人生においてお金は大切。でも、お金だけが人生じゃないのもまた事実。ハードワークに追われる毎日の中で、"自分が本当になりたい自分"について考えたことのある女子も少なくないのでは…?

今回はコスモポリタン アメリカ版より、キャリアを捨て、"ありのままの自分"として生きる道を選んだ女性、サラ・ディヴェロさんの体験談をお届けします。

心が病んでいくのを感じていました。

31才のころ、私は年商約85兆円の金融系企業のPR部長として働き、年収は1,000万円以上ありました。でも、今は安定した仕事も高収入も捨て、ヨガ教師兼ライターをしています。…というとシンプルな話に聞こえるかもしれないですが、私にとってはとても大きな決断でした。

10年近くのあいだ、私は脳がマヒするぐらい働き、官僚主義的な会社の気質にも耐え、憂鬱な日々を送っていました。それもすべてお金のため。でも少しずつ心が病んでいくのを感じていたのです。

厳しい業界でストレスをともなう業務と出張続きの生活が根本的な問題でした。私はとにかく疲れ切ってしまったのです。家族や友人、そして私と同じぐらい出張の多い婚約者と過ごす時間はほとんどありませんでした。私も彼もいつもスーツケースはドアの前に置いたまま。小さいアパートの狭い納戸にスーツケースを出し入れする手間を考えたら、そのほうが楽。そんな風に思うぐらいお互いに出張つづきでした。

ストレスで行き詰った私は、ヨガにのめり込みました。残業、コーヒーの飲み過ぎ、精根尽きているのに明日も必死で働かなくてはならない…そういった辛さからの解放を求めてヨガクラスに通いました。1時間半のクラスではまず集中し、深呼吸して緊張をゆるめていきます。そして静けさに身をゆだね、元気を取り戻すのです。

そんなとき、「本当にすべきことを、今の私はやっていない」という自分自身の心の声を聞いたのです。でも当時の私は心の声に耳を傾けるには忙しすぎました。そして「キャリアも大切」と思い込んでいました。

「作家になりたい」という贅沢な夢の代わりに、私の目の前にあったのは学生ローンの支払いという現実でした。

そんな風にしてなんとか日々をやり過ごしていたのには理由がありました。私は貧しい家庭で育ちました。洋服はお下がりばかり。いつもお金の心配をしていたのです。親戚中で大学に進学したのは私が初めて。人生を自分自身で切り開いてきたのです。本当は「本を書きたい」という憧れがあったけれど、就職に有利な学部を専攻しました。「作家になりたい」という贅沢な夢の代わりに、私の目の前にあったのは学生ローンの支払いという現実でした。

「やらなくてはならないからやること」と「本当にやりたいこと」の間には大きな溝があり、その溝はだんだん大きくなっていくものです。こんなことを続けているべきじゃない、と知っていても自分に嘘をついていれば何十年かは過ぎていきます。でも気づかないうちに、自分自身が壊れてしまうのです。

私がそのことに気づいたのは、ロッキー山脈で開催されたある大事な会議に参加したときです。高山病によるめまい、夜遅くまで続く会議、そしてワイン漬けのビジネスディナー…私は疲れ果てていました。ある晩、夜中にふと目が覚めると、自分がどこにいるのか本当に分わからず混乱してしまいました。

今すぐに自宅に飛んでかえり、婚約者の胸に顔を埋めたい衝動にかられました。でも私は標高3,200メートルもの山の上、彼も出張でロンドン。スケジュールと時差を考えると、実際に彼と話せるのは何日も先のことです。「私たちは最強のカップル!」と信じてきたけれど、そのとき「こんな状態のときも会えないなんて、本当に私たちはカップルなんだろうか?」と思いました。何かを変える必要があったのです

私はヨガに救いを求めつづけました。自宅に戻るとヨガ講師になるためのコースに申し込みました。ヨガをより深く知り、自分自身をさらに解放するためです。実際にヨガ講師になるつもりはまったくありませんでした。「高学歴→高キャリア」を目指してこれまで頑張ってきたのです。このままキャリアを積むべきだと自分に言い聞かせていました。

私よりずっと経験の少ない人が新しい上司に就任。私が数カ月掛けて成功に導いたあるプロジェクトを、今後彼女がすべて担当することが全社会議で発表されました。これが我慢の限界を超えた瞬間でした。

そうこうしているうちに金融界が不安定な時期となり、競争がさらに激化していきました。私よりずっと経験の少ない人が新しい上司に就任。私が数カ月掛けて成功に導いたあるプロジェクトを、今後彼女がすべて担当することが全社会議で発表されました。これが我慢の限界を超えた瞬間でした。私は辞職願を出しました。

会社を辞めることにした私はひと夏を休暇として過ごし、ヨガを教えたり自分を立て直したりする時間に使いました。でもまたいつかPRの仕事に戻り、バリバリ働くつもりでした。このとき私はすでに結婚していたのですが、夫は私が休みを取ることに大賛成でした。しかし私は仕事を辞めると決めたとたん、子どものときからしみついた「お金がなくなるのでは…」という恐怖に取りつかれてしまったのです。ヨガを教えるだけでなく、コンサルタントとして働くことでお小遣いが稼げるから、と自分に言い聞かせました。

会社を辞め、家で過ごす初めての朝。アパートの中をぐるぐると歩き回りながら、心は空しく、孤独で不安な気持ちでいっぱいでした。心を静めるように努めたものの、頭の中はどうやってヨガ講師の仕事を見つけようかとそればかり考えていました。

ヨガクラスを初めて受け持つ日。12ページ分ものメモを握りしめて会場に到着し、歯ががちがち音を立てて震えるほど緊張していました。こんなことはハイヒールにスーツ、メイクもばっちりキメた姿でステージに上がり、プレゼンしていた前職時代にはなかったことです。でも今はもうスーツやメイクで自分をごまかすことはできません。裸足にすっぴん、ヨガウェアを着ただけの「ただの私」。本当に怖かったけれど、たぶん「素のままの私」で勝負した初めての体験でした

ストレスで疲れた人々が私のリードで深呼吸し、集中力を高め、緊張をほぐす。そして静けさに身をゆだねて元気を取り戻していく…。ヨガが作り出す流れの一部に私が存在し、そして人々を助けていることに喜びを感じました。

夏は過ぎ、私はいまもヨガ講師をしています。PRの仕事に戻ることはもうないでしょう。私のアップダウンの激しい人生を通じて学んだ「本当にやりたいことを見つける」ことをテーマにした本も執筆しました。身体のバランスや人生の方向性、そして達成感を探すための「ツールとしてのヨガ」を全国各地で教えています。毎日が完璧なわけではありません。でも「これこそ自分がすべきこと」と信じていることをやっているとき、大きな満足感が得られます。そしてこれは他の何にも代えがたいものなのです。

※この翻訳は、抄訳です。

Translation: 宮田華子

COSMOPOLITAN US