自分の人生は、自分でしか生きられないし、どう楽しんでいけるかは、毎日の選択と気持ち次第。どんな生き方だって、自分で選んできている人は、いつだって魅力的に見えるし、自然と心惹かれるもの。コスモポリタン日本版では、人生を謳歌しているさまざまな女性の生き方を紹介していきます。

35歳で単身フランスへ。人生のどん底からの逆転劇を起こした、パン職人&実業家の石川芳美さんは、50歳を迎える今、「やっとスタート地点に立った」と話す。パリで10店、東京で1店を展開する「メゾン・ランドゥメンヌ」、スクールを1校。その歩みとともに、石川さんの今まで、そして、これからにスポットを当てる。

【私の生き方】Maison Landemaine 石川芳美
Noriko Yoneyama
Maison Landemaine(メゾン・ランドゥメンヌ)代表、パン職人の石川芳美さん

―パン職人になろうと思ったきっかけは?

漬物屋に嫁いだ時、家業のサポートをするために発酵について勉強しようと思いました。その一歩がパン作りだったんです

私はずっと音楽をやっていました。短大卒業後は、ヤマハ音楽教室に就職し、エレクトーンの先生をしていたのですが、21歳で嫁いだ先が、漬物屋だったんです。漬物についての知識をもっていなかったので、二代目の女将として、発酵の勉強をしたほうがいいだろうと思いました。そんな時に、パン教室の募集を見かけたんです。漬物とパンは発酵で繋がりがあると思い、そこからパン作りのスクールに3年間通いました。

私は、何かを始めると追求していくタイプなんです。新しいことを学ぶ時は、どんなジャンルであれ、楽しみがあります。その時もパンが作りたいというより、おもしろくなってハマっていったって感じですね。

その当時25歳で、子どももいましたが、実業家になりたいというはっきりとしたビジョンを持っていました。エレクトーンの教室を運営していたし、29歳からはアラサー女性を対象にしたサークルも始めていました。パンスクールを卒業してからは、パン教室を開いたり、パンを売り始めたり。地元では話題になったんです。仕事はとても順調。でも、仕事とは反比例して家族とのひずみは大きくなるばかりでした。

人生を変えたいと思ったきっかけは?

元夫に「家にいて、子どものめんどうをみれないの?」と言われたことが、自分の人生を見つめ直すきっかけだったかもしれません

明確なきっかけがあったというよりは、いろんなことが重なって、結果、人生がかわっていたというイメージです。

仕事が順調だった時、「もっと家にいて、子どものめんどうをみてほしい」と、元夫に言われたんです。もちろん、彼の言葉はもっともだったのですが、その時の私のことを理解してもらうのは難しいんだなと思いました。そのあたりから、すべてを100%で頑張ることが難しくなったんです。

「30代でパリに行きました」と話すと、素敵、かっこいいと思われがちですが、私の場合は全然違います。離婚をした時、精神的にまいってしまい、うつの症状がありました。子どもたちを引き取ることもできず、順調だった仕事も全部やめました。「私にはなにもないんだ」という状況…。それでも暮らしていかないといけませんから、パンを作り続けたのです。

私は当時ハード系のパンを勉強したくて、地元にあるハード系がとてもおいしいパン屋で働かせてもらってたんです。そのお店のオーナーがフランスから戻って、地元でパン屋をオープンさせていた人で。「パンをやるならフランスに行かなきゃ話にならない」と、さらに「今すぐフランス語を始めろ」とも言われました。その言葉を素直に聞き入れて、フランス語教室に通い、そこから1年後にはフランスへ行っていましたよ。とはいえ、フランス語は習得できていませんでしたが(笑)。

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Noriko Yoneyama
ハード系ながらも果物の甘みが広がる「パン・ド・カシス」(左)と、フランスのフィガロ誌で"パリのおいしいクロワッサン3位"を獲得した「クロワッサン・フランセ」(右)。

フランスで頑張れた原動力は?

言葉がわからなくても、一生懸命な姿は伝わります。深く考えず、感性で動いていたこともよかったのかな、と

私には、日本でパンを作っていた実績がある。言葉が分からないフランスでもなんとかやっていけるだろうと思ったんです。

と思いつつも、観光ビザで渡仏していましたし、3カ月後には日本に帰ろうと思っていました。もちろん、フランスで働きたい気持ちはありました。でも、言葉が分からないこともネックとなって、なかなか働き口が見つからず、渡仏して1カ月後ぐらいに、1軒だけ「来てもいいよ」と言ってくれたパン屋があったんです。働き始めてからは、日本でやっていた経験が発揮でき、すぐチームに馴染めましたし、その1カ月後ぐらいには二番手のポジションを任されるようになっていました。

3カ月で帰ろうと思っていたのが、帰るに帰れなくなって…その時に、フランスに住むことを決意したんだと思います。

購入していた帰りのエアチケットは、なぜか捨てられなかったですね。2年間ぐらいお守りとして持っていました。その後、ビザを取得し、思いっきり仕事に打ち込みました。

よく前向きと言われますが、どちらかといったらネガティブ志向なんです。自分を肯定するために否定的な理由を並べてしまうんです。だけど、その否定的な理由は、後付け。後から、その理由をくっつけているにすぎないから、本当はやりたいのか、やりたくないのか、それぐらいシンプルなことなんですよね。ただ、私は"肯定するための否定的な理由づけ"をしませんでした。基本、ネガティブ志向でも、自分に対して断りをしてこなかったのです。

「自分に正直に」とか、「新たな人生を切り開く」とか、そんなキレイな話ではありません。人間は後がないと思った時、何も考えないんです。行動あるのみ

私は、離婚をして、3人の子どもを日本に置いて35歳でパリへ行きました。お金もない。あるのは、パンを作る腕と情熱だけ。「あーでもない、こーでもない」と言える状況ではなかったんです。だからお金をくれるところで働くしかなかった。でも、子どもたちと一緒に暮らせない生活は当時の私にはつらすぎて、日本にはいられなかったからフランスに行ったんです。

新たな人生のパートナーとの出会いが人生を好転させてくれた

今の夫は私が成功することを喜びに感じてくれる。それが何よりもうれしいことです

フランスで一から出直していた時に、今の夫と出会いました。彼は私の才能を一瞬で見抜いて、その後、ビジネスパートナーとなり、「メゾン・ランドゥメンヌ」をふたりで築いてきました。立ち上げたばかりの頃は、今とは違った忙しさがあり、その忙しさの中、ふたりでがむしゃらに頑張れたことがよかったと思っています。彼はビジネスパートナーでもありますが、年1回、夫婦ふたりっきりの旅行に出かけています。この旅行は、どんなに忙しくても毎年欠かさず行っていることです。仕事と同じように、大切な行事。今では日本にいる子どもたちもだいぶ大きくなり良好な関係が築けています。離れていたからか、すっかりマザコンなんですよ(笑)。

日本にもお店を出せて、学校も運営しています。「成功した」と思われることはとてもうれしいですが、やっとスタート地点という感じです。

私は50代で社長業を退きたいと考えていますが、30億を売り上げる企業に成長させたい。できれば自社ビルを持ちたい。フランスを中心にヨーロッパ圏、中東、アジア圏と…世界中に散らばるぐらい店舗を増やしていきたい…と、実現したことはまだまだたくさんあります。あと10年弱で今、思い描いていることがどれぐらい実現できるのか。

若い世代にバトンタッチした後は、フランスの田舎に小さなお城か、大きな家を買って、夫と私のラボを作りたいと思っています。夫には、「またそこで新たな事業を創めるんでしょう」と言われていますけど(笑)。

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色鮮やかに並ぶスイーツは、晴れた日のテラスで楽しみたい。

「20代では自分にどんな才能があるのか分からなかったし、気づけなかった」と話す石川さん。今では、デザートハードという新しいパンのジャンルを確立し、意欲的に店舗展開、学校運営を行っている。自分の感性を信じ、情熱を絶やさなかったことが今への架け橋に。「50歳だから」と歩みのスピードを落とすのではなく、夢を実現するためにアグレッシブに働く姿に勇気をもらった。

【石川さんから学んだ仕事をより充実させるためのヒント】

・言い訳するための理由付けは考えない

・自分を信じること、情熱を持ち続けること

・具体的なビジョンを持つこと

・年に1回はバカンスに出かける

Maison Landemaine

Ecole Levain D'antan