「日本人が海外で働く」と聞くと、駐在員や現地企業での就職などをイメージする人は多いはず。しかし実際には幅広い分野で日本人が働き、活躍しています。
この連載で紹介するのは「日本人であること」を武器に、英国ロンドンで生き生きと働く魅力的な女性たち。起業した人、お店や部門の立ち上げに参画した人などさまざまですが、日本人としての良さを生かしつつ、ローカルに根ざしたビジネスで働いています。「イギリスで生きていく」と決意し、地に足をつけてたくましく輝く女性たち。彼女たちがここに至るまでの道、これからの展望を伺いました!(連載4回)
ロンドンで「日本のパン屋」を経営する 樋田もとこさん
日本食人気はブームではなくてもはや「定着」している感のあるイギリス。特にロンドンでは、日本食レストランがひしめき、購入できる食材も増えてきました。
しかしなかなか手に入らず、食べるチャンスのないものもあります。その1つが「日本のパン」。イギリスにももちろんパンはありますが、食パンの味も食感も異なります。在英日本人にとって、日本風の惣菜パンや菓子パンは限られた日本食材店で買える‟ぜいたく品"です。
そんなロンドンに、昨年11月日本のパン屋「Happy Sky Bakery」がオープンしました。オーナーの樋田もとこさんは約8年間宅配スタイルでパンの販売を行った後、満を持して西ロンドンに路面店を開店。毎朝4時からパンを焼き、店頭に立っています。
樋田さんにこれまでのこと、そしてお仕事への想いを伺いました。
―ロンドンに来た理由は?
2006年3月にロンドンに来ましたが、実は妊娠がきっかけなんです。当時、東京の制作会社で働いていましたが、仕事で東京と中国、半分半分ぐらいの生活をしていました。仕事がとても充実していた時期につきあっていた彼(イギリス人)との間に妊娠が分かり、さんざん迷った末に、イギリスで出産・子育てをしようと決めてロンドンに来たんです。
「Happy Sky」の定番商品、あんぱんやクリームパン、メロンパンなど。その日の朝焼かれたパンが店頭に並ぶ。
【アジアで生きていくはずが、ロンドンへ】
―渡英を迷ったのはなぜですか?
自分は「アジアで生きていく人間」だと確信しているところがあったんです。私は大学卒業後中国に留学し、約7年間中国で働いていた経験があります。1995年から1年間北京民族大学中国語学科で学び、その後上海に移って日本の大手アパレル会社の中国現地法人に就職しました。当時は日本のファッションブランドが中国に進出しはじめたころで、中国のデパートで展開するための店舗デザインやプロモーションを統括するビジュアル・マーチャンダイジングを担当していました。学生時代からファッションに興味があったので、本当に楽しく働きました。
約4年勤務した後、そのまま中国でフリーランスとなり広告や販促物の製作プロデューサーに。仕事は順調でしたが、だんだん「中国でずっと仕事をしてきたけど、私って日本でも通用するのかな?」と思うようになり、2003年に帰国して制作会社に所属しましたが、中国の仕事も多かったので実際は東京と上海を行ったりきたりの生活でした。
そのころ航空会社でパイロットをしている現在の夫と日本で知りあいました。彼が日本によく仕事で来ていて月に2回ぐらい会えていたので、遠距離恋愛という感覚もなく楽しく過ごしていたところで妊娠が分かったんです。彼のことは大好きですが、仕事を辞めたくなかったですし、結婚願望もありませんでした。自分は「アジアで生きていく人間」だと確信しているところがあったんです。
彼と‟家族"になるのであれば、アジアを離れてイギリスに行かなくてはならない。せっかく中国と日本でキャリアを積んだのに、イギリスに行くことは自分が歩んできた道とちがうなあと。シングルマザーになる選択も含め悩みましたが、どんどん大きくなるお腹を見て、「この子の親としての責任を果たそう」と決意し、渡英することに決めました。2006年3月にロンドンに来て6月に結婚し、7月に息子を出産しました。
【出産後、仕事することばかり考えていた】
―パン屋さんを始めようと思ったのは?
出産して数カ月は‟お母さん"をやっていたのですが、ロンドンでも仕事をしたかったんです。でもコネも人脈も、当時は英語力もなかったのでどうしたら働けるだろうとずっと考えていました。製作プロデューサーの仕事を続けられないか?と思って試みたのですが、日本や中国から仕事をもらうのは無理がありました。完全に前職を諦めたとき、自分の‟手持ち"は何だろうと考え、そのとき「パン」が頭に浮かんだんです。
私の実家はお米を炊くようにパンを焼いていた家だったんです。私も小学生ぐらいからパン作りを手伝っていましたし、何よりパンが好きでした。ロンドンに来たばかりのころ私にはイギリスのパンがおいしく感じられなくて、そのとき「そうだ、私にはパンがある!」と思ったんです。「パンなら作れる。私にはパンしかない!」と。
パンと言ってもいろいろありますが、「私が作るなら日本のパンをメインにする」と最初から決めていました。中国にいたとき「自分は日本人以外の何者でもない」と強く感じたんです。なので、ロンドンでも自分が日本人であることを押し出して、仕事をしたいと。
惣菜パン1番人気の「チーズチキンカツ」。自家製チキンカツをチーズと一緒にパンに焼き込んだ、ボリューム満点の1品。
まずは自宅でパンを焼いて売ることから始めようと考え、息子を出産した年に自営業登録を済ませ、準備を始めました。イギリスは労働安全衛生法の基準が大変厳しいのですが、行政のチェックを受け、自宅キッチンで販売する食べ物を作ることができる許可を取得しました。製パンは日本から大量にパン作りの本を買って独学で研究を重ね、加えイギリスの製パン・製菓の現状も見ようとテムズバレー大学(現・ウェストロンドン大学、調理・製菓のコースがあることで有名な大学)のコースにも通いました。
そして2007年から週に1回のペースでパンの注文販売を始めました。チラシを作って知り合いに声をかけ、電話でオーダーを取ってデリバリーするという形です。
12~15種類のパンを注文票に載せても、当時はお客さんが少ないので各種類1個しか売れないことも。でもパンはそれぞれ生地も具も異なるので、どんなに少なくても1種類10~20個ぐらいはできてしまうんです。大量に売れのこったパンを近くの公園に持っていって、腹ペコの鳩にあげていました(笑)。
その後、息子が通う日本人幼稚園をデリバリーポイントにして週2回パンの販売をはじめたことで、たくさんの人に私のパンを知ってもらえるようになりました。メルマガで今週の商品を告知してオンラインで予約していただき、デリバリーポイントに取りにきていただくシステムです。2010年に場所を移してもこのスタイルで販売を続け、お客さんが徐々に増えていきました。スタッフも雇うようになり、ビジネスが順調にまわりだしました。
―路面店を出そうと決心したのは?
予約&デリバリーでの販売は95%が日本人のお客様なのですが、長くやっているうちにイギリス人をはじめとしたローカル(現地)の人たちに「私のパンがどれだけ受け入れられるのか」を試したくなったんです。息子もイギリス人として育っているし、イギリス社会でこれからも生きていくなら地域社会の一員として勝負しなきゃと。
数年前から物件を探しはじめ、昨年(2015年)私でも手の届きそうな物件を見つけました。でもテナント(店子)がしばらくいなかった「廃墟」に近い物件だったので、配電&配管からやりなおし。内装もイチからはじめて大変でしたが、10月に無事オープンすることができました。朝7時半から営業し、オーブンから出てすぐの1番おいしい「焼きたての味」を食べていただけるようになったのは、お店を出して本当によかったことです。パンの焼ける幸せな香りも一緒に提供できることは本当に幸せです。
【パン作り以外のことの方が大変なときも】
パン作りに関してはお店を出す前にすでに8年間の経験があったので、お店を出したからといって「イチから」という感じではなかったのですが、実はパン作りに至るまでの‟前段階"については今でもいろいろ苦労があります。これまでは家でパンを焼いていましたが、今は毎朝4時にお店に行かなくてはならない。夫が仕事で留守のときは息子を1人にできないのでシッター(子守)さんをお願いするのですが、早朝から来てくれる人はなかなか見つからないんです。息子をお店に連れてきて段ボールの中で寝かせながらパンを焼いたこともありました。それから古い建物なので天井が落ちてきたり、大雨で地下の倉庫が水没したり、鍵を壊されて泥棒が入りそうになったり。日々いろいろありすぎて、鍛えられますね(笑)。
―樋田さんのパンへのこだわりは?
添加物が一切入っていない、赤ちゃんの離乳食にもできる安全なパンであること。素材には徹底的にこだわり、中の具材もすべて手作りするのがウチのパンの特長です。あんぱんの餡は毎日8キロ煮ていますし、惣菜パンのカツや焼きそば、卵サラダもすべて店内で調理している作りたてです。
そうやって丁寧においしく作っているパンですが、日本のパンのことを知らないイギリス人や現地の人たちに分かってもらうには時間が掛かります。お店に来るお客様の8割以上はローカルの人たちです。「てりやき」「抹茶」「カツ」などはイギリスでもある程度浸透しているので分かってもらえることも多いのですが、それ以外ものは説明しないと「一体どんな味の何のパンなのか」を分かってもらえません。私は「布教」って呼んでるんですが(笑)、スタッフ全員で毎日根気強く説明を繰り返し、少しずつお客さんに日本のパンを分かってもらえる努力をしています。
抹茶クリームの入ったコロネを「マッチャ・ユニコーン」と命名。憶えてもらうための工夫。
説明だけではなく工夫も必要です。例えば「メロンパン」はメロンが入っているわけではないのでイギリス人には何が「メロン」なのか分かってもらえない。なので上のビスケット部分のサクサクした感じをフィーチャーして「ビスケットモンスター」という名前を付けたことで、憶えてもらえるようになりました。
種類豊富な「ビスケット・モンスター」。人気商品。
―これからのビジョンを教えてください
今1番「Happy Skyの売り」として押している商品はあんぱんです。あんこは日本が誇る素晴らしい保存食だと思いますが「甘く煮た小豆が入ったパン」と言っても、イギリス人にはなかなか分かってもらえません。でもロンドンでは数年前からテイクアウト専門の日本食店などで「どら焼き」が人気なんです。真空パックになって、スーパーに並んでいることもあります。どら焼きが受け入れられるのであれば、きっとあんぱんも人気が出るはず。うちのあんぱんは餡がたっぷりですが、値段を控えめにしているのは「もっとあんぱんを知ってほしい」という思いがあるからです。
いつかうちのあんぱんが真空パックなどの方法で、もっと遠くにいる人にも届くようになったら…とそんなことを夢見ながら、今はあんぱんを広めることに力を注いでいます。
ずっしり重いと感じるぐらいあんこが詰まっている。1.60ポンド(約216円)。
お店を始めたあとも注文&デリバリーでの販売を続けており、最近ロンドンの金融街(シティ)にある日系企業への注文&デリバリーも始めました。シティへの販売はお店を開店するときから視野にあり、少しずつお客様が増えています。日本人会社員の方に昼食やおやつ、または残業時の軽食としておいしく手軽に食べてもらいたしですし、また会社に配達することで、同僚やご家族にも届く機会を増やすことができます。
当店のパンをたくさんの人に知ってもらえるように、いろいろアイデアを考えていきたいと思いますが、こうしてやっていけているのは家族が理解してくれること、そして信頼するスタッフに恵まれているからです。注文を増やせるのは、一緒に働いてくれるスタッフがいてくれるからこそ。お店を支えてくれるスタッフと家族に、本当に感謝しています。
私個人としては、ずっと「職人」であり続けたいと思っています。プロデューサー時代から、カメラマンやデザイナーなど、自分の持つ技術を武器に働いている人に憧れていました。自分では何も作っていないのに…とモヤモヤしたものを感じていたんです。でもパンの仕事を始めて、やっと私も「職人」になることができたんです。
今年でパンの仕事を始めて9年です。ビジネスをまわす大変さも知りましたし、お金の大切さも実感しました。今後「Happy Sky Bakery」を経営するにあたり、いろんな選択を迫られ方向性を考えていくと思いますが、でも、やっぱりこれからも1人の職人でありたい。自分でパンをこねて、商品を作り、売っていきたい。
私は(仕事として)パンに出会えたのが遅かったから、今モーレツダッシュで走っています(笑)。お店をつぶさず、職人として生きていけるようこれからも頑張っていきたいです。
樋田もとこさん:
東京都出身。早稲田大学商学部卒業後、中国・北京へ留学。その後上海へ移り、日系アパレル会社勤務を経て中国でフリーランスとして独立。広告や販促物のプロデューサーとして活躍。2003年に日本に帰国後も中国と日本を行き来する生活をする。2006年渡英。出産後、2007年よりパンの製造販売を始める。2015年、西ロンドンに路面店「Happy Sky Bakery」をオープン。
※記事内の値段表記は1ポンド=135円で計算。
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