「海外で暮らしてみたい」「働いてみたい!」と、思ったことがある人って、案外多いのでは? とはいえ、日本以外の生活に飛び込むって語学も準備もお金も…と、具体的に考えれば考えるほど、尻込みして行動できなくなってしまうもの。

そこで8月のテーマ「初体験」にちなんで、海外で暮らしている(していた)人に「"初めて"海外暮らしに挑戦したときの話」を聞いてみました。ツラかったり、嬉しかったり。この初体験エピソードにワクワクした人、あとは行動あるのみ!

渡航した国:ブルキナファソ(西アフリカ)

渡航した年齢:26歳

滞在期間:2年間

現在、日本で小学校教諭として働く田端理恵(仮名)さんの海外暮らしをご紹介します。彼女の初めての海外暮らし経験は「青年海外協力隊」として、アフリカに行くというもの。

発展途上国の子どもたちのために、自分にできることってないのかな?
海外暮らし ブルキナファソpinterest

――海外で働こうと思ったきっかけは?

昔から発展途上国に興味がありました。テレビや電車の中吊りで発展途上国の子どもたちを見る度に「何かできることはないかな?」と感じていたんです。それに、ずっと現地に行って、自分の目で直接見たり感じたるすることができなければ、何の力にもなれないと思っていました。そんな自分が行動に移すのに、2年間ボランティア活動ができる「青年海外協力隊」の存在はピッタリだと思いました。

「国際理解教育」を教育大学で学んだあとは、中学校で体育教師をしていました。当時、試験を受けるのに3年間の社会経験が必要だったので、その期間を経て応募しました。

――国は自分で選ぶことはできたんですか?

青年海外協力隊では、「JICA(国際協力機構)」が決めた国に行くことになります。インドネシアやフィリピンなど、アジア大洋州の島を希望してはいましたが、赴任先となったのは、西アフリカのブルキナファソの小学校でした。現地の公用語であるフランス語の研修を2カ月受け、ブルキナファソへ渡航しました。2年間の間に、クーデターが起き一時帰国しましたが、その後同じ場所に戻り計2年間、子どもたちにスポーツを教えました。

――海外に移り住み、大変だったことは?

苦労したことは「言葉」ですね。ブルキナファソは、フランス語が公用語ではあるのですが、日常生活では現地語のモレ語やジュラ語を使っている人が多く、コミュニケーションをとるのが難しくて。家に3匹のニワトリを飼っていたのですが、父や母、弟の名前を付けて寂しさを紛らわせてました(笑)。

そんな中でも嬉しかったのは、ブルキナファソの人たちが見ず知らずの、言葉さえわからない私を家族のように受け入れ優しく接してくれたことです。カラフルな現地の衣装の染め方を教えてくれて、ニワトリのプレゼントをしてくれたこともありましたよ。

――日本との違いを感じたのはどんなとき?

一番感じたのは、時間の流れがゆっくりなことです。日本のように時間に追われることはありませんでした。ゆとりをもって生活も仕事もしながら、仕事の後にマンゴーの木の下で、同僚や良くしてくれる地域の人と世間話をするのがすごく好きでした。

もう1つは、すごく心地よく人と関わり合えること。ブルキナファソの人は、困っているとすぐにかけつけて自分のことのように心配したり、一緒になって考えてくれたりする人ばかりで…現地の人の優しさ温かさに何度も助けられました。

――今になって、この海外の経験は活きていると感じますか?

日本に戻って、今は小学校で教員をしていますが、すごく楽しいのが、ブルキナファソでの生活について、日本の小学校の子どもたちに伝えることです。瞳をきらきらと輝かせて私の話を聞いてくれていて、世界に羽ばたく子どもたちが1人でも増えればと願ってます。

―― 海外で暮らしたいと思っている女性にアドバイスはありますか?

人生は一度きりですから。小さな一歩でも、きっと大きな一歩になるはず。「やってみたい」「気になる!」と思えたことはそのままにせず、迷わず突き進んで!と伝えたいです。