キャリアアップや就職先のひとつに「海外で働くこと」を視野に入れていても、「どこから始めれば良いか分からないから夢のまた夢…」と半ば諦めムードに陥ってしまう人も少なくないはず。

そこでコスモポリタンでは、グローバルキャリアを憧れで終わらせないために、9月の特集テーマ「グローバル」に合わせて、実際に海外でキャリアを積んでいくことを選んだ女性たちにインタビュー。現在の働き方やそこに到達するまでの経緯、海外で働くことのメリットなどを語ってもらいました。彼女たちのリアルな体験記が、一歩踏み出すキッカケになることを祈って…!

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森竹沙紀

1990年生まれ、大分県出身。都内の大学を卒業後に台湾への語学留学を志し、資金調達をするべくサービス業に従事。23歳から台湾へ渡り、語学学校で中国語を学ぶ。幸運にも25歳の時に友人の店でスカウトされ、現在は台湾を拠点にセールスときどき"日本酒親善大使"として活動中。会社が毎週行う試飲会イベントでは、自ら着物を着てお酒の紹介を行っている。

―台湾で働くことになったきっかけは?

「社長にスカウトされて、直感で…」

2011年、大学3年生を迎えて就職活動の真っ最中に東日本大震災が起き、自分の今後のあり方について深く考えさせられました。悩んだ末に、国や場所にこだわらない生き方がしたいという結論にたどり着いて、ずっと興味を持っていた中華圏で仕事をしたいと思うようになったんです。まずは台湾留学から…と心に決めて、大学卒業後は台湾留学の資金を貯めるべく働く日々。そして23歳の時、念願叶って台湾へ留学することになりました。

卒業を間近に控え、「このまま台湾で働きたいな~」と漠然と考えていた時のことです。友人が働いているお店でご飯を食べていたら、たまたま今勤めている会社の社長も仕事の都合で来ていて、その場でスカウトされたんです。ちょうど日本人の女の子を探していたみたいで、私が友人と話しているのを見て「あの子もしかして日本人? 良かったら紹介して」って。(笑)
ずっとどこかで「日本の文化やモノを広める仕事に就きたい」って思っていたので、日本酒を輸入して販売する仕事と聞いた時は直感で「コレだ!」と思いました。

―そもそも、なぜ台湾に興味を持ったの?

反日デモの報道に違和感を感じたのがキッカケ」

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最初に中国大陸に興味を持ち始めたのは2005年、私が中学3年生の頃でした。当時、テレビで報道されていた反日デモを見て、街にメイド・イン・チャイナが溢れかえっている日常がありながら、歴史や文化の面からは"近くて遠い国"であることに、妙な違和感を感じて。少しでも解消できればと新聞や本を通して理解を深めていったら、もちろん納得のいかない部分や難しい問題にも直面したけど、それ以上に中華圏が持つ数々の魅力に出会うことができたんです。それからは「国としてではなく個として、中華圏を理解してみんなに伝えたい」という一心で、中国語の勉強を始めました。

そんな時、本屋でたまたま手にしたのが、司馬遼太郎の『街道をゆく40 台湾紀行』(朝日文庫刊)。中国や日本、そして世界の歴史に翻弄されながらも、強い経済とアトラクティブな文化を持つ、台湾という"味のある島"にすっかり魅了されちゃって! この本に出会う前の2011年にも台湾を訪れていたんですが、2013年に改めて台湾に行って思ったのは「来年、住もうかな」。そんなシンプルな感覚で、台湾に住むことにしたんです。

―急に舞い込んできた話に飛び込むことに不安はなかった?

色んな人の言葉に後押しされて、やるしかないなって」

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幸いにも前々から台湾に留学しようと思っていたし、大分に住む両親にとっては東京も台湾も距離的には大して変わらないというのもあって、即決でした。友人と会えなくなるのは少し寂しかったけど、尊敬する作家の森博嗣のミステリー小説『すべてがFになる』(講談社刊)に、「どこにいるのかが問題ではありません。会いたいか、会いたくないかが距離を決めるのです」という一節を読んだら妙に納得しちゃって。ほんと、距離なんて関係ないんですよね。

そしてもうひとつ背中を押してくれたのが、兄の存在。私が大学4年生の時に事故で亡くしてしまったんですが、その兄が以前母に「沙紀には好きなことをさせてあげよ。失敗したときは慰めてあげればいいんだから」ってメールしていたみたいなんです。私は兄が亡くなってはじめて知ったんですが、それを聞いて「安定なんてどこにもないんだから、自由に生きよう」って決心しました。

自分では直感だったって思っていたけど、今考えてみたら色々なことに影響を受けてるし、点と点、縁と縁が繋がった結果なのかもしれません。

―台湾で働くにあたって、苦労したことは?

「6年近く勉強していた中国語の文字が、台湾では通用せず…」

正直、ほとんどなかったんです。最初の1年は語学学校に通っていたので、入学手続きやビザの申請はありましたが淡々とこなすまでだったし、住居に関しても最初は台湾人の友人宅にホームステイさせてもらったうえに、今住んでいる部屋も友人が契約まで手伝ってくれたので…。

しいて言えば、私が高校と大学時代に第二外国語として勉強していた中国語は"簡体字"と呼ばれる中国大陸で使われる文字だったので、台湾で使われている伝統的な"繁体字"をほとんどゼロに近い状態から勉強しなきゃいけなかったことですかね。

―台湾で働くうえで知っておくべきことは?

日本人を歓迎してくれる風土で働きやすい!

台湾の蚊は凶暴です! 虫に刺されないよう対策は念入りに。日本と比べても夏は非常に暑いので、日焼け対策も欠かせません…。あと、正月は旧正月(旧暦の正月)がメインになるので、1231日まで仕事があります。休日も日本に比べるとはるかに少ないですね。でも、親日家の多い台湾では、日本人というだけ信頼され、尊敬されることが多いです。たとえビジネスシーンでも、日本に関する話題で盛りあがってはすぐに打ち解けて…ということが多くて、とても働きやすい環境だと思います。

―将来的にはどっちの国で働きたい?

「夏は日本、冬は台湾に住むのが理想!」

最終的には、日本と台湾を行ったり来たりできるようになりたいなと思っています。理想は…夏は日本で、冬は台湾!(笑)最近は輸入の仕事にも興味があって、貿易について学ぶ機会を探しています。もちろん日本酒の勉強も引き続き頑張りたいです。奥が深い世界なので、とっても面白いんです。

―海外で働きたいと思っている女性にアドバイスを。

「何事も楽しむ精神でいけば何とかなる!」

海外で働くことは、自分探しでも現実逃避でもなく、「来たるべき未来と社会への最適化」だと思っています。何事も楽しむ精神でいけば何とかなると思うので、まずは行ってみるべし!