自分らしく人生を謳歌するコスモガールたちをご紹介! 2人の共通点は、人脈づくり!?
いつかは憧れの国で暮らしたい、自分自身で事業を起こしたい、こんな風に考えたことはありませんか? ここでは理想のライフスタイルを手にし、自分らしく人生を謳歌するコスモガールたちをご紹介! あなたも勇気を出して、一歩踏み出してみては? 第一弾はこちらから。
留学経験を活かして手に入れた"ホリデイ"ライフ!
プロフィール
名前/ホリディあつこ(29)
職業/コスモポリタンライター、「Spice up Fitness」ヒップトレーナー
経歴/ハワイ留学歴約10年。2005年、高校入学をきっかけにアメリカに渡米。高校卒業後は、ハワイ州立大学に入学し、コミュニケーション学部を首席で卒業。大学在学中に日系出版社のインターンシップを経験し、雑誌制作に携わるように。日本へ帰国後は、ライター/編集者、そして通訳者/翻訳者としてマルチにフリーランスで活動。2016年に「コスモポリタン」の翻訳者/ライターとして活動を開始。
また、「Spice up Fitness」代表の岡部友さんと出会い、「Spice up Fitness」の専属トレーナーとしても活躍中。その他、米国スポーツ医学業界「NASM」認定のトレーナー資格取得。2017年よりアジア人初「Bombshell Sportswear」アンバサダーに任命。
――今のキャリアをスタートしようと思ったきっかけは?
人生の約3分の1を海外で過ごしたのもあって、漠然と「将来はグローバルな仕事に就きたい」と夢見ていました。そんな憧れのひとつである翻訳者としての原点は、ハワイ大学在学中に携わった日系出版社へのインターンシップ。そこで、雑誌編集や通訳などメディア関連の仕事と出合い、ハワイにいながら国境を越えて日本に暮らす人々に発信できる喜びを知りました。そして、「人の心に残る仕事がしたい」と確信したんです。
今でこそ楽天的かつポジティブに、自分の好きなことを仕事にして走り続ける私ですが、実は元々とてもシャイで弱虫で…ハワイ留学を経験する前は、人前に立つことも発言することも大の苦手だったんです。小学校時代に登校拒否までしたくらい(笑)。そんな私が自信を持てるようになったのは、ハワイ留学がキッカケ。やはりアイデンティティを確立できたこと、マスコミ業界に飛び込めたことが大きかったですね。
そして、日本に帰国してから強く感じたのは、たとえ素敵な夢を持っていても、何から始めれば良いか分からなかったり、自分に自信が持てない同世代の女性が多いということ。そんな姿が以前の自分と重なって、彼女たちのロールモデルとして1人でも多くの女性の背中を押せれば…と思うようになりました。
――キャリアを始めるにあたって苦労したことは?
フリーランスとして働くという意味では、"保証のない不安なライフスタイル"を乗り越えることでした。日本では、会社の福利厚生制度に守られながら"安定した高年収"を理想とする人が多いと思います。でもフリーランスは、言ってみればすべてが自己責任なんです。経験の浅いライターやトレーナーの卵に与えられる仕事は少なく、頂けたとしてもギャラが安いなんて当たり前にあります。そして、次の仕事に繋がるかは自分の成果次第。そんな"不安定な生活"に、最初はビクビクしていたのが本音です。
でも、この働き方は自分で決めたこと。一度始めたことは後戻りできないので、前向きに「仕事がもらえればラッキー、少しでもお給料を頂ければ超ラッキー!」と、ポジティブに突き進んできました。
さらに、この不安定な生活を乗り越える上で最も大切だったのが「人脈づくり」です。メディアの仕事は、まずそのコミュニティに入ることが大変。でも、最初の一歩さえ踏み出せれば、その可能性は無限大! その第一歩こそが、人との繋がりだったんです。
当初は長年お世話になっている恩師を頼りに仕事を紹介してもらっていたのですが、仕事をもらう以上、ひとつひとつにしっかり時間をかけて成果を出していかないと、深い信頼関係は築けません。国境を越えての業務だったので、時差に悩まされたり休みがほとんどなかったりと厳しい環境でしたが、夢を生きていたからこそ頑張れました。
そうやって無我夢中にやっていくうちに1人のパートナーと信頼が築けたら、あとはそこから広がる新たなチャンスを絶対に逃がさず、新しく出会えた人との信頼関係も高めていく…その繰り返しで人脈が広がり、仕事も安定。"不安定な生活"から自由が生まれ、夢に挑戦することの楽しさを感じるようになりました。
――理想のライフスタイルを手に入れるためにはどうしたらいいと思いますか?
常に心がけていたのは「理想のビジョンをしっかり持つこと」。夢は大きく、10年後、20年後の自分の全体像を描きながら、その夢を確実に叶えるために、逆算して目標を明確にし、小さいゴールをつなげていくことが大切です。ひとつひとつの目標を着実に達成するためには、自分の意志を強く貫き「チャンス」を逃さないことが肝。
私は、常にポジティブに物事を受け止め、失敗を恐れずにまずは勇気を出して挑戦してみることから始めました。たとえ与えられた仕事や出会えた人が、自分が描く理想のものと直接的に関係していなくても、将来どこで繋がるかはわからないので、まずは行動してみることが一番! その経験の積み重ねが新しい発見に繋がり、漠然としていた理想がカタチとなって"理想のライフスタイル"に導いてくれるのだと思います。
――今のライフスタイルを手に入れるためにしておいてよかったことはありますか?
やはり高校時代の留学から得たものは大きかったと思います。語学力はもちろんのことですが、それ以上に内面的成長があったからこそ、今の私に繋がっていると実感しています。
思い返せば15歳の時、まったく英語が話せない状態でアメリカに渡り、言葉が通じない環境の中で、親から離れてひとりで必死に生活していました。そして、ようやくその環境に慣れ、ふと掛けられた「頑張ったね」の言葉が自信に繋がり、「もっと頑張ろう」「新しいことに挑戦していこう」と走り続けた大学生時代。留学を通じて内面的な自信を養えたことは、私の人生にとって大きな財産です。
さらに、ハワイ大学コミュニケーション学部を首席で卒業できたことも自信に繋がりました。しかも、基本2年間(合計4学期)の「Honors Program」の教育受講が条件だったところを飛び級で1学期で修了。留学生としては異例なことでしたし、同期はもちろん、後輩や将来の留学生のお手本になれたことは、私の人生にとっての最大の成功であり、かけがえのない喜びでもありました。
最難関の壁を乗り超えられたことで大きく成長した私は、辛いことに直面しても「あの時、出来たんだから大丈夫」と前向きな姿勢でいられるようになりました。留学中に得た達成感と自信は、現在フリーランスとして、自分のライフスタイルを自由自在に操れる楽しさへと繋がっています。
――最後に、これからの目標をお聞かせください。
将来の夢は、アメリカへ移住して「日本とハワイの架け橋」になり、新しいことに挑戦し続けること。実は現在、8年間の遠距離恋愛を経て国際結婚したアメリカ人の夫と遠距離の生活を続けています。海の向こうから支えてくれる彼の応援を励みに、私は日本を離れるまで、ここでしか得られない貴重な経験を日々積んでいます。アメリカ移住後も、海の向こうから日本の女性たちに何か発信できる存在でありたいです。
また、ハワイに日本発の「尻ジム」を上陸させるのが、私の新たな夢です。「人生、夢だらけ」をモットーに生きる"ホリデイ"ライフ。自分が常に幸せでありたい、その幸せを世界中の人々と共有し、人の心に残る人生を歩んでいきたいです。
――今のキャリアをスタートしようと思ったきっかけは?
元々はエステにお客さんとして通っていたところ、そのうちにエステティシャンという職業に惹かれるようになりました。そして、痩身やフェイシャルだけではなく、カラダのケアや肌のケアなど、美しくなるためのメニューをトータルで提供できるような、理想のエステサロンを作りたいと思ったのがキッカケです。そして、結果を出すのが難しい痩身は、施術を提供するだけではなく食事の管理、メンタル面のフォローなども含め、お客様に寄り添い一緒に頑張っていけるサロンづくりを目指すようになりました。
――キャリアを始めるにあたって苦労したことは?
エステティシャンになるための専門学校などを出ていたわけではなかったのですが、私の場合はちょうどいいタイミングで新店舗立ち上げに声をかけていただいたんです。いきなり新店舗で店を任されるため、系列サロンで徹底的に施術を特訓しました。エステティシャンが専門卒ばかりではないのはわかってはいたものの、最初は自信を持てないことも多々ありました。知識的な部分においては自分自身がたくさん悩んで試行錯誤してきた分、人より知識が豊富なことに自信はありましたが、仕事として扱う以上、間違いがあってはいけないと思い、再度栄養学の本を読んだりダイエットに関わる各種検定のテキストなどで勉強し直しました。
――理想のライフスタイルを手に入れるためにはどうしたらいいと思いますか?
何が自分の理想なのか明確にしておくこと。私は20歳ぐらいの頃、ノートに書いていた「作りたいエステサロン」が、今ほぼ形になっています!
――今のライフスタイルを手に入れるためにしておいてよかったことはありますか?
目標となる先輩、自分を導いてくれるような人、そして多くの人と出会えていたことです。とにかくたくさんの人と話してみたり、本を読んだりしてきたことはすごく活かされています。エステの仕事に関していうと、自分が散々ダイエットや美容について悩んで、調べて、試して、そのときはたくさん悩んで辛かったけど、自分が誰よりも悩んで向き合ってきたからこそ今はそれが武器になっています!