、映画祭での仕事に行くのを忘れてしまったほど…(笑)

その後、アラン・デュカスが通うカンヌのマルシェに毎朝通い、一緒に働きたいとアプローチした。答えは、「No」。その後も何度断られても、諦めずに頼み続けたの。そしてようやく8年後、キッチンに招いてくれた。その後は、モナコのレストラン「ルイ・キャーンズ」で、アラン・デュカスに料理を作る専属料理人として、キッチンに入ったわ。

実は、彼は私がどれだけ“忠誠心”があるのか試していたみたい。それ以降、約30年お互い強く信頼し合ってコラボレーションしているわ。

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料理の世界でキャリアを築いていくことは、フレデリックさんの人生にどう影響しましたか?

新しい味に出合うたびに、成長していると感じるわ


ジョエル・ロブション、アラン・デュカスなどのシェフたちから「一流のプロフェッショナリズム」を学んだわ。そして私にとって新しい料理を味わうことは、知らなかった知識や文化を自分の中に蓄えることに繋がるの。新しい味に出合うたびに、自分が成長していると感じられる。

それに、料理のおかげでよく旅に出るの。陶磁器1つを買うためにニューヨークやヨーロッパへ出掛けるし、パリでも最旬のレストランやホテル、イベントには足を運んでいるわ。

――「フレンチの皇帝」と呼ばれる料理界の巨匠、故ジョエル・ロブション氏は、あなたのメンターだそうですね。彼との思い出を教えてください。

彼を二度、我が家に招いて食事をしたことがあるの。世界随一のシェフを招いて料理を振る舞うことは、とても大きな挑戦だったし何度も当日まで練習した。

ロブション氏はモロッコ料理をリクエストしたから、メニューは子牛のタジンを用意したわ。アプリコットと子牛を煮込み、クミン、シナモンなどの最高級のスパイスを加えたの。蓋を開けたときの豊かなアロマには、思わず我ながら感動してしまった! 彼は気に入ったようだったけど、あまり感情を表現する人ではなかったから、コーヒーを出す前に帰ってしまったわ(笑)

――今後の目標を教えてください。
今出演しているテレビ番組やアートの仕事を成功させることかしら。あとは、コンサルタントの仕事も大切ね。

レストランのデコレーションを考え、素材をあらゆる場所で探し回り、シェフ、アーティスト、食器の生産者、情熱を持った人たちと最高の空間を創り出す…これが私の仕事。そして、私に大きな幸せをくれるの。

――最後に、コスモポリタン日本版読者に「人生を満喫する」アドバイスをお願いします!

待っていても夢は叶わない。自分で近づくしかない!

他人から吸収して学び、自分が成長することで、他の誰かの役に立つことができる。これは、私が考える「ダイナミックでいる秘訣」よ。何より大切なのは、目の前の挑戦に対し「必ず勝つ!」という決意をキープし続け、毎日努力を続けること。自分が何もしなかったら夢は叶わない。だから、自分から近づくしかない。たとえ失敗しても問題はないわ。挑戦する過程で、すでに自分は前よりも成長しているから!

それに、(確信をもって)私の年齢でもずっとクリエイティブでいることは可能よ。意思さえあれば、どんなことだって達成できるわ!



「熱心になれること」に取り組み、ワクワクとした気持ちやインスピレーションを得て、新しい人との出会いを楽しむ――。それは、何歳になってもとても幸せなこと。常に新しいプロジェクトに取り組む フレデリックさんからは、そんな精力的なエネルギーに溢れていました。

彼女のように「挑戦」と「成長」を生涯続けること。それが、人生100年時代に「Fun Fearless」な女性として、人生を謳歌し続ける鍵になるのかもしれません。そして、ユーモアを織り交ぜることで、毎日はもっと幸せになる。まるで料理のスパイスのように。

【フレデリックさんから学んだ、ダイナミックに生きる秘訣】

・自分の足でインスピレーションを探すに行くことが、最高の仕事に繋がる。

・「挑戦」は待たずに、自分で仕掛けるもの。

・流行やトレンドの流れに柔軟に、新しいスキルを磨いて自分をアップデートする。

・自分が成長することは、人の役に立つことでもある。