自分の人生は、自分でしか生きられないし、どう楽しんでいけるかは、毎日の選択と気持ち次第。どんな生き方だって、自分で選んできている人は、いつだって魅力的に見えるし、自然と心惹かれるもの。コスモポリタン日本版では、人生を謳歌しているさまざまな女性の生き方を紹介していきます。
ライフスタイルモデル 栗原ジャスティーンさん
「モデルとして作品を残したい」…。そんな思いを持って単身香港へ。そして、その後L.A.に渡り、ライフスタイルモデルというジャンルに出会った栗原ジャスティーンさん。帰国後は、日本では珍しいライフスタイルモデルとして活動を始めた。いつでも自分で道を切り開いていく、栗原さんのパワフルな生き方とは?
-モデルとしてキャリアを歩み始めたのはいつからですか?
中学1年生の時にスカウトされて、モデルとして活動を始めました。その時は、小学5年生から始めていたテニスのプロ育成コースにも入っていたので、両立するのがけっこう大変で…。テニスをするとどうしても日に焼けちゃうし、筋肉もついてしまうけど、事務所からは「日焼けしないで、そんなに筋肉質にならないで」と怒られるし、どちらにもよくない状態で、高校に進学する時には、どちらかにしようと思っていたんです。
正直、テニスの世界を極めるには、限界を感じていました。小学5年生から始めたのも遅いスタートでしたし、モデルの仕事で練習を2、3日休むと感覚を取り戻すのが大変。そんな時に、THE ALFEEの高見沢さんがプロデュースするアイドルグループの一員になることになり、モデル・芸能の世界に進むことを決めました。単純に、その世界に憧れや好奇心もありました。でも、そのアイドルグループはすぐ辞めちゃいました。舞台に出演させていただいたりもして、活動は順調だったのですが、私の中で、有名になりたいというより、モデルとしてきちんと作品を残したい気持ちが強くなったんです。
-日本はかわいいが主流の文化。アートのようなクリエイティブな作品を残すのが難しいのでは?
当時から、父が海外の雑誌をよく買ってきてくれていたんです。勉強のために研究していたのですが、洋雑誌の世界観に憧れを持つようになりました。そして、カロリーメイトのCM撮影でL.A.に行った時、はじめての海外で、はじめて海外チームと撮影を行い、そのスケールの違いに愕然としました。規模感もそうですが、ひとりひとりのパッションの大きさに刺激を受け、海外で挑戦したい!と思ったんです。
当時21歳、世界中に事務所を構えているエリートジャパン(現エイムマネジメント)に所属していて、マネージャーさんにずっと海外で挑戦してみたいという話はしていたんです。シンガポールに行きたいと思っていたのですが、事務所からは「身長が足りないから無理だよ」と言われていて、それでもあきらめずに「ダメもとでいいからプロフィールだけでも送ってほしい」とお願いしていました。そんな時に、「香港支社の社長が、モデルを探しに日本に来るから」と声をかけてもらったんです。すると社長は、「じゃ、香港に来てよ」って言ってくれて、すぐに香港へ行く決心をしました。
-21歳で単身、香港へ行くのは怖くありませんでしたか?
ずっと望んでいた海外へ行けるので、香港へ行くことは即決でした。誰かに相談したり、考えたりすると、恐怖心が生まれてしまうので、考える前に現地に行ったという感じです。家族や恋人(現在の旦那さん)には、相談ではなく、香港に行くことだけを報告しました。
3カ月間という期限付きだったし、日本のマンションはそのまま残していったので、いつでも帰って来れる場所はあるという気持ちは残しておきました。結局、半年間滞在したのですが、自分が思い描いていたとおり、納得のいく作品を作る経験ができました。
こんなに積極的な行動に出られるようになったのは、中学生の時に、好きなモデルのハイジ・クルムの本を読んだからなんです。その本の中に「自分からあれやりたい、これやりたいと言わないと、あなた消えるわよ」と書かれていて…。はじめて所属した事務所は大きな事務所だったので、自分からアクションしないと仕事がない状態。本当に「このままでは消えてしまう」と思い、その頃からアピールをしていました。この本は、私のバイブルです。
-半年間の香港での生活で、得られたことは何ですか?
幼い頃から、テニスのコーチや事務所のマネージャーなど、常に大人に見られている、管理されてた状態で生活してきたので、香港に行ったことを機に、そういう生活から離れたいと思っている自分もいました。
香港にいる間は、積極的に新しい友達を作ろうとはせず、空き時間があったら本を持って海へ行き、読書や瞑想をしたり、ヨガや気功を習ったりもしました。
仕事の時以外は、自分のメンタルにフォーカスした時間を過ごしていたので、とても穏やかでハッピーな性格になりました。それまではすごく喧嘩っ早かったんです(笑)。
香港に行く前は、収入的にも安定していて、心の幸せを欲しいモノを買うことで得ていたのですが、何もない状態で幸せを感じられるようになったのは、香港に行ったからこそだと思います。仕事が生きがいで、仕事がないと人生が終わると思っていたけど、そうではなかった。そういう感覚を得られたことが、香港にいた半年間の財産です。
-帰国後、今度はL.A.行きを決めたそうですが、そのきっかけはなんですか?
実は、前から「アメリカに行きたい。アメリカに行きたい」って言い続けていたんです。でも、そこでもまた「無理だよ。身長が足りないから。最低でも175cmは必要だから」と言われ続けて…。私は170cmしかないので、5cmも足りないのか…と、ずっと悩んでいたんです。だけど香港から帰ってきて、今行かないと行かない方の自分になってしまうと思って。行かないで後悔したり、もし行ったらどこかに所属できたんじゃないか...と、なにかしら言い訳をして、自分の殻から出ない人生を送りたいくないと思ったから、アメリカ行きを決意しました。
香港の時と同様、家族と恋人にはアメリカに行くことだけを報告して、今回は、それまで暮らしていたマンションも解約しました。何もない状態で挑戦したかったんです。
CM撮影で訪れたことがあるL.A.に行ったのですが、どうやってモデル事務所に所属するのか分からなかったので、1軒1軒ドアを叩いて自ら飛び込み、プロフィールや今までの作品を見せていきました。
「こんなふうに来てはダメ」と、冷たくあしらわれることもありましたが、モデル事務所のリストを渡してくれた親切なところもあったし、「来週オーディションがあるからまた来て」と言ってくれるところも。L.A.に渡ってすぐのタイミングで、当時、ジェシカ・アルバも所属していた大きな事務所と契約直前まで行ったんですが、結局ダメで…。
それから、ドアを叩く日々に戻って、十数件回ったところで所属する事務所が決まりました。
やっぱりモデルとしての活動は、身長が足りない分制限されてしまいましたが、自分が思ったよりは満足に仕事をすることができました。
アメリカでの生活で大変なのは、日常生活です。モデルの仕事だけでは暮らせなかったので2カ所でアルバイト。片方は芸能活動に厳しかったので、そのやりとりもストレスでしたね。渡米した当初は、まだiPhoneを持っていなかったので、よく道に迷っていました。最初に住んだマンションがルームシェアだったんですが、リビングに壁がなくてカーテンで仕切られていて、プライバシーが保てないのもツラかった思い出です。
その1年後には、ひとり暮らし用のアパートに引っ越せましたし、車を持てました。そこまで頑張れたことが嬉しかったです。
-アメリカで得られたことは?
やっぱり、身長が低いことで、雑誌やショーの仕事はほとんどできませんでした。身長があまりわからないCMなどの仕事がメインだったのですが、『アメリカズ・ネクスト・トップ・モデル』という、有名なオーディション番組の代表の方に道端で声をかけてもらって、その番組に出られるチャンスをもらいました。全米の100人に選ばれて、その中の31人が番組に出られるのですが、私はその直前で落選。でも、「あなたは素敵だ」と、褒められたんです。「アメリカまで来るなんてガッツあるし、あなたのままで頑張っていきなさい」と言われたことが、一番嬉しかったです。
モデルの仕事をしていく中で収穫となったのは、ボディ作りや食生活など、自分のライフスタイルに根付いた表現をする、ライフスタイルモデルという存在を知ったこと。日本だと、日焼けをしてはダメ、髪を染めてはダメと、モデルに対していろんな禁止事項があるけど、全員が同じ見た目でなくてもいいじゃない、スキニーな体型が好きではないと、常に自分の中で葛藤がありました。だから、ライフスタイルモデルというジャンルが、私に合っていると思ったのです。モデルにライフスタイルのジャンルがあるんだと知れたことはとても大きな転機となりました。帰国後、新たなにDIVINEに所属し、「ライフスタイルモデルとして活動したい」と伝えたほどです。
-日焼けした肌、メリハリあるボディの女性はもちろん素敵ですが、今までのようなモデル活動ができなくなる心配はありませんでしたか?
正直、今までのモデルの仕事は楽しくないと思うものもたくさんありました。そういう仕事を続けるよりは、自分らしいスタイルを貫いて、それに賛同してくれる人がいいなと思っています。
外に出てアクティブに活動していたら日焼けをすることだってありますよね。見た目の美しさばかりに気を取られるよりも、人生を楽しんでいる人は素敵だなと思うんです。そんな風に、自分にとって素敵だな、魅力的だなと思える感覚を大切にしたいです。朝起きて鏡を見た時に、ウキウキしている自分が写っているならOK!
こんな風に自分のスタイルを貫けるのも、旦那さんの支えがあるからだと思います。香港に行く時も、アメリカに行く時も、温かく見送ってくれたし、どんな時でも私の味方でいてくれます。仕事は、自分の感覚を信じてどんどん行動していますが、恋愛面は彼におまかせです。私は彼を信じていればいいかなって。
今後、子どもが誕生してライフスタイルが変化していっても、ライフスタイルモデルはその時の自分の暮らし方に合わせて表現できるので、とてもリラックスして仕事ができるのも、ライフスタイルモデルのいいところですね。
最後に、「もう一度、アメリカに行きたいですか?」と尋ねたら、「ハングリー精神を持たなくてもいいんだったら行きます(笑)。今は、アメリカで経験したことを糧に日本で活動したい」と。自分らしい表現方法を得た栗原さんはハッピーなエネルギーで溢れている。そんな栗原さんのこれからにも注目したい。
【栗原さんから学んだ仕事をより充実させるためのヒント】
・やりたいことは自分からアピールする
・自分にとっての最善のプランを考え、プランを立てたら悩まず行動する
・自分が「いい!」と思える感覚を大切にする
・自分のメンタルにフォーカスする時間を作る
インスタグラム:@shell.jay
ブログ「栗原ジャスティーンオフィシャルブログ」