両親と離れて暮らし、住む家がなくなって、一人で生きていこうと思っていた――。これだけ聞くと、“壮絶”、“かわいそう”と感じる人もいるかもしれません。

そんな人生を送ってきたモデルのギャビーさんは、当時のことを「楽しかったし、悲しいことだと思わなかった」と話します。

「自分が進む道は、過去に関係なく切り拓ける」と言う彼女が、自らを振り返りながら伝えたいメッセージとは?


自分の居場所を探し続けた幼少期

アメリカで産まれた私は、4歳の時に福岡へ。住む環境や言語が変わった矢先、産んでくれた母は日本に馴染めず離婚し帰国。父と暮らすことになりました。すぐ新しいお母さんが我が家へ来てくれたのですが、数年で離婚。幼稚園や小学校や中学校…どれも隣に立っている母が違ったり、住む家がなくなってしまったりしたこともありました。

お父さんと姉と3人の生活になったけど、家にもほとんど帰って来なかったので、祖父母の家や友達の家を転々する日々。中学2~3年生の頃は施設にお世話になっていて、この頃には1人で生きていくことを考えていました。

こうやって私の特殊な生い立ちをお話しすると“悲劇”みたいに思われてしまうことも多いのですが、私の中では“悲しいこと”ではないんです。親と離れていた当時も、「私たち家族は、離れていても想いあっている家族」という気持ちがあったので、みんながそれぞれの生活をしているので離れ離れになっているだけ…という感覚でしたね。

もちろん悩んだこともたくさんあったけれど、その分周りの人たちがとても温かったから、ハッピーだった。小学校の時は、お盆やお正月などの長期休暇は校長先生の家で過ごさせてもらったり、運動会のお昼休みは先生たちとお弁当を食べたり。ちょっと特別扱いされている感じがしてうれしかった(笑)。周りの大人たちが私のために動こうと頑張ってくれていたことは、子どもながらに気づいていたし、その気持ちがありがたかったです。

葛藤するなかで見つけた夢

ただ、中学生の頃あたりからは悩みが増えるようになっていきました。親が近くにいないので、周りの大人に助けを求めることもあったけれど、その時にもらった答えは私が欲しかったものとは大きく違っていたんです。そんなことから、「大人に相談をしても、自分の求める居場所ではない」と感じて塞ぎ込んでしまい、人に相談するのをやめて、学校にも行かず友達と過ごして時間を潰す毎日でしたね。

そんな日々を過ごすなかで、私は自分の将来について考えるようになりました。今すぐにでも施設を出て一人暮らしをしたかったけど、中学生では部屋を借りるのも難しい。だから心のなかで、「中学を卒業したらすぐにでも自立して、小さい頃からの夢だったモデルになりたい! 自分の過去に引っ張られないためにも、上京しよう」と決めていました。

モデルになるというのは、小学校6年生からの夢。当時、日本語が苦手だった私が、文字が読めなくても楽しめたのがファッション誌だったんです。

でも、地元の狭いコミュニティではモデルになる方法なんて知っている人はいなくて。周りの大人が勧める進路やハローワークで提案される仕事は、どれも私の夢とはかけ離れていたものばかり。身が入らない私の姿を見て、大人たちはやる気がないと感じていたと思うけれど、本当は反抗していたわけではなくて、自分の求めるものと与えられるもののギャップに悩んでいただけだったんです。

両親と離れて暮らし、住む家がなくなった――。これだけ聞くと、“壮絶”、“かわいそう”と感じる人もいるかもしれません。そんな人生を送ってきたモデルのギャビーさんは、当時のことを「楽しかったし、悲しいことだと思わなかった」と話します。「自分が進む道は、過去に関係なく切り拓ける」と言う彼女が、伝えたいメッセージとは?
CEDRIC DIRADOURIAN

自分の力で掴んだモデルへの第一歩

それから念願かなって、中学校を卒業すると同時に上京。でもモデルになるためのツテもなかったので、まずはスカウトされることを狙って、初日に渋谷へ向かいました。

そこでちょうどギャル系ファッション誌に声をかけてもらい、専属契約を結ぶことに。上京初日にスカウトをされて、ずっと憧れていたモデルへの一歩を進みました。

中学を卒業してすぐに上京したと言うと「怖くなかったの?」とよく聞かれるけど、私には失うものが何もなかったから、前に進むしかなかった。この性格は今でも変わっていなくて、悩むよりもまずやってみよう! というタイプ。行動した後に感じる不安や悩みはどうにかできることが多いけれど、行動する前に悩むと余計不安に感じてしまう気がします。

もちろんその分失敗もたくさんするけれど、動きはじめてから人に相談した方が、周りの人から具体的な助言をもらえたり、サポートしてもらいやすかったり。結果的にいい方向へ向かえると思うんですよね。

地元への恩返しも

順調にスタートを切ったモデルへの道ですが、本格的にモデル業を始める前に、たくさんお世話になった人たちがいる福岡で、恩返しをしたかったんです。

そしてお金もない中でスタートさせた、G-revolutionというプロジェクト。これは同世代の女の子たちで集まって、「福岡の街をゴミ拾い活動できれいにしよう」というものでした。

せっかくやるならみんなに活動を知ってほしくて、新聞社に記事を書いてもらったり、企業に声をかけて協賛をしてもらって、みんなでお揃いのピンクのジャンパーを作ったり。そうやって多くの人に協力してもらいながら、プロジェクトは無事成功。上京した今はG-revolutionとしての活動は休止してしまっているけれど、今後はもっと大きなことができるように、当時のFacebookやTwitterは残しています。

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▲G-revolutionでの活動

系統に捉われない、何色にも染まれるモデルが目標

G-revolutionも成功させ、上京してからはモデル活動を本格的にスタートしたのですが、モデルをはじめてからも壁はたくさんありました。

最初に専属契約をした雑誌はしばらくしてから休刊が決定。その後、新たに専属モデルとなった雑誌もすぐに休刊に。

この頃は、自分のモデルとしての方向性にも悩んでいました。もともと私は自分が「ギャル」だとは思っていなくて、今も昔もカジュアルなテイストの洋服が好きなだけ。日本だとその雰囲気がギャルに見えてしまったのかもしれません。

私自身はそのつもりでなくても、世の中についた私のイメージは完全にギャル。そのことが、モデルとして少し危険だなと感じていたんです。そしてギャルブームが衰退していくなか、自分のキャリアを考えて一度モデルの仕事をお休みして戦略を考えることにしました。

その間は事務所に入らずフリーのモデルとして活動をしながら、幼稚園に勤務。そんなときに、私の考えをしっかり受け止めてくれる今の事務所と出会えて、改めてモデルとしての新しい道でチャレンジするようになりました。

私はモデルとして、雑誌の系統にこだわりはないんです。ただどんな洋服も着こなせるモデルになりたい。何にでも染まりながら、「ギャビー」としてのスタイルは基本的には変えずに、確立した存在でありたいと思っています。

両親と離れて暮らし、住む家がなくなった――。これだけ聞くと、“壮絶”、“かわいそう”と感じる人もいるかもしれません。そんな人生を送ってきたモデルのギャビーさんは、当時のことを「楽しかったし、悲しいことだと思わなかった」と話します。「自分が進む道は、過去に関係なく切り拓ける」と言う彼女が、伝えたいメッセージとは?
CEDRIC DIRADOURIAN

周りの人たちと幸せを分け合えるような活動をしたい

願いはたくさんあるけど、大きな目標としては私と出会う人みんなを笑顔にすること。
そのためには、自分の気持ちを素直に伝えることと、相手のことを考えて行動することを大切にしたいです。

昔は家族が近くにいないことで人との距離の詰めかたを間違えてしまったり、自分の気持ちを伝えることが苦手だったりしたこともありました。でもそういった経験をしてきたからこそ、今は友達や仕事相手、応援してくれるファンの方々など、大切な人たちに対しては、見返りなく行動するようにしています。

たくさん目標はあるけれど、自分がやりたいことのために、誰かを傷つけたりはしたくない。自分の目指す夢に対しては、自分がリスクを背負うだけでいたいんです。まずは人として「強く、優しく、美しく」。そして周りと協力をしながら、みんなで幸せになれる道筋を作りたいです。

両親と離れて暮らし、住む家がなくなった――。これだけ聞くと、“壮絶”、“かわいそう”と感じる人もいるかもしれません。そんな人生を送ってきたモデルのギャビーさんは、当時のことを「楽しかったし、悲しいことだと思わなかった」と話します。「自分が進む道は、過去に関係なく切り拓ける」と言う彼女が、伝えたいメッセージとは?
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ギャビー

アメリカ生まれ、福岡育ち。16歳でモデルデビュー、ファッション誌を中心に活躍。現在「JJ」専属モデル。抜群のスタイルとハッピーなキャラクターが魅力で、TV・広告などでも活躍の場を広げている。

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