妊娠中、女性の身体にはさまざまな変化が起きるもの。吐き気や頭痛、むくみなど、ツラい症状に悩まされる人も多いけど、でもそれがすべて「つわり」や「妊娠による症状」とは限らないから注意が必要。

コスモポリタン アメリカ版では、妊娠中に(妊娠とはまったく関係のない)大病が発見された女性の実話を紹介。もう少し遅かったら生涯全身麻痺が残ってしまうかもしれなかったのだとか。もし身体に違和感を感じたら、我慢せずにすぐ医師に相談を!

今思えばそのときに対処すべきでした。"大したことない"と思ってしまったんです。


【INDEX】

  • 症状のはじまり
  • 診断
  • 克服

【症状のはじまり】

ミシガン州に暮らすエイミー・ガリソンさん(33歳)。第2子の妊娠初期は順調そのものだったという。もともとマラソンランナーだった彼女は、妊娠しても幼い我が子(第1子)と一緒に走りまわり、運動もつづけていた。妊娠25週に入ったころから肩に痛みを感じるようになったものの、あまり気にせず、ジムに行ったときに筋を違えてしまった? ぐらいに思っていた。

「今思えばそのときに対処すべきでした。‟大したことない"と思ってしまったんです」とエイミーさんは語る。

翌週にはさらに痛みがひどくなり、腕と背中の痛みからマスカラがつけられないほどに。痛みは右半身だけだったものの、彼女は右利きだったのでとにかく不便だった。

ひとまず産科医を受診したものの、医師は彼女をランナーの治療が専門の整形外科にまわし、そこで「神経を痛めてしまったのだろう」と診断された。医師はストレッチをするようにすすめただけで、彼女の妊娠26週目の母体を気づかい薬は処方しなかった。しかし残念ながらストレッチはまったく効かず、痛みは増すばかり。今度はカイロプラクティックのクリニックに行って施術を受けたものの変化なし。仕方なく妊娠中でも服用できると言われている解熱鎮痛剤を飲んでみたが痛みはおさまらず、その後2週間眠れないほどの痛みにさいなまれた。

「ひと晩中痛みに悲鳴をあげていました。私は痛みには強い方だと思っていたのですが、そのときの痛みは異常だったんです。歩くと少し痛みが軽減したので、一晩中歩き続けるしかありませんでした」

とうとう痛みに耐えかねた彼女は不安発作を起こし、病院の救命救急センターに担ぎこまれることに。病院で痛み止めの注射を打ってもらい、その日は家に帰宅したものの翌朝痛みが再発。彼女の右の肩と首には、常にナイフで刺すような痛みが襲いつづけていたという。

「この痛みはひどすぎる。ただ神経を痛めただけではないはず!」

再度病院に駆けこむと、若い医師がMRI(磁気共鳴画像)検査を受けるように勧めた。しかし正確に検査を行うためには検査時に造影剤を注射する必要があり、造影剤は胎盤を通過し胎児に影響を与える可能性があるため、妊娠中は避けるのが一般的だと言われたという。

胎児にリスクがある。でも尋常でないほどの痛みに苦しんでいたエイミーさんは、原因を今すぐ知りたかった。

「検査によって赤ちゃんに影響があっても、病院側に責任はありませんという内容の同意書にサインしなくてはなりませんでした。赤ちゃんのことが何よりも大切だけど、検査を受けなければ痛みは終わらない。私って最低の母親…と自分を責めました」

MRI検査を受けることになったものの、検査台に仰向けに寝ることさえも悲鳴をあげるほどの痛みだったという。その日はそのまま入院し、翌朝病院で目を覚ますと、ぐるりと医師団に囲まれていた。「どうしてこんなにたくさんの人が病室にいるの?」

そして1人の医師から衝撃の事実を知らされた。「あなたの脊髄には腫瘍があるようです」。

【診断】

突然の宣告に驚いたエイミーさん。医師に向かって泣きながら「ガン!?  どのぐらい進行しているの!?」と叫んだという。

医師は「正直まだよく分からないんです」と話し、もっと大きな病院(ミシガン大学病院)の神経外科に移送する必要があると告げた。

頭がボーっとして何も考えられなかったものの、大病院の神経外科に移された彼女は再度MRIを受けることに。

この時点で、医師はまだエイミーさんの病気をきちんと把握できておらず、「手術して神経組織を一部切りとり、生検しないかぎりは確実には分からない」と言われたのだとか。しかし手術をすると胎児にリスクがおよぶことになる…。医師たちの見解では、彼女の腫瘍はゆっくりと成長する「上衣腫(じょういしゅ)」と呼ばれるもの。

「上衣腫」は子どもの場合は脳に、成人の場合は脊髄にできることの多い腫瘍で、エイミーさんの場合、実は子どものときから腫瘍があった可能性もあるという。腫瘍が大きくなることで神経に影響を与え、内臓機能をコントロールできなくなるだけでなく歩行不能となる場合も。彼女はまだ手や腕の感覚を失ってはいなかったが、手遅れになる前に腫瘍を除去する必要があった。

「治療チームは28週目で赤ちゃんを早期出産する準備をはじめました。この状態を望んだ人は誰1人いなかったけど、でも私自身の命の危機でもありました」

しかし若き神経外科医であるダニエル・オリンガー医師がエイミーさんの治療チームに入ると、状況が変わった。彼は早期出産の予定を撤回し、「腫瘍の成長は遅いので、あと10週間、胎児が十分に成長するまで待ってから出産し、その後腫瘍摘出手術をするのでも遅くない」と説明した。

オリンガー医師にはたった5年の臨床経験しかなかったものの、これまでにエイミーさんと同じ症状の患者を10人も担当した経歴があった。

「確証はなかったのですが、まだ低いステージの腫瘍なので、待つ時間は十分にあるはずと考えました。医師として難しい判断でしたが、手術の手法やタイミングを決断するのはいつも本当に難しいことなんです」とオリンガー医師は当時を振り返る。

赤ちゃんを守るため、エイミーさんは危険を承知でオリンガー医師の方針に従った。痛みを和らげるための鎮痛パッチが処方され、その後2カ月間痛みに耐えた彼女は憔悴しきっていたものの、無事胎児は成長。そして201512月、無事健康な赤ちゃんを帝王切開で出産した。

「まさに奇跡でした。本当にラッキーだったと思います。赤ちゃんが元気に生まれてくるかどうかは誰にも分からなかったから」

出産から2週間後、彼女は再び入院し、今度は腫瘍切除の手術を受けることになった。手術後ちゃんと目覚めるだろうか? 麻痺は残らないだろうか? 恐怖が頭の中を駆けめぐった彼女だったが、20時間の手術を乗り越え無事目を覚ました。

「もちろん大変でしたが、医師に『ちゃんとつま先が動いているよ。大丈夫』と言われたとき、本当にうれしかったです。手術が成功して本当によかったし、ホッとしています」

【克服】

エイミーさんは手術後1週間入院し、経過は良好だった。その後3週間リハビリ施設に入所し、退所前にはほんの数歩だったが歩くこともできるようになっていた。

靴を履いて歩けることが嬉しくて、泣き出してしまいました。赤ちゃんが健康だったと知ったときとはまた違う喜びでした」

入院中、2人の幼い子どもたちと離れているのはツラかったが、家に帰宅できるその日まで精一杯リハビリに励んだ彼女。夫婦両家の両親の協力を受け、またベビーシッターもいるという恵まれた環境ではあったものの、帰宅してからの日々は予想以上に大変だったという。

「何もできないだめな私のために、みんなが迷惑している…と感じ、落ちこんでしまいました」。カウンセラーとの面談も助けとなり、少しずつできることを増やしていった。

手術から約半年、彼女の体調は良好だ。最後に受けたMRI検査も異常なし。薬を飲む必要もなくなり、子育ても買い物も、外食も普通にできるようになった。そしてゆっくり走ったり、ジムでエクササイズバイクのクラスを受けるなど、運動も再開した。

右肩と腕の痛みがすべて消えたわけではないが、我慢できる程度におさまっているし、今後さらに痛みが軽減することを期待しているという。医師によると、神経が再生するには2年かかるとのこと。身体を動かすことも治療を続けることも、今はまだ容易ではない。

「妊娠の場合、出産すれば陣痛は終わります。でもこの病気はそうはいかない。『永遠にこの痛みが消えないのでは…』と悲しくなるときもありますが、ネガティブな思考を持たずに頑張ることが大切だと思っています」

※この翻訳は、抄訳です。

Translation: 宮田華子

COSMOPOLITAN US