「その気」なしで誘える、普通の男子募集中

仕事で何度かご一緒していた年下の男子(既婚)のお話。彼は優秀な上に肩の力が抜けた、すごくちゃんとしたいい人です。ある時の仕事を終えた後、向こうから「お茶でもしますか」と誘ってくれ、そのうち私からも声をかけるようになり、時折お茶やビールを飲みながら他愛のない話をしたりしていました。

それが、いつだったか、仕事の後に「あー喉乾いた、ビール飲まない?」と誘ったら、いえちょっとみたいな反応が返ってきました。その時は「ふうん、まあいいや」と思っていたのですが、以降、別にこっちが誘う気も何もない帰り際に、「寄っていくところがあるんで」とか「僕、こっちなんで」と絶妙に1拍早く言われるように。

ははーん、私に誘われるのを避けてるなと気づき、そんならそれで別になんということもないのですが、とはいえ、なんとなーくモヤります。変な話ですが、私は男女を問わず仕事相手との個人的感情のやりとり全般が苦手で、特に男性と仕事をする時は「女」にならないよう心掛けていますし、そもそも彼は既婚者ですし、イケメンだからよく女難に見舞われるために神経過敏になってる、みたいなタイプでもなさそうです。

つまり私はそうした興味がない相手に、そうした興味をぜんぜん示していないにも関わらず、「渥美さんが誘ってくるのは、どうやら僕のこと好きだからっぽいけど、僕はそんな気ないんでちょっと……」みたいな対応をされているわけで――告白する気もない相手から先に断られる、ってヤダちょっとどうなのそれwww。笑ってる場合じゃないけども。

そんなこんなで、今回のネタはソフィア・コッポラ監督の新作『ビガイルド/欲望の目覚め』1860年代、南北戦争下のアメリカ南部、森に閉ざされた女学院に、負傷したイケメンの北軍兵士が転がり込み――恐ろしいことが……!というお話です。

キルスティン・ダンストをまんまと篭絡するコリン・ファレルpinterest

俺はそんな気ないけど、あんたは俺にメロメロなんだろ

原作小説は、1971年にも『白い肌の異常な夜』というタイトルで、ドン・シーゲル監督が映画化しています。両作品とも、負傷兵士が自分の要求を満たすために、イケメンパワーで女たちを操ろうとするという展開で、その違いを問われたソフィア・コッポラは「前作は男目線で、今回は女子目線」と答えています。

さてまずは男目線のドン・シーゲル版。男を演じるのは「野蛮な色気を備えたヒュー・ジャックマン」といった趣の、若き日のクリント・イーストウッド。彼は女たちの唇を次々と奪い、それによって「モノにした」という確信を得ます。彼女らは自分からキスを迫り、もしくはキスをしてきた彼に喜んで応じた上に、「続きは今夜、部屋で待ってるわ」的に匂わせてくるわけです――男一般が望む通りに。まさに男目線。

一方、ソフィア・コッポラ版では、こうした部分はバッサリとカットされています。それどころか、ニコール・キッドマン演じる40代の学園長――シーゲル版では男に抱かれる夢まで見ていた――は、男(ソフィア版はコリン・ファレル)に唇すら許しません。

面白いのは、にもかかわらず両方の男が、その後自身に起こった惨事を学園長の仕業だと、ほぼ同じ言葉で罵ることです。こんな感じで。

「俺が昨日、あんたのベッドに行かなかったからって、こんな仕打ちを」

キスもない、妄想も別にしてない女子目線のソフィア版で、より明確になるのは「男の勘違い」ぶりです。二人の男は一見異なるタイプに見えますが、勘違いのツボは全く同じ。露出度の高い服着てたから、二人で飲みに行ったから、そんなの全然なかったけど視線が誘ってたから、「俺とのセックスしたがってる」とかいう超ハイパーな思考回路の裏返しのように、「あんたは俺に抱かれたかったんだろうけど、俺はそんな気ないんで」と言い放っているわけです。ニコールの「はぁ?」の表情。

いやもしかしたらこの二人にとどまらず、100人中80人くらいの男が同じツボを持っているのかもしれません。ニコールが演じた学園長に代わって、そして自分自身のために、私は声を大にして言いたい。君のこととか、別になんとも思っていませんから。

『ビガイルド/欲望の目覚め』

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