ベビーモデルとしてデビューし、映画『E.T.』で一躍有名となった俳優のドリュー・バリモア(48歳)。幼い頃から世間の注目を集めるようになった彼女は、母の日に寄せて投稿したブログの中で、14歳のときに母親から独立したことや精神病院での生活を振り返り、その過程で得た気づきを共有しました。
『E.T.』出演後に俳優として注目を浴びるようになった一方、学校では授業についていけず、いじめにあい不登校になったドリュー。プライベートではマネージャーでもあった母親のジャイドによって仕事量が増やされていたそうで、当時は親子の間に健全な心の境界線(バウンダリー)がなかったと言います。
10歳前後だったドリューは反抗するように、アルコールや薬物などの夜遊びに走り、ジャイドはドリューを13歳で精神病院へ入院させました。当時は怒りでいっぱいだったものの、精神病院での生活について、「厳しいものではあったけれど、人生を変え、成長し自分自身について学ぶために必要な安定を与えてくれた」と語っています。
「子どもは安全だと感じられる環境を気に入ります。心の境界線をもつのは、心地よさを確保するために大切なこと。私は心の境界線のない人生を送り、仕事ばかりをしていました。病院は大変な場所でしたが、外の世界に対して過剰になりすぎていた私にとって、まさに必要としていたものだったんです」
当時のメディアは未成年だった彼女の依存症との闘いについて、厳しい言葉を浴びせました。そのことでドリューは、自分自身を「恥ずかしく」感じたとも言います。しかしリハビリセンターでは「心を開けて、共有するように」と教えられたため、ドリューは自分自身の感情やニーズを理解できるようになっていきました。
「『本当の自分を語る』ということの基本を教えてくれたんです。誰かの憧れにならなくてもいいから、自分の“物語”を語ること。あなたの気持ちやあなたの欠点、希望や願い、傷ついたこと。あなたが人生で何をして、どこにたどり着きたいのか」
「そしてとても重要なことですが、誰があなたの人生を助けてくれるのか、そして誰を手放さなければならないのか。私の場合、最終的に退院したときに、それは母だということに気づいたんです」
そこでドリューは、母親のジェイドから法的に“離れる”ことに。14歳のときに母親からの独立を裁判で訴え、「成人」として認められました。
「私が14歳で裁判所から成人であることを認められたとき、(母親とのつながりとしての)“へその緒”は切断されたも同然でした。それ以来、私はまったく別人になったようです。1歩離れて、自分で自分の“親”になり面倒をみるという決断は、『自分』という人間になるために必要だったのです」
そんな彼女は現在、元夫ウィル・コペルマンとの間にオリーブちゃん(11歳)とフランキーちゃん(9歳)の2人の娘をもつ母親となりました。そして、過去の経験が自分が母親になるための助けになっているともいいます。
「私は自分の過去について考え、彼らのために人生を異なるものにしてあげたいと思い、いつも緊張しています。私は彼らを守ってあげたい。ゆっくり育ってほしい。家族がいて、伝統やルール、境界線をもたせてあげたいんです」
さらに、母親になることは人生で「最も偉大なこと」だとも語っています。
「青春時代の私の経験のすべては、彼らのためにあったんだと思います。自分にとっても、これまでのようにすべてを自分事化するのではなく、親の立場から物事に対処する方法を学ぶ機会にもなっているんです」
母親から自立し、色々な経験を経て2児の母親となったドリュー。ジャイドとの過去の複雑な歴史があるにもかかわらず、彼女は現在77歳となる母親とうまくコミュニケーションをとれているそう! ジャイドの誕生日には、メッセージも送ったのだとか。
「私は彼女にメッセージを送りました。『お母さん、お誕生日おめでとう』とだけ書いたら、『本当にありがとう』と返ってきたんです。『私はあなたをとても誇りに思い、愛を送ります』と返信してくれました。それは私にとって、一番の贈り物でした。彼女が、私を誇りに思ってくれていると知ることができたから」
そんな彼女は母の日についてのブログを、娘たちに対する心のこもったメッセージで締めくくりました。
「私の娘たちへ...。私は、あなたたちが一緒にいて安心すると感じる母親になりたいと願っています。そして、一緒に笑える人になりたい。私に何でも話してください。私はそのためにここにいます。私はあなたたちと共にいます。あなたたちの人生のために」