バイセクシャル(両性愛者)に対する認知が広がり、多くのセレブがカミングアウトをしている昨今。その一方で、社会からの差別や偏見が未だに存在することはもちろん、LGBTQ+コミュニティ内でも誤解されている部分があるのが現状。

ライターのイザベル・カルキンスさんも、バイセクシャルに対する偏見と闘ってきたうちの一人。最終的に男性との結婚を選んだ彼女の、これまでの葛藤とそこから見つけたものとは――。

語り:イザベルカルキンスさん

「バイセクシャル」に対する世間のイメージ

生まれてからの23年間、私は自分らしくいるのが怖かったんです。それは、メディアによる「バイセクシャル女性」の扱い方を見てきたから。

たとえば今年の5月、バイセクシャルを公表している女優のオーブリー・プラザが、男性と結婚を発表したときのこと。Twitter上には、「ゲイコミュニティはスターを失った」とバイフォビア(バイセクシャルに対する嫌悪や偏見)の意見が多く投稿され、議論を呼びました。

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2016年には、とあるオンラインメディアが、「バイセクシャルを公表しているホールジーは、人気アーティストでいるために自分の人格を“ストレート”にしようとしている」という記事を掲載。「バイセクシャルは、ストレートかゲイのどちらかを選ぶべきだ」という考えを主張したのです。

今は削除されているものの、ホールジー本人はこれに対してこうツイートしました。

「私が完全なゲイじゃなくて悪かったね」
「(このメディアは)私が注目を浴びるようになったここ1年についてつまらない分析をしているけれど、『自分が本当にクイアなのか』を知るために8年以上性について探求したことを知らないでしょ。これが根深く残る、バイセクシャルの信頼を損なおうとする考え方の一部。LGBTQ+コミュニティ内でさえ存在しているものです」

こうしたことや、「あなたはバイセクシャル女性かもしれないけど、“クィア”とまでは言えないんじゃない?」という友人たちの発言から、私は自分らしくいるのが怖くなってしまいました。

クイアコミュニティが主催するイベントに招待されたり、他のバイセクシャルの女性たちに会ったりして、自分が受け入れているような感覚になっても、LGBTQ+コミュニティ内では、“男性と付き合うバイセクシャル”よりも、“女性と付き合うバイセクシャル”としての方が受け入れられやすいのは明らか。

私が同性にも興味があると思ったら、男性は恋愛対象としてみてくれないのか。私がゲイとまでは言えなかったら、女性は興味を持ってくれないのか…と思ったんです。

男性と交際することへの葛藤

そんなことを思っていた頃。初めて付き合った女性との関係が終わってから数カ月後に、マッチングアプリで自称「数楽家(数学者+音楽家)」の男性とマッチ。すぐに、彼は将来の夫になるだろうと感じました。

ところが、彼に恋人になって欲しいと言われたとき、「私はバイセクシャルとして、この選択をして良いのか」という不安が襲ってきたんです。完全に彼に恋しているにもかかわらず、心のどこかにあるバイフォビアのせいで、素直に受け入れられず…。“ストレートのふり”をしたら、自分のセクシャルアイデンティティはどうなるのか、怖かったんです。

私がバイセクシャルだとわからなくても、プライド・パレードで歓迎される? 男性を好きになった以上、私は異性愛規範に従わなくちゃいけない? パートナーを不快にさせるのではないかと心配で、男性的な服装をするのが怖くなったことさえありました。

自分を救ったセラピストの言葉

アイデンティティについて葛藤するなかで初めて腑に落ちたのは、セラピストと話したとき。

他人が何と言おうと、男性との交際は少しも私のセクシュアリティの妥当性を損なうものではないと気づかせてくれたのです。そして、私が誰に惹かれ、誰を選ぼうと、私はバイセクシャルだし、LGBTQ+コミュニティの一員だということも学びました。

心の奥底ではわかっていたけれど、セラピストの言葉を聞いてすごく安心しました。セラピーの直後、私は車に乗って彼のもとへ行き、「恋人になれてうれしい」と伝えました。それから2年経った今、彼との結婚を決め、結婚式の準備をしているところです。

私は、自分のセクシュアリティに自信を持っていられることを幸せに思います。そして、私のような悩みを抱えているバイセクシャルのみなさんに言いたい。もし、異性を好きになったとしても、あなたがバイセクシャル、あるいはクイアであることに変わりはありません。私もあなたと同じだし、決してひとりではないから。

バイセクシャルの人々の数は、成人のLGBTQ+コミュニティの半分以上を占めるとも言われています。この数と誤解を考えると、今こそバイフォビアとは永遠に手を切るべき。誰もが自信を持ち、尊重される社会であるべきではないでしょうか。

※この翻訳は、抄訳です

Translation:mayuko akimoto

COSMOPOLITAN US