ジェニファー・アニストンはこれまでずっとゴシップのターゲットになってきた。ブラッド・ピットとの一件後は夫を取られた寂しい女だと言われ、子供がいない理由を何度も報道されたり…。

さすがに彼女もうんざりしているようで、<ハフィントンポスト アメリカ版>で胸の内を明かした。

「ゴシップ記事に無駄な労力を使いたくなかったから、今まで発言してこなかったけど、大切なメッセージを伝えたくて記事を書くことにしたわ」と前置きをしながら、メディアと女性の価値についてジェニファーは思いをつづった。

「私は妊娠していない、ただうんざりしている。日々『ジャーナリズム』、『芸能ニュース』という大義名分のもと、体型を批判するメディアにうんざり。私や夫だけでなく、近くにいた一般人の歩行者まで、強引なパパラッチのせいで、日々、危険にさらされているの」。

しかしジェニファーがパパラッチの"危険性"以上に伝えたかったのは、「女性」についてタブロイド紙がどのように私たちに影響を及ぼしているか、ということ。

女性を物のように扱って評価していることは不条理で懸念すべきことよ。メディアが伝える私のイメージは、世間が女性をどう見ているかということの投影にすぎない。歪んだ「女性の美しさ」を基準として、メディアは私を表象する。

世界中の小さな女の子たちは世間が持つ『潜在意識的な合意』を早い段階から覚えてしまう。例えば、痩せていない女の子は可愛くない、と言う風潮。今の世間は、雑誌の表紙で見るようなスーパーモデルや女優のような見た目でないと注目に値しないと彼女たちに教えているのと同じだわ。そう言う風に"教育された"女の子たちがそのまま大人になり、メディアは芸能"ニュース"を通して女性を非人間化し続けている。タブロイド紙は女性の外見だけ見て、『妊娠したのか? 食べ過ぎたのか? 身なりを構わなくなったのか? 外見の"欠点"があるということは、結婚生活がうまくいってないのか?』とばかり考える。

ここ1カ月は特にタブロイド紙が描く女性の価値について考えさせられた。タブロイド紙は女性が結婚しているか、子供がいるかという点だけで女性の価値を決めつけている。私が妊娠しているのかどうかを何百回も暴こうとしていることだって、女性は未婚や子供がいないだけで女性として不完全、失敗、不幸せだとする考えを浮き彫りにしている。銃乱射事件、山火事、(妊娠中絶に関する)最高裁判所の重大判決など『ジャーナリスト』がもっと力を注ぐべきニュースはあるのに…。

女性はパートナーや子供がいなくても「完全」

自分たちの体について思う美しさは、個々の自由であって、他人に決められることではない。だから自分たちで考え、決めて、若い女性たちに良い例を見せてあげましょう。

タブロイド紙がこれからすぐに変わるとは思えない。でも、私たちが意識と態度を変えることで、タブロイド紙を変えることができると思うの。私たちがタブロイド紙の報道を信じなくなるだけで、今とは違う視点で物を書くようになるかもしれない」。

日本とアメリカのタブロイド紙に少し違いがあるにしても、日本でも多くの基準はメディアに形成・影響されている。個々がしっかりと考えを持ち、メディアから流される情報を鵜呑みにしなければ、"女性としての価値"を他人に測られることはなくなるのかもしれない。そして最終的には自らを卑下することがなくなり、自分らしい人生を送ることで、次の世代もありのままに生きていけるのだと思う。