ダサいおっさんはすぐ忘れるが、ダサい女子は忘れない

ああああ、昨日からずーっと「その本」のタイトルを思い出そうとして全然思い出せず、困り果てた末に「ええい、書いてまえ」といヤケな気持ちで、原稿に向かっている私です――と前振りしつつ始めたいと思います。

以前に読んだアメリカのノンフィクション、著者は確か女性の大学教授だったと思うのですが、彼女が常々不思議に思っているのは職場でのファッションのこと。学校や生徒などの評判において、男性教授に比べて女性教授は、ファッションについて取りざたされることが格段に多いというものです。人前に立つハメになった時、「メイクします?」と聞かれ「(え、このままでいいと思ってたんだけど、マズいんだ……)」という下りが笑っちゃうのですが、個人的に「これは意外と根深いな」と思ったりもします。

というのも「他人のことをとやかく言う人ってイヤだなー」と常々言っている私でさえ、鮮明に覚えているんですね。中学時代の女性教師が着ていた「象さん柄の変なスカート」のことだけを。どうしようもない服装だったのはオッサン先生の方が、絶対に多かったはずなんですけども。

ことファッションに関して前向きにとらえるならば、「女子の方が楽しみとしてのファッションがある」ってことなのでしょうが、世の中が女子だけに手厳しいのはファッションに限ったことではない気がします。ナウな話題(でもないけど)では「不倫騒動」もそうで、妻あるミュージシャンとの関係を暴露された若い女子は社会的にほぼ抹殺されかけているけど、何十年もの不倫関係が暴露された某落語家は、あら?NHK大河ドラマに出てもいいんだ、みたいな状況にはなんだか悶々とします。

そんなわけで今回のネタも、前回引き続き『プラダを着た悪魔』。

この作品の原作者はアメリカ版『ヴォーグ』の鬼編集長アナ・ウィンターのもとで1年間アシスタントを務めた女性で、ミランダのモデルはアナだと言われています。映画に描かれるその"悪魔っぷり"は、例えば「15分以内に****(店の名前)のステーキ用意しろ(まだ開店時間前)」「ハリー・ポッターの新作の生原稿手に入れろ(超極秘原稿)」「嵐で欠航した飛行機の代わりの飛行機用意しろ(だから嵐でしょうが)」など、どこまでもインポッシブルなミッションばっかりで、もし私が主人公のアンディならたったひとつで置手紙残して失踪レベルです。

でも実際の話、いるんですよ、この手のタイプ。肉食系大企業の同期の出世頭、みたいな男に、意外とたくさん。かくいう私もそういうパワハラで何人も病院送りにしている人を知っていますが、男性の場合はなぜか「仕事ができる」という一点で「辣腕」とか「剛腕」とか持ち上げられ、それ以外の部分がスルーされたりします。

もちろんこうした状況は性別とは無関係に悪ですが、つまり何が言いたいかと言うと、女の場合は「仕事ができること」で「仕事以外」のことをスルーしてはもらえない、ってことです。男なら「人使いは荒いけど、仕事はできる」となるところ、女は「いくら仕事ができても、あの人使いの荒さはねえ…」「いくら仕事ができても、あんなに非情だとねえ…」となり、かつての私の様な未熟な同性にさえ「いくら仕事ができても、あの象さん柄のスカートはねえ」と言われたりします。ああ、反省しています、先生。ほんとすみません。

世の中の理不尽な厳しさに、完全勝利した女の怪物性

『プラダを着た悪魔』のミランダは、おそらくそんな風に言われ続け、それを撥ね退け続けてきた女性です。その強さが尋常でないのは当たり前と言えば当たり前のことです。ところが映画はそんなミランダを、ラスト15分で急に「人間味のある人」として描き始めます。決定的になった二度の離婚に、「ゴシップ欄で騒がれるわ。"仕事にとりつかれた猛女""雪の女王、また夫を追い出す"なんてまた書かれるのよ」と呟きながら、ご丁寧にすっぴん姿で涙するんですね。

まあ観客に「あの人も本当は辛いんだ」的に思わせないといい話にしにくいからでしょうが、ミランダがアナと同じ立場であるならば、そんなちっぽけなことで傷つくのは到底リアルたりえません。映画では彼女の夫が「またレストランに君を待っていると思われた」と軽くキレる場面も描かれていますが、世界のファッションを牛耳る女性、あらゆるハイブランドのトップが顔色を窺う女性、彼女の都合が合わなければパリのメゾンがショーの日程を変更する女性を、こうした卑近な共感で観客につなぎとめようとするのは、いかにも女性の地位が低いハリウッドの映画だなあと思わずにはいられません。

とはいえ、そうした女性のとんでもない強さ――例えばアナは、部下が好条件でヘッドハンティングされそうになると、「昇進させる」と約束してチャンスを潰すような――には、思わず言葉を失ってしまうのも事実です。私だってそれなりの期間をフリーランスで生きてきた人ですから、共感とか仲間とか友情なんて吹けば飛ぶようなものだということも(主に被害者側で)経験して、わかってはいるつもりです。女子としては結構シビアなほうだと思うんですよ。でも何十年もの間言われ続けた「いくら仕事ができても、あの冷酷さはねえ」に、「冷酷だけど、仕事はできるんで」と返し続け、熾烈な世界を生き抜いてきた女性は、なんか次元の違う怪物のように思えてなりません。どうか一生無関係でいられますようにと祈るばかりのヘタレな私です。

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