妊娠、出産って、まだの人にとっては想像しがたいもの。幸せオーラ全開の人ばかりかと思いきや、コスモポリタン アメリカ版のライターの実体験では、とってもを苦しい体験だったそうで…。

「妊娠して30kg近く太った私。咳をする度に尿漏れしていた。助産婦は私を見る度、『とても綺麗よ』と言った。

そんなお世辞とは裏腹に、自分はひどく見苦しい存在であると感じ、そのことに罪悪感を抱いていた。

世の中には赤ちゃんが欲しくてもできず、妊娠しても問題を抱えている人が多くいる。なのに、運良く妊娠した私は、世間が描くような美しい妊婦像とは程遠い気分だった。

時に、妊娠前に履いていたジーンズが二度と履けなくなるのではないかという恐怖心に駆られ、深呼吸して気持ちを落ち着かせなければならないことも。妊娠は吐き気を催すような、訳の分からないことの連続。でも、それでもいいんだって。誰かに"ボロ雑巾になったような気分を感じていてもいいんだよ"と言って欲しかった。

今となっては、妊娠当時の写真を見ると、自分がグラマラスでセクシーだったと思える。でも、肥えた体を左右に揺らしながら歩いていた当時の気分は忘れられない。普段から体重を気にしている自分にとって、妊娠をしたことは自分の体のコントロールを失ったような気分だった。この体型のまま一生過ごすのだろうか?と自分の体の変化が怖かった。 

妊娠期間は限られている。赤ちゃんを持つことは素晴らしいこと。そう自分に言い聞かせても、怖いものは怖い。

いま妊娠していて、そんな自分の変化に戸惑っている女性たちには、"自分が醜い、ぶくぶく体型、不格好、そして惨めだと感じていいんだ"と伝えたい。

妊娠している女性は美しい、と本心で言っている人はそれでいい。妊娠中だった2年前、私自身が妊娠している女性たちにそう言っていたから。

実際、彼女たちは内側から輝いていた。とは言うものの、彼女たちがそう思っていなければ、周りが何と言っても意味がないのだ。妊娠経験のある女性と話をすると、私の言い分が決して少数派でないのがわかる。

ところが、妊娠を手放しで称賛する人達がいるお陰で、私のような存在はかき消されてしまうのだ。

アメリカ社会では、妊娠中の女性アレコレ指摘する風潮がある。何をどの位食べるべきか、どの位運動をすべきか(あるいはしないべきか)、など。巷には妊娠中にこうするとこうなる、というホラー話が溢れている。もしかしたら、私の恐怖心の根源とは、自分が太るということよりも、妊娠することによって世間から妊婦として晒されてしまうことにあったのかもしれない。

妊娠中は、普段の自分と同じ気分でいたかった。だから、『妊婦は美しい』なんていうきれいごとはドブに捨てることにした。だから、今後、妊娠中の女性にあったら、彼女の服や笑顔、仕事の業績をほめてあげたい。どうしても見た目についてなにか言わないといけないなら、『調子が良さそうね』という程度にとどめるつもり。もし、彼女が妊娠している自分へ不満を言ったら否定するのだけはやめよう。彼女が何を感じようと、それは彼女の自由なんだから」

※この翻訳は、抄訳です。

Translation:Rubicon solutions

COSMOPOLITAN US