息子が語る、オードリー・ヘップバーンの「美とエレガンス」の秘密
オードリー・ヘップバーンを「一人の女性としての生涯」としてとらえた展覧会で、長男のショーン・ヘップバーン・ファーラー氏が語った「母への愛」。
世界中で愛され続ける女優、オードリー・ヘップバーン。年月がどれだけ経っても『ティファニーで朝食を』や『ローマの休日』などスクリーン上で輝く美しさは、今なお多くの人に感動を与えています。――でも、あまり知られていないのが“若い女性、恋人、妻、母”としてのオードリーの素顔。
そんなオードリーの「女性としての一生」に触れることができる大々的な展覧会「Intimate Audrey(インティメート・オードリー」が、ベルギーの首都ブリュッセルで8月25日まで開催中とのこと、在フランス記者が早速展覧会へ潜入しました!
記事後半では、今回の展覧会を“母への生誕90周年祝い”として開いたオードリーの長男、ショーン・ヘップバーン・ファーラー氏にインタビュー。息子から見た母、そして女性としてのオードリー、また母との感動のエピソードをコスモポリタン日本版に明かしてくれました。
展覧会「Intimate Audrey」に、いざ潜入!
息子から母へ愛をこめて――。生誕90周年を祝い展覧会を開催
ゆったりした穏やかな空気が流れる、ブリュッセルの旧市街。「世界で一番豪華な広場」と称される世界遺産のグランプラスから少し歩き、チョコレート店やブティックが並ぶアーケード ギャルリー・サンチュベールを抜けると辿り着くのが、「Intimate Audrey」展覧会の会場ギャラリー・ヴァンダーボルト。
広々とした800平方メートルの会場内には、オードリーの写真、思い出の品などが展示。2階まで時系列にオードリー・ヘップバーンという「一人の女性の人生」が描かれています。それはまるで、1929年から1993年まで生きたオードリー・ヘップバーンの思い出のアルバムをめくっているような体験。
展覧会には、そんな「オードリーの素顔」を知りたいミレニアル層から、少女時代にオードリーに憧れた現在70代、80代の女性まで、幅広い年齢層の人たちがそれぞれの思いを寄せて訪れていました。写真を見ていると隣の人が「この写真のオードリー素敵よね!」と話しかけてくれるなど、世界中のオードリーファンと話が咲くのもこの展示会の醍醐味。
展覧会を愉しむポイント②
オードリーの「人生の宝物」
「Intimate Audrey」では、オードリーの人生における様々な思い出の品々が展示されてます。
例えば、子ども時代のオードリーが描いたファッションのデッサン、“オードリーが努力家だったこと”を物語る練習で履き古したバレエシューズ、元夫メルとの結婚式で着た白いシンプルなウェディングドレス、メルとお揃いの金と銀の結婚指輪、息子を寝かせた籐製のベビーベッドなど…、オードリーの人生にとって大切な品々を見ることで、彼女がどんな人だったかを想像するのも楽しい!
展覧会を愉しむポイント③
あの名画で使われた思い出の品が、目の前に…!
『ローマの休日』でグレゴリー・ぺック演じる新聞記者とオードリー演じるアン王女が二人乗りをした緑色のスクーターは、印象に残っている人も多いはず。このスクーターをはじめ、数々の賞など、オードリーの女優としてのキャリアで鍵になったアイテムなどの展示品も置かれています。
展覧会を愉しむポイント④
オードリーの先祖代々の写真を見ることができる!
今回の展示会のユニークな点が、「オードリーの祖先」の写真が数多く飾られていること。
綺麗な額縁に入ったモノクロ写真の中には、19世紀に流行ったドレスを着てピクニックをする女性たち、シルクハットをかぶって馬にまたがる紳士、西洋人形のような女の子など、どの写真からも気品やエレガンスが感じられます。
イギリス、オランダなどヨーロッパの国々に様々なルーツを持つオードリーが、先祖からどのように伝統を受け取ったかが垣間見れます。
展覧会を愉しむポイント⑤
映像や音声から伺える、オードリーの人間性
展覧会のエントランスでは、オードリーの名言や映画の中のセリフなど本人の声が流れています。さらに、オードリーの第二のキャリア、ユニセフの親善大使をしていた頃の映像や、晩年のインタビューなどの映像も見ることができます。
「私が母に対してできる最も誠実な、90歳の誕生日祝い」
ショーン・ヘップバーン・ファーラー氏インタビュー
今回の展覧会の指揮を執ったのが、オードリー・ヘップバーンと一人目の夫メル・ファーラーの間に長男として生まれたショーン・ヘップバーン・ファーラー氏。温厚な口調で、時折ユーモアを交えて取材に答えてくれました。
――今回の展覧会を開いたきっかけを教えてください。
きっかけは、10年前に知人からかかってきた一本の電話でした。彼女は、「オードリーの生誕80歳の誕生日を祝ったらどう?」と僕に提案をしてくれました。しかし、それから開催地を見つけ、コレクションを企画・構成するのに10年の歳月がかかりました…。
母は90年前にブリュッセルに生まれ、イギリスで数年間教育を受けた後、10歳でオランダに移り、ナチス占領下で第二次世界大戦を経験。その後はご存知の通り女優になり、ユニセフの活動などで、世界中をめぐりました。
そんな彼女を包む「映画スター、ファッションアイコン」という伝説を取り去って、“ありのままの女性”の姿で、生まれ故郷のブリュッセルに連れ帰ってあげる――。それが、私が母に対してできる最も誠実な、90歳の誕生日のお祝いだと感じたのです。
「オードリーは“別世界の人”でなく、“私たちの一人”と思ってほしい」
――今回の展覧会には、どのような思いを込められましたか?
来場者の方に、ありのままの「オードリー・ヘップバーンという一人の女性」を、感じてもらいたいと思っています。
世界中で多くの人が、『ローマの休日』に出演する母の姿を知っている。でもその“女性”が本当はどんな人で、どんな人生を送ったのかについてはあまり知られていません。
だから、今回の展覧会では“若い女性、妻、母”としてのオードリーを伝えています。
私の願いはこの展覧会に訪れた人たちが、会場を後にしたときに「女優、ファッションアイコン、エレガントの象徴、人道主義者だった“オードリー・ヘップバーン”という人間は、本当に慎ましい人生を送っていた女性だったんだ…。きっとそれが、彼女が今日も世界中で愛され、決して色褪せないアイコン的存在である秘密なのかもしれない」と、ブリュッセルの街を歩きながら思考を巡らしてもらうこと。
「オードリーは“遠い世界に住むスターの一人”ではなく、“私たちの一人”なんだ」と、今回の展覧会から感じてほしいのです。
――展覧会を見に来る方へ「楽しみ方」のアドバイスをお願いします。
来場者の方には展覧会を訪れるということ以上に、「経験」をしに来ていただきたいと思っています。
例えば、母の先祖の写真を展示しているコーナーでは、説明書きを加えませんでした。写真の中の人物が、母とどんな関係にあたる人なのか分からないと言う人もいるでしょう。
でも、僕が家に誰かを招待をしたとき、客間にある家族写真には説明書きなどありません。ただ写真の中で生きる人たちの“目”や“表情”を見ることで、自分の心で写真の中の人物に印象を抱くはずです。
そのような、僕の家に来て、リビングで家族写真を見るといった関係を、展覧会の来場者と築きたいと思っています。
オードリーは“慎ましく控えめ”な女性だった
――オードリー・ヘップバーンの宝物のような品々も置かれています。なぜ、今回それらを展示することに?
思い出の品などは100点、母の哲学を伝えるために置きました。例えば、彼女が父との結婚式に着たウェディングドレス、そして結婚指輪はとてもシンプルです。それが、彼女がいかに“慎ましく控えめ”な女性だったかということを物語っているのです。
母は、スキャンダルやゴシップで注目を集めるセレブリティとは正反対の存在です。彼女は“物事の真実”を大切にしていました。だからこそ、純粋な美を愛する日本人の方々が母に魅力を感じてくれているのかと思います。
展覧会の収益は全額、希少疾患の患者支援団体「EURORDIS」などに寄付
――今回の展覧会には、その裏にも様々なストーリーがあるそうです。
今回の展覧会の収益は、ヨーロッパの希少疾患の患者支援団体「EURORDIS」などに100%寄付する予定です。私の母は、腹膜偽粘液腫という極めて珍しいガンに関わったことが原因で亡くなりました。かつて、彼女は「100万人に1人の逸材」と言われましたが、皮肉なことに彼女の病気も100万人に1人がかかるものでした。
僕自身、「EURORDIS」がコーディネートするイベントのアンバサダーを5回務めました。今年、その役目も終わるので、今回の寄付はアンバサダーとしてのグッドバイ・ギフト(お別れの贈り物)です。
また、今回の展示会ではカタログを作る代わりに、妻と一緒に「Little Audrey’s Daydream(小さなオードリーの夢想)」という子どものための絵本を作りました。この絵本は、戦争中にお腹をすかせ、戦後の人生を夢見る小さな女の子のお話です。絵本のイラストは、病気にかかってしまったベルギーの才能豊かなイラストレーターが、「彼女の最後の作品」として描いてくれています。
今回の展覧会はこういった、とても感慨深い出来事が重なっています。
母は「決断をすること」の重要さを教えてくれた
――お母さまから学んだ、一番のレッスンを教えてください。
私にとって彼女は最高の母親で、最高の友達でもありました。彼女が教えてくれたことは山ほどありますが、もし一つ挙げるならば、「決断をすることの重要さ」です。
母は何か私が決断をするとき、彼女自身が信じる「一番いい方法」を助言してくれましたが、最後にはいつも私に「自分自身で考えて決定する自由」を与えてくれました。
何かを決めるという行為は、その後の人生を左右すること。母は戦争という時代を生き、自分自身でキャリアを築いたからこそ、「決断の重要さ」を身をもって知っていたのだと思います。
知性がエレガンス、日々の過ごし方が美を創る
――息子であるショーンさんが考察する、オードリー・ヘップバーンの「美」と「エレガンス」の秘密を教えてください。
私にとって、美とエレガンスが意味するものは異なります。まずエレガンスは“マインド”と繋がっています。文化などに興味があり、知性豊かだと、エレガントになることは難しくない。
一方で、美は“日々の過ごし方”が反映しています。習慣的に人に優しくし、毎日を気分よく過ごし、自分自身でいることが心地よい――。そんな状態でいると、人生をより良く過ごすことができ、若い時も年齢を重ねてからも「美しい人」でいることができるんだと思います。
逆に、頻繁に怒りの感情を抱いたり、自分にないものを羨やんだりしていると、ネガティブな感情が外側にも反映し、顔つきも変わってしまいます。美もエレガンスも、内側から発されるものだと思います。
忘れられない、「母と語り合った」夜
――お母さまとの思い出で、一番記憶に残っているエピソードを教えてください。
私がまだ子どもだった頃、ある週末に母が旅行に連れて行ってくれました。夜になると歯磨きをしてパジャマを着て…自分のベッドではなく、母のベッドに向かいました。電気を消して、ベッドに一緒に座って、大好きなママといろんな話をするためです。真っ暗な部屋の中で、ただ二つの魂が一緒に時を過ごす、幸せな時間でした。
それから何十年かが経ち、晩年に彼女が病気になって、アメリカの病院で治療を受けていた時のこと。余命が長くないとわかり、「最後のクリスマス」をスイスの自宅で家族と過ごすために、母が家に戻ってきたときのこと。
私はその日の晩、彼女の看病をするため、母が眠るベッドの隣にイスを置いて、一晩一緒に過ごしました。椅子に座りながら私は眠りに落ちてしまったのですが、彼女が夜中に起きて。そこから、昔一緒に旅行先で話したように、二人でいろんな話を語り明かしました。彼女の今までの経験、人生への思い、幸せだったこと、後悔したこと、彼女が今後したいこと…。
決して「幸せ」なエピソードではないのですが、心に強く残っています。
最後に…
記者が展覧会を訪れて強く心に残ったことが、少女時代、仕事、母、妻、そして一人の女性として、人生の一瞬一瞬を最大限に生きたオードリー・ヘップバーンの姿でした。
そしてショーン氏の中に、オードリーが大切にしていた「愛」や「人間性」が受け継がれ、鮮明に生きていること。
情報やモノが溢れ、速いスピードで物事が進む時代だからこそ、一度立ち止まって“最大限に自分の人生を生きること”を考えることのできる展覧会なのかもしれません。
夏のバカンス先がまだ決まっていない人は、ぜひオードリー生誕の地ブリュッセルにて、彼女の魅力を感じに行かれてみてはいかがでしょうか?