キャリアアップや就職先のひとつに「海外で働くこと」を視野に入れていても、「どこから始めれば良いか分からないから夢のまた夢」と半ば諦めムードに陥ってしまう人も少なくないはず。

そこでコスモポリタンでは、グローバルキャリアを憧れで終わらせないために、9月の特集テーマ「グローバル」に合わせて、実際に海外でキャリアを積んでいくことを選んだ女性たちにインタビュー。現在の働き方やそこに到達するまでの経緯、海外で働くことのメリットなどを語ってもらいました。彼女たちのリアルな体験記が、一歩踏み出すキッカケになることを祈って

臼井悠

1987年生まれ、千葉県出身。高校時代に海外留学を決意し、スコットランドの大学へ進学。現地でジュエリーデザインを学び、卒業後は一度帰国して一度日本でデザイナーとして経験を積む。その後、再度の留学を経て、より専門的なラグジュアリーデザインを学ぶべくミラノにあるリシュモン傘下のデザインアカデミーへ。卒業後はドイツ・ハンブルグにある某ラグジュアリーブランドでインターンとして勤務し、そのまま勤めることに。現在は同ブランドのバッグデザイン部門への異動を経て、イタリア・フィレンツェのスタジオにてレザーグッズのデザイナーとして活躍中。

―イタリアに来たキッカケは?

「ラグジュアリーデザインに特化した学校がミラノにあったから」

最初に海外留学をしたのは23歳の時。スコットランドにある大学でジュエリーデザイン科を卒業してから、一度日本に帰国して、高級ジュエリーブランドのデザイナーとして1年ほど働きました。

その時に、はじめて「ラグジュアリー」という概念に向き合うことに。働いてみると、"一部のリッチな人へ向けた高価な製品"というイメージだったラグジュアリーの奥深さが垣間見え、もっと究めてみたいなと思うようになりました。

さらに、私のデザインテーマは大学在学時から変わらず「身につけるアート、そばにいるメモリー」。そしてラグジュアリー製品というのは、実のところ物質的なクオリティ以上に"一生を共にする仲間"みたいな存在でもあるので、私のテーマとの親和性も高いなと!

例えば、質の良い素材や生産方法を用いることで商品が長持ちすることは大前提で、それ以上に父から息子へ…だったり、息子の娘へ…など、メモリーを共にした製品が受け継がれていって、時間を経るうちに付いたキズや退色などもその人にしか付けられない「証」として味わいに変わっていく。試行錯誤して作られたデザインディテールは、時を経ても輝きを失わないから、使う人をいつまでもキラッと照らしてくれるんです。

…なんてことを考えていたら、母校の大学から卒業生宛のニュースレターが届きまして。そこに「ラグジュアリーデザインに特化した学校」の学生募集案内が掲載されていて、ピンと来てしまったんですよ。

それからは我ながらすごい勢いで、たしか3日でポートフォリオを用意して送りました。なんとか無事に合格して、気づいたら学校のあるイタリア・ミラノに来ていたって感じですね(笑)。たまたまやりたいことが学べる学校がミラノにあっただけで、もしその学校がパリにあったらパリに行っていたと思います。

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―その後どうやって仕事を掴んだの?

「インターン時に、溢れる情熱を仕事に注いでボスを説得!」

デザインアカデミー卒業後は一度イタリアを離れて、学校の紹介でインターン生としてドイツのハンブルグにある、某ラグジュアリーブランドのスタジオでデザイナーとして働いていました。そんなある日、ふと「私はこのまま終わるのか?」っていうハングリー精神が湧いてきちゃったんです(笑)。 「せっかく来たからには、インターンだけじゃダメだ!」って。

ところが当時は「社員になるのは確実に無理」って学校からも職場からも言われていて。「泣いても叫んでも、無理なものは無理」って突き放されたんですよ。もちろん、ドイツのスタジオで"外国人"として働く以上、言語の面でもビザ発行などの実務的な面でも会社にも負担がかかるので、想像以上に壁は高かったのだろうと思います。でも、そんな事実が悔しくて悔しくて! とにかく人の何百倍も頑張ろうと一念発起して、小さい作業から大きなプロジェクトまで、ひたすら悔しさから溢れ出る力を注ぎ続けました。

無我夢中でインターンに熱中していたら、なんと最後日に「このままうちで働かないか?」ってボスに言ってもらえて…! 次の日からも同じ職場で勤務することになったんです。その時の喜びは忘れられないですね。本当に、これ以上にない幸せでした。

―それほどまでに自分を突き動かす"探究心"はどこから?

「キッカケは、子どもの頃から母に贈り続けてきたプレゼント」

物心ついた頃から、母の誕生日などのイベントごとでは、子どもながらに一生懸命選んだアクセサリーをプレゼントしていたのですが、母は喜びつつも照れくさかったのか全然着けてくれなくて。当時は「なんでだろう?」って悩みました。私はプレゼントというのは、たとえ買ったものだとしても、選んだ人の思いが込められたオリジナリティのあるものだと思っているので、母に使ってもらえなかったことに内心ショックを受けていたんだと思います。

何年も「何を贈ったら使ってくれるのかな?」と考えつつプレゼントを選び続けていたら、選ぶレパートリーに限界が来たのでしょうか(笑)、いつの間にか「こうなったら、イチから自分で作れるようになろう」と、高校時代にデザインの道に進むことを決めました。同時に英語が好きで、海外に出て英語を使ってみたいという夢があったので、英語圏へのデザイン留学を決意したことは自然な流れでした。

―海外でデザインの道を志すことに家族の反応は?

「一度は反対されたけど、私の強い決意を買って支えてくれることに」

当時は10代だったし、勉強が好きだったこともあって、「一度働いてお金を貯めてから…」という考えは端からなかったので、資金は両親に頼るしかないという状況で…。それで家族に留学の意志を伝えたんですが、最初は猛反対されました。何よりもまず資金の面でそんな余裕はうちにはないと。「そんなことしたら私たちが暮らせなくなる!」と現実的な話までされて、心苦しかったのも事実です。

一方で、ここまで大きな目標を抱かせてくれたことへの感謝の気持ちもあって、だからこそ実現することの重要性と難しさを実感。娘が夢を諦めることが両親の本望だとも思えず、むしろ「海外で成長した自分が、犠牲を払ってくれた両親への最高のプレゼントになる」と信じて説得を続けました。同時に得意の英語に力を入れ、母校となるスコットランドの大学の奨学金を得られる試験をクリア。それで、ようやく両親が首を縦に振ってくれて海外に出ることになりました。

そして大学卒業後、日本で仕事をすることになり帰国。老後の蓄えを手放してまで私の夢を応援してくれた両親の変わらぬ笑顔を見ているうちに、「これ以上、両親に負担をかけるわけにはいかない。むしろプラスにしていかなきゃ…」と強く思うように。だからミラノの大学への入学審査の時は、最高のポートフォリオを用意したんです。運よく大学に認められて、授業料免除の奨学金を取得。再度日本を発ちました。

両親との絆の積み重ねがあったからこそ、揺るぎないモチベーションが生まれて、見知らぬ土地でキャリアを積むという「時に辛くて、最高にエキサイティングな挑戦」を続けることができているんだと思っています。

―海外生活で大変な思いをしたことは?

「英語の通じないドイツの役所で、イタリア就労ビザを申請したこと」

ドイツ勤務を経てイタリアに転勤になった時のビザ申請には苦労しました。日本から海外へ行く際のビザなら日本語や英語で申請できることもあるようなんですが、この時はドイツからイタリアへのビザ申請で、さらに日本人ということもあって用意する書類が複雑だったんです。

たとえばイタリアの就労ビザを申請する際に大学の卒業証明が必要なんですが、私の場合はスコットランドの大学を出ているので、その大学が「イタリアの大学卒業基準」を満たしているかということを証明しなくてはならなくて…。ドイツからスコットランドの弁護士に連絡して証明書を書いてもらったんですが、この時は特に国によって考え方が大きく違うことを痛感しました。

それと、ビザ申請というのは書類を出すだけで完了ということはなく、役所に行って自分の状況を説明する必要があります。ところが説明するにもドイツやイタリアの役所の人たちは英語が話せず…。オフィシャルな手続きなのに、言語が通じないとなると不安で仕方なかったですね。英語が"国際共通語"だと思われがちですが、みんなが話せるわけじゃないし、コミュニケーションする上で現地の言葉ってやっぱり重要なんです。その時は、相手の目を見て話すとか、相手の小さな表情の変化を見逃さずに丁寧にコミュニケーションを取って乗り切りました。

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―海外、特にヨーロッパで働くことのおすすめポイントは?

「国をまたいで、文化的にもビジネス的にも多国籍な経験ができる!」

私はレザーグッズデザイナーとしてイタリアで働いていますが、違う分野のデザインチームはフランス、スイス、ドイツなど、各国にいます。彼らとのデザイン会議やリサーチ、新作発表イベントの際には出張に行くことも多く、一応海外出張とはいえかなり気軽。同じヨーロッパ内の数カ国からデザインチームが集まるのですが、彼らと一緒に働くことで、文化的にもビジネス的にもグローバルな経験ができます。国同士の距離は近いですが、それぞれの国に個性があるので面白いですよ。

―海外で働きたいと思っている女性にアドバイスを。

「この仕事はあなたしかできない! と言わせるオリジナリティを大切に」

「海外に住んでみたい」や「他の国の文化に触れたい」という憧れを抱くのは良いことですが、正直なところ実際に働くとなると難易度は高くなります。でも、抗うことができないほどのパッションが、きっと高いハードルを越えさせてくれる原動力となるでしょう。

忘れてはいけないのは、自分の情熱に正直に行動すること。無数にいる「海外で働きたい人たち」の中で誰かの目に留まるのは、自分街道をまっしぐらに走ってきた個性が光る人だと思います。「この仕事は、世界中を探してもあなたじゃないとできない!」と誰かに言わせることができたら、それが海外キャリアへの第一歩です。