シリア難民キャンプから、オランダ国立バレエの舞台へ

内戦、イスラム国(IS)の侵略の中で育ち…「バレエ」を通して戦うダンサーにインタビュー。

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20177月、夏の青空に映えるエッフェル塔の前で、1人の男性が空を舞うようにダンスを披露し話題になった。長身で、まるで彫刻のような筋肉美を持つ彼の名前は、アハマド・ジュデさん。アムステルダムを拠点とし、オランダ国立バレエでデビューを果たしたバレエダンサー。

アハマドさんの母はシリア人、父はパレスチナ人、ダマスカス南部のパレスチナ難民キャンプで生まれ育った。父からの猛烈な反対、シリア内戦、イスラム国(以下、IS)からの脅迫にも立ち向かい、「バレエは僕の人生を変えた。どんなことにも立ち向かう勇気をくれたんだ」、と言うアハマドさん。そんな彼の今までのストーリーを通し、バレエへの情熱に迫りました。

アハマド・ジュデさん(27)、バレエダンサー

―まずはじめに、アハマドさんがバレエを始めたきっかけは?

8歳の頃に学校の発表会でバレエを見たとき、ただ世界観に引き込まれ、気が付くと一緒に身体が踊っていました。それまでバレエのことは知りませんでしたが、そこで「これこそ自分のしたいことだ」と確信したんです。

でも僕の育ったキャンプは大きな街とは違い、バレエは女子がするもので、男子が踊るなるなんて恥だという認識がありました。だから毎日部屋の鍵を閉め、こっそり家族に見つからないように踊っていましたね。

その後、16歳になった時にバレエのアカデミーに合格し、本格的に学び始めました。初日にレッスンを受けた時、はじめて自分自身の価値を見出すことができ「一生を通してバレエを踊る!」と決意したのを覚えています。

今よりもっといいダンスが踊れるようになりたい、その一心でダンスの授業に集中していました。

そんなある日、内緒でダンスのレッスンを受けに行っていたことが父にばれてしまい激怒されました。彼は僕を木棒で強く殴り、ダンスの衣装を燃やし…あらゆる手段を尽くして、ダンスを諦めさせようとしたんです。でも、反対されればされるほど、僕の情熱は強くなりました。一方で、母は僕の夢を応援してくれ、励ましてくれていました。父は、母と離婚し、僕たち家族と離れることを決意。僕は母と兄弟たちと一緒に家を出ていき、働いて家庭を支えながら学校に通いました。

2011年にはシリアで内戦が始まりました。アハマドさんの住む地域も、状況はひどかったそうですね。戦争が激化した際は、どうしていましたか?

家が破壊され、住む場所がなくなりました。友達の家の屋根にテントを張り、雪の降る中踊っていました。

戦争が始まって1年後には僕たちの家は破壊され、家族のうち5人が殺害され、思い出の品も何もかもすべて失いました。住む場所を探したけど見つからず、母は兄弟たちを連れて故郷に帰り、僕はダンスの試験を受けるためにシリアの首都ダマスカスに残りました。最終的に友達の家の屋根にテントを張らせてもらい、雪が降る凍てつく寒さのなか3カ月間生活し、そこで踊っていました。

その後、ダンスオーディション番組「アメリカン・ダンスアイドル(So You think you can dance)」のアラビア版でコンテストを受ける機会があってファイナリストまで残ったのですが、僕はパレスチナ人で国籍がないため、優勝には至ることができませんでした。その後はダンスのレッスンを続けるためダマスカスに戻り、戦争で家族を失った子どもたちにもダンスを教えはじめました。

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―ダンスを一生懸命学んだのに、国は戦争で将来がどうなるか分からない…。この状況に、不安はありませんでしたか?

バレエを踊っていると、「大丈夫、すべてうまくいく」という不思議な安心感に包まれる

自分の人生がどうなるかなんて想像もつかなかったし、本当に混乱状態でした。でも、ダンスをしている瞬間だけは、「大丈夫、すべてうまくいく。このままで終わったりなんかしない」という不思議な自信や安心感に包まれたんです。それに、絶対に諦めたくなかった。

でも、この戦争にはある意味とても感謝しています。寝る場所がなかった日も、食べ物が何日もない日も続いて…この生活があったから何があっても生き抜く力や、困難を乗り越える方法を学んで、そして何より僕の強い人格を作ってくれたから。

バレエに人生をささげる、シリア人バレエダンサー

―戦争中、アハマドさんの暮らすキャンプにISやアルカイダ系グループが侵入してきたそうですが、影響はありましたか。

僕の活動を知ったISが、ある日フェイスブックから脅しのメッセージを送ってきたり、電話で脅迫したりしはじめました。だから、僕なりの返答として「Dance or Die(ダンスか、死か)」という言葉を、ISがいつも処刑の時に首を斬る部分にタトゥーを入れました。「Dance or Die」という言葉は僕の人生のモットーで、最後の瞬間までこの言葉を胸に生きていたかったから。

バレエに人生をささげる、シリア人バレエダンサー

ISの目的の1つが、文化や歴史を破壊すること。だからこそ、僕たちは何千年もの歴史が詰まった文化を守らないといけない。彼らがパルミラ(シリア中部の村)にある世界遺産を破壊しはじめたとき、そのローマ劇場でダンスを踊りに行きました。彼らはそこで人々を処刑しているけれど、「ここは芸術のための場所であって、人を殺すための場所ではない」と伝えたかったんです。

バレエに人生をささげる、シリア人バレエダンサー
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―そんな危険な現場で挑発するような行為をして、怖くなかったのですか?

ダンスを戦時中の状況下にも踊る。それが僕なりの戦い方でした

僕は自分の国の美しいものに責任を感じています。それに、自分なりの方法で戦わないといけない。そう考えたときに、ダンスを戦時中の状況下で踊る、それが僕ができる戦い方でした。

―その後、オランダ人ジャーナリストとシリアでドキュメンタリー制作をしたそうですね。

シリアでは18歳以上の男子は学校を卒業したら兵役が義務づけられているのですが、ちょうど学校を卒業して軍に入るまであと3カ月というときに、オランダ人ジャーナリストがたまたま僕をインターネットで見つけ、フェイスブックから連絡を取ってくれました。僕の人生のドキュメンタリーをつくるためにシリアに来る、そう言ったので反対したのですが、彼はそれでもシリアを訪れ、一緒にドキュメンタリーを撮影しました。

撮影中もISが周囲にいて、政府軍と戦っていました。でも、正直怖いという感情はなかった。ダンスは僕の情熱で、彼らのことをまったく恐れていないと証明したかったんです。

バレエに人生をささげる、シリア人バレエダンサー

―その後、アムステルダムに渡った経緯は?

このドキュメンタリーをテレビで見たオランダ国立バレエの芸術監督が、「君をアムステルダムで学ばせ、一緒に作品を作りたい」とメッセージを送ってくれました。とても気持ちは嬉しかったけど「僕にはパスポートがないのでビザ取得は不可能です」と返信したところ、「絶対に実現させてみせる」と返信が。彼は、僕の兵役が差し迫っていることを知っていたので、クラウドファンディング(ある目的のためにインターネットを通じて資金など協力を募ること)でお金を調達し、兵役が始まる前に本当にアムステルダムに呼び寄せてくれました。

今はヨーロッパに来て1年が立ちますが、アムステルダムのダンスアカデミーでレッスンを受け、オランダ国立バレエで舞台を踏みはじめることもできました。今年下旬にも「眠れる森の美女」の端役を演じる予定です。

その他にも、ヨーロッパを周って世界中の難民を支援するイベントでダンスを披露したり、オランダの難民キャンプでも子供たちにバレエのレッスンを開いています。

僕は生まれてから今日まで、ずっと難民です。その僕が夢を叶えれるということは、他のどんな難民の人たちも夢を叶えれるということ。みんな、夢を叶える力を備えていると感じてほしいんです。

―今、オランダで生活している心境は?

夢を追うことができるという機会を受ける、そんな価値に値する人間でいられるよう、毎日、できる以上の努力をしています

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プロのダンサーたちと一緒の場にいることは、最高の気持ちです。彼らがどのように練習してレッスンを受けるのか観察できることは、とてもモチベーションを高めてくれます。

その一方で正直、幸せを感じることに罪悪感もあります。シリアのすべての人が、だれか大切な人を失っている状態。みんなが心に傷を負っていて、今は戦争よりも問題はもっと大きいです。

だから、ヨーロッパで夢を追うことができるという機会を受ける価値のある人間でいられるよう、毎日、自分ができる以上の努力をするようにつとめています。

シリアの家族や生徒たちにとって、僕はたった1つの希望。みんな、明るいニュースは僕のことだけ、と言ってくれるからこそ責任は重大です!

Amsterdam ❌❌❌

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―ご両親はアハマドさんのことをとても誇りに思われているでしょうね!

今、できる限り働いてシリアの家族のサポートもしています。ダンスの練習で時間がないのと、シリアでは電気がいつも通っているわけではないので、3日に1回ほどしか母と連絡がとれないのですが、電話が通じるたびに生きてくれていることに感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、父とはヨーロッパで11年ぶりに再会を果たしました。父はボートに乗って地中海を渡り、今ベルリンの難民キャンプにいます。その話を聞き、サプライズで父に会いに行きました。ドアを開けて「グッドモーニング!」と言うと、彼は感情が抑えきれない様子で、謝り、始終泣いていました。このときが、人生で初めて父と抱き合った瞬間でした。

僕にとっては大きなステップでしたが、ヨーロッパで新しい生活を始める以上、ネガティブな感情を断ち切ってゼロからスタートしたかった。彼は今、僕を応援してくれ、誇りに思ってくれています。改めて関係を築き、なんだか変な感じもありますが、もちろん彼は僕の父であって、尊敬しています。

―今の夢を教えてください。

国立シリア・バレエを立ち上げること! その為にも毎日周囲の物事から吸収し、学んでいます

世界中の舞台を踏むことです。それに僕は学ぶために、今外国にいます。周囲のすべての物事から吸収し、自分の国の助けになる力をもっともっと身に着けたい。僕の最大の目標がいつかシリアに帰って、国立シリア・バレエを立ち上げることなので! どうやったら素晴らしい国立バレエを作り上げられるか、毎日観察していますし、必ず実現させます。国立シリア・バレエを自分が生きているうちに、目にしたいんです。

子どものころからいつも大きな夢を見て叶えることができたので、この目標も叶えないと!

―最後に、アハマドさんにとってバレエとは?

ダンスは人生を変える力がある。そして、人生で直面するすべてのことに立ち向かう勇気をくれた

毎日を気分よく過ごす要素です。もし、朝起きてバレエの練習をしないと、1日中不機嫌になってしまう。結局、僕にとって、すべてです。ダンスをしているときに感じることのできるのが、強さ、完璧な自由、幸せ。だから毎日踊り続けたいし、今もずっと初めての頃と同じ気持ちで踊っています。

そしてダンスは人生を変える力があるし、僕の人生で直面するすべてのことに立ち向かう勇気をくれた。そういったことを、戦争で家族を失った子どもたちに感じてもらえるよう、伝えていくのが今の目標です。


力強いストーリーからは想像ができないほど、始終柔らかい口調と謙虚さをもって取材に応じてくれたアハマドさん。「戦争ですべて失っても、ダンスだけがあった」という彼の話からは、何かに情熱を持つことが、どんな状況をも強く生き抜くことができる。そして、そんな情熱に出合う可能性は誰もが持っている。そう強く感じさせられました。

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