浮気がやめられない…。そんな自分自身に時間をかけて向き合った女性が、そこから学んだ大切なこととは? コスモポリタン アメリカ版から、ある女性の赤裸々体験談をお届け。

私にモノガミー(1対1)は無理なんだ。

「同じ高校に通い、4度のプロム(学内ダンスパーティー)にカップルとして参加したリックは、私にとって初めての本物のボーイフレンドでした。親に紹介した時にもきちんと相手の目を見て話すことのできる、ザ・好青年。

リックと付き合い始めてから1年ほど経ったある時、高校から帰宅すると、父が蒸発していました。母を捨てて、他の女と出て行ってしまったんです。その時の心の痛みと、私は長い間きちんと向き合うことができませんでした。代わりに、リックは私のことを愛しているし、絶対父のように見捨てたりはしないと思うことで、自分を慰めました。大人になればなるほどリックとのすれ違いも増えていったことはさておき…要するに、彼は父とは正反対のタイプの人間だったんです。

初めて浮気をした時、私は大学の交換留学制度でメキシコにいて、寝たのは自宅のすぐ近くにある食料品店のレジ打ちをしていた男。メキシコで起きたことはメキシコに留めておけばいい、異国の地だし浮気のうちに入らないだろうと、私は自分に言い訳をしました。

でも、その先に2回目がありました。今度はキャンパス内で。ある夜、パーティーでたまたま出会った男の子と酔った勢いで一夜を共にしてしまったのです。一時の出来心だ、どうせ本気じゃなかったし。そう自分に言い聞かせて、私はリックと付き合い続けました。彼には何も話さなかったし、彼がそれらのことを知ることはありませんでした。

モノガミーなんて上手くいくわけがないと考える人も大勢います。人間は、そもそもたった1人の人と永遠に連れ添うようにはできていないし、そんな枠組みなんて取っ払ってしまえ、と。私自身も、自分の過ちを同様の言い訳で正当化し、本能なのだから抑えられなくても仕方ないということにしていました。

そしてこの流れは、留まることを知らなかったのです。

数年後、私もリックも大学を卒業した後、本気の浮気に走りました。今度は、それまでの浮気とは全然違いました。ブリーと私はもともと仲の良い女友達で、お互いに信頼し、尊敬し合っていました。そしてそれは、彼女と体の関係を持ち始めてからも変わりませんでした。『私は彼女を愛しているのかもしれない』と思うようになり、とうとう正直にリックに浮気のことを打ち明けたんです。

ブリーとの関係を彼に正直に話すことで、自分のこれまでの過ちに対する罪の意識もすべて吹っ切れるような気がしていたのですが、それは大間違いでした。リックはひどく落ち込みました。当然ですが、すべて私のせいです。浮気相手が女性であったことは、リックにとって吉とも凶とも出ず、とにかく頭を整理したいと言う彼を前に、私にはどうすることもできませんでした。2人で話をした結果、私はどうかしていたんだという結論に至りました。私はブリーに騙されていて、すべて何かの間違いだったんだ、と。

ブリーとのことを経て、私は今一度自制心を取り戻し、"正しく"あるために努力し直そうとしました。お酒をやめ、マラソンを始めたりもしました。そして仕事も辞め、ライターになるために大学院に入りました。それから2年後、リックと私は婚約しました。

しかし大学院で、私は新しい人たちと出会ってしまったんです。彼らは私と似た発想を持ち、私が興味を持つような本を読んでいました。私は彼らと"性的解放"について話し合うようになりました。そして私は自身を"快楽主義者"と捉え、枠にとらわれないセックス文化を謳う社会的ムーブメントの流れに賛同したのです。ただ1つの問題は、性におけるこうした政治的かつ知的概念が、自身の実際のセックスライフとは相反するものである、という点でした。

私にはモノガミーは無理なんだ、そう自分に言い聞かせました。そしてリックが私と一緒にいたいと思う限り、彼もそんな私を受け入れるしないんだ、と。

ジャスティンとは大学院で出会いました。バイト中はずっと彼とオンラインチャットをし、そのうち定期的に開かれる読書会にも一緒に通うようになりました。あまりに2人でいる時間が多かったので、周りからは付き合っていると勘違いされるほどでした。でも、私はそれを密かに楽しんでいました。当時リックとの婚約は続いていました。でもジャスティンは物書きで、成功への道まっしぐらな人気者、そして才能あふれる努力家。私たちはまだ一線を越えてはいなかったものの、それも時間の問題でした。

ちょうど時を同じくして、ある夜、エリオットという男の子が授業後に私を家まで送ってくれました。彼との会話は特別面白くはなかったけれど、彼が私に好意を持っていることは明らかで、私は求められることに快感を覚えたのです。授業関連の相談という名目で、私たちはメールアドレスを交換し、それから毎日メールのやりとりをするようになりました。ジャスティンとエリオットは友達同士だったので、私はそれぞれとの関係をもう片方には内緒にしていました(当然、その裏でリックにも2人のことを内緒にしていました)。

自分がジャスティンともエリオットとも一緒になることはないという事実がまた、さらにこの2人との関係を刺激的に思わせました。ある時エリオットが、『君は婚約してるんだから、僕とイチャイチャすべきじゃない』と言いました。彼のそのささやかな抵抗が、私をさらに興奮させました。

またある時、私は酔った勢いでジャスティンにキスをしました。すると、彼も私にキスをし返して来ました。この後の展開が一瞬にして脳裏に浮かんでしまった私は、即座に後悔しました。このままだと不安と執着心に苛まれる…ブリーとの友情を失ってしまった時と同じように、ジャスティンとの友情も失くしてしまう…。起きてしまったことへの後悔の念を払拭するには、同じこと繰り返すしか術がないかのように、そのキスはジャスティンとの短い浮気へと発展し、その他の多くの過ちへと続きました。それから1カ月間、私は機会があれば酔っ払ってクラスメイトとキスをし、そのまま幾度となくトイレや階段、地下通路などで、ふしだらな、後悔の止まない情事を繰り返しました。

ただ楽しんでいるだけ。いろいろ試しているだけ。そう自分に言い聞かせて…。しかしながら実際、それは危険な遊びでした。私はリックとオープンな関係であるかのようなフリをしていただけです。私たちのルールは『聞かない、言わない』なのだと、勝手に決めていました。同時に、私を責めないリックに対して、心のどこかで怒りを覚えていました。私は彼に対する尊敬の念を失い、私をただの遊び相手として見ている男たちに対する敬意も失い、遂には自分自身の尊厳も失ってしまいました

結局私のすべての行動は、自分は愛されるに値しない存在であり、いつかは捨てられてしまうのだという恐れからきていました。

「振り返ってみると、複数の人たちと関係を持つことは、相手と親密になることを回避するための手の込んだ手段だったのかもしれません。もはやお似合いのカップルではなくなっていたにも関わらず、私はリックにしがみつき続けました。でも私の底なし沼のような寂しさを満たしてくれない彼を理由にして、私は浮気を繰り返しました。どの関係においても、私は常にどこか心ここにあらずでしたが、そうすることで自分の弱さが表面化することを回避していたのです。結局私のすべての行動は、自分は愛されるに値しない存在であり、いつかは捨てられてしまうのだという恐れからきていました。不安が大きくなればなるほど、私は間違った安心感を求めるために行動してしまっていたのです。

リックとついに別れることになった時、私は家具や壁に貼ったポスター、アルバムから破り取った写真まで、すべてを持って家を出ました。翌日の夜、再び家に戻ると、リックは床に座って1人で泣いていました。まるで私が死んでしまったかのような表情をしている彼を見て、私は突如不安になり、『泣き止まないと出て行くわよ』と言いました。

『どうせ出て行くんだろ? 僕にはもう君を止めることはできないんだろ?』と彼は言いました。

彼は正しかった。彼も、他の誰も、私を止めることはできなかったのです。私はまるで狂った怪物のように、愛してくれる人を見捨ててしまった。かつて自分の父がしたのと同じように。

このダメージからの回復には長い年月を要しました。かたやリックは別れてわずか1カ月弱で別の女性と付き合い始め、その後その人と結婚しました。リックが彼女と付き合い始めたのと同じ頃、エリオットからのメールが途絶えました。彼からしたら、私のためを思って縁を切ろうとしたのだと思いますが、私の目には当然そうは映りませんでした。エリオットが私を悲しみから救い出してくれないことで、私は益々必死になりました。見捨てられた気分だったのです。彼を憎みさえしました。でも、アルコール依存症と、セックスや恋愛依存へのリハビリ治療を始めるようになってから、ようやく少しずつ回復の兆しが見えてきました。

ただ、完璧な回復ではありませんでした。しばらくは恋愛から距離を置くようにと言われていたのですが、私には無理だったんです。アルコールを一滴も飲まずに迎えた6日目に、ある人と共依存的な関係に陥り、その後それは6年間も続きました。それは不健康な関係ではありましたが、少なくとも私は初めて、モノガミーを守れたのです。その関係が終わってからは、とにかく何人もの人と付き合っては別れ、付き合っては別れを繰り返しました。でも結局、その後3カ月ほど1人の時期を過ごし、それこそが人生で最も大きな転換期となりました。自分1人でいることを楽しめるようになったのです。蒸発してしまった父の不在を素直に悲しむことができ、これまで逃げ続けてきた自分の本当の気持ちと向き合うことができるようにもなりました。

今となっては、たとえ複数恋愛が人間の本能であったとしても、浮気はそうではないと分かるようになりました。人は誰でも自分自身の感情や、求めるものに対して正直でいることができるはずなのです。これに気づく前の私は、自分の浮気や行動を人のせいにし、犯してしまった過ちへの言い訳も山にように用意していました。でも、浮気はやはり許されるものではないと分かったのです。今の私はモノガミーの恋愛関係にようやくきちんと身を置くことができるようになりました。正しい人間関係と向き合うためには、まず自分自身の心とちゃんと向き合う必要があったのです」

この翻訳は、抄訳です。

Translation: 名和友梨香

COSMOPOLITAN UK