YouTube発のスターとして名を馳せているハンナ・ハートさん。

250万人というフォロワー数を誇る彼女の動画<My Drunk Kitchen(私の酔っ払いキッチン)>は、ベストセラー著書の出版や、3本の映画出演、そしてテレビ放送局「Food Network」の番組司会に大抜擢と、彼女をさらなる飛躍へと導くことに。201610月に出版された2冊目の著書『Buffering: Unshared Tales of a Life Fully Loaded(たわごと:明かされることのなかった波乱万丈の人生)』では、普段<My Drunk Kitchen>で見せるひょうきんでハッピーなほろ酔いキャラから一転、統合失調症を患った母親、自身の自傷癖や性的なアイデンティティーの喪失など、苦しかった幼少期について明かした彼女。

最初のビデオ投稿から5年、そのキャリアは想像を超える形であらゆる方面へと開花し多忙を極めるも、「YouTubeだけはやめない」と宣言。「私をこんなに幸せにしてくれたものを手放すわけがないじゃない!」。

そんなハートさんが語った成功への道のりを、コスモポリタン アメリカ版から。未来のクリエイターたちへのメッセージと合わせてお届け!

"ただそこにYouTubeがあったから"という理由だけで、それを使い続けました。

YouTubeで偶然にも道が開けるまで、私はエンターテイメント業界を志したことはありませんでした。カリフォルニア大学バークレー校で英文学と日本語学を学び、特に留年もせず2009年に卒業。それからは、そこらへんにゴロゴロ転がっている新卒生のように、なんでもいいから受かった仕事に就きました。サンフランシスコにある翻訳会社で校正係として働き始め、1年後ニューヨーク支社に配属されました。

2011年の3月、私はサンフランシスコ時代の元ルームメイトとビデオチャットをしていました。彼女は、私がいなくて寂しい、また昔みたいに酔っぱらって料理を作って欲しい、と言っていました。それを聞いた私は『そんなのお安い御用だよ! 今から酔っぱらって作ってあげる!』と答えました」

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「パソコンを閉じ、iPadの撮影アプリを立ち上げ、ワインをついで、私はビデオを撮り始めました。翌日、完成したものをYouTubeのリンクにしてルームメイトに送りました。その時YouTubeを選んだ理由は、単純に当時ビデオを人に送り合うプラットフォームとしてそれしか思い浮かばなかったからです。彼女はそれを喜んでくれて、友達に見せたようで、その友達がまた別の友達にシェアし、気づくと数十万人の人が閲覧していました。私は驚き、嬉しくもありましたが、どちらかというと混乱が先立っていたかもしれません。いつもクラスのお調子者役だったので、人を喜ばせるのは大好きでしたが、この時はまた違った不思議な感覚を覚えました」

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My Drunk Kitchen Ep. 1: Butter Yo Shit
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「それからYouTubeについて色々と調べるようになり、そこで番組を作ったりブランドを立ち上げて発信したりしている人たちがいることを知りました。でもそれらはまだまだ認知度は低く、YouTubeスターなんて存在はいませんでした。私もまた、"ただそこにYouTubeがあったから"という理由だけで、それを使い続けました。

MyHarto』という自分のチャンネルを作り、いつも突発的に撮っていた<My Drunk Kitchen>のビデオをそこに投稿し始めました。作るものはいつも自己流創作料理で、私自身は映像に映っている通りの酔っぱらった状態で撮影していました。それを見た人たちの中から、ネット上で料理についてチャットしたい人たちのコミュニティができ始め、私もそこに招待してもらい、11つ頂いたメッセージに返信するようにしていました。そのうち街を歩いていると、My Drunk Kitchen>の制作者だと気づかれるようになり、だんだん料理に限らず、自分自身の考えや意見を述べたビデオ、好きな音楽のプレイリスト、その他様々な実験ビデオをアップするようになりました。

始めの7カ月くらいは、数週間に1回くらいのペースでビデオを投稿していましたが、そのうち頻度が週1回に増えていきました。特にマーケティング戦略があったわけでもありませんが、少しずつ少しずつチャンネル視聴率が上がるにつれ、フォロワー数も増えていきました。しかし、それはもう本当にスローペースだったので、100万人に到達するまで23年はかかりました。

201110月、私は自身のYouTubeチャンネルにさらに集中するため、仕事を辞めました。単純にチャンスが見えたからリスクを犯してみただけです。質素な生活をしていたからか貯金もそれなりにあり、ここで一発逆転してみようと思い立ったのでした」

「とはいえ、当然お金に困ることもありました。ネット上で雑貨(主に<My Drunk Kitchen>宣伝用のTシャツ)を売り始め、ちょっとしたお小遣い稼ぎにしました。Tシャツを買ってくれた方々は、私のプチ投資家のようになりました。だから、私がビデオを1本作ってそのまま億万長者になったと思っている人がいたら、とんだ大間違いですね。

2012年の1月にロサンゼルスに移り住み、事務所と契約しました。雑誌に記事を出してからは、あらゆる事務所やマネージャーさんたちから連絡をいただき、テレビ番組や映画、その他何でも可能性のありそうな仕事のために、打ち合わせに来てくれないかと頼まれるようになりました。この業界でやっていくつもりなら、そういった機会に乗らなきゃいけないと思うようになりました。自分の中では、ロサンゼルスで1年間可能性を探る期間を設け、もし道が開けなかったらニューヨークに戻って定職に就こうと考えていました。ロサンゼルスでの1年は苦しかったです。孤独でしたし、周りがみんな自分のやりたいことをハッキリと見据えている街で、たった1人、一体自分が何をしたいのか分からない迷子のような気分でした。

1年かけていろんなミーティングに出席した私は、だんだんと窮屈な気分になっていました。<My Drunk Kitchen>をテレビ番組として売り出したいと考えている事務所が多かったのですが、私はそうはしたくありませんでした。私は"My Drunk Kitchenの子"として売り出されたくはなかったし、"酔っぱらい"として自分をブランド化したくもなかったんです。私は一体どうしたいのか…その時もまだ分かりませんでした。そんな私に対する業界関係者のまなざしは厳しいものでした。

でもただ1つ、どうしてもやりたいことがあり、それは本を書くことでした。その1年をかけて、私は所属事務所に本を書かせてくれないかと何度も頼み込みましたが、『優先順位を考えていこう』と言われ続けました」

2013年の1月頃にはだいぶ落ち込んでいました。自分がエンターテイメント業界に向いているかどうかも分からなくてなっていたんです。ある夜、プロデューサーをしているルームメイトと話していると、彼女は私を励まそうと『じゃあ一緒に何か作ろうか!』と言ってくれて。そこで私たちはアメリカ国内ツアーのためのクラウドファンディングを立ち上げました。

もともと10都市を巡り、<My Drunk Kitchen>の収録を現地の方のお宅で撮影させてもらい、その街を紹介するビデオを撮るために5万ドル(約550万円)募るのが目標でしたが、反響がすごくて。結局20万ドル(約2,200万円)集めることができ、22の都市を巡りました。各都市で<My Drunk Kitchen>の収録だけでなく、旅行記のエピソード撮影や食糧配給センターでのボランティア活動、YouTubeスター仲間とのコメディ番組の撮影なども行いました」

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#NoFilter Show Chicago
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20万ドルものクラウドファンディングに成功すると、世間が興味を示してくれるんです。ツアー中、事務所がようやく本の出版の話を進めると承諾してくれました。当初は『Recipes for Disaster(大惨事レシピ集)』というタイトルで、食べ物を題材におもしろおかしく物語を展開していく本にしようかと思っていたんですが、YouTubeチャンネルの人気もあり、<My Drunk Kitchen>をヒントにした感じで、ビジュアル重視の料理本にすることにしました。また、ちょっぴり投資をして、仲間と映画を作って売り出すことにしました。7月にツアーから戻ると、本の初稿締め切りが10月に設定されていて、その翌月から映画の撮影が決まっていました。それまで仕事をくれとあちこちに頼み続けていた生活から一転、一気に予定がパンパンに。正直オーバーワーク状態で最悪でした。でも、同時に幸せな悩みでした」

「テキサス州オースティンのホテルの部屋で休んでいたある時、電話が鳴り、私の著書『My Drunk Kitchen: A Guide to Eating, Drinking and Going With Your Gut(私の酔っぱらいキッチン:食べて、飲んで、ガッツを持って突き進むためのガイドブック)』がニューヨークタイムズ20148月のベストセラーリストに入ったことを知らされました。心の中では、ずっと作家になりたいと思っていました。ですからその電話をもらった時、オースティン市内を見下ろすホテルの窓際に立つ私は、まるで夢を見ているような気分でした。あれはきっと、私の人生で12を争う幸せな瞬間だったと思います」

誰かの人生にポジティブな影響を残せたと思えることは、この世でもっとも生きるモチベーションにつながる感情だと、私は思います。

「話が遡りますが、2012年に、自身の性的アイデンティティについてのカミングアウトビデオを投稿することにしました。私を信じ続けてきてくれた人たちに対して、正直でありたいと思ったからです。しばらくしてから、ネブラスカ州に住むある40代の男性からメールをいただきました。『私は家族と、昔からずっとあなたのビデオを見て来ました。あなたが同性愛者であることを知りませんでした。正直我が家では、同性愛という概念はあまり肯定できないものです。でも、あなたのおかげで私たちは色々と考えるきっかけを与えてもらいました』と。誰かの人生にポジティブな影響を残せたと思えることは、この世でもっとも生きるモチベーションにつながる感情だと、私は思います」

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COMING OUT (Ch. 1) "So. This is me."
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「ビデオ作りは絶対にやめることはないと思います。いつか<My Drunk Kitchen>から次の企画へと移行していきたいとは思っていますが、今はまだ楽しいので続けます。この世界に私を導いてくれたのがまさに<My Drunk Kitchen>。楽しいし、自分が自分らしくいられる場所ですが、まだこれが"一番"ではないような気がしているので…。

新しく書き下ろした本『Buffering~』は、私にとって本当に貴重なものです。世間がまだ見たことのない私の一面を秘めていますから。虐待から自分の性に対する理解と享受まで、これまで私が向き合ってきた数々の課題について書かれています。世の中は明るくて楽しいハンナを知っているから、滅多に『どうしてそんなにポジティブでいられるの?』とは聞かれないんですよね。でも、明るい人生は条件付きだとか、先天的なものだとは思わないで欲しい。明るい人生は自ら選び取るものだと私は思っていますし、私はそうしています。今が幸せだと感じるなら、この時を最大限喜べるように努力していきたいと、いつも思っています。対外的にどんなことが起きようと、満足感は内側から生まれるものだと実感していますから。何年もセラピーやカウンセリングを受けたり薬を飲んだりして、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を受け入れ、うつと共存していく術を学ぶことができました。それに、最悪に感じる1日だって、ビデオを作れば一気に好転できちゃいますしね」

YouTubeにビデオをアップしているという理由だけで、なぜか私の才能を蔑む人がいます。情報化社会が進む中で、それに順応しようとしつつも、新しいものへの理解に苦しむ人もいるでしょう。でも、私はYouTubeやソーシャルメディアを新たな形の"紙とペン"と捉えています。みんな使うけど、ただ使い方が違うだけ。自分がアーティストとして見られたいかは分かりませんが、ただのバカだとは絶対に思われたくはないんです」

この翻訳は、抄訳です。

Translation: 名和友梨香

COSMOPOLITAN US