"失恋の傷は新しい恋で癒える"なんて言葉もあるけど、本当に好きになった人は簡単には忘れられないもの。そこで、周りの人がなんと言おうと、相手を思う気持ちを大切にすることを祖父母から学んだという、ある女性のリアル・ストーリーをコスモポリタン フィリピン版から紹介!

もしあなたが私と同じで、真の愛でなければ1人でいた方がましだと思うなら、愛のために闘うべきです。

「私は誰かを好きになると、なかなかその人を忘れられないタイプの人間です。友達は皆、過去はもう忘れて、誰でもいいから新しい彼氏を作れとあおりますが、私はいくら言われてもただ笑ってごまかしています。

ひとりぼっちで、片思いの誰かを思っている夜は、友達の言うことを聞くべきかもしれないなと思うこともあります。自分の気持ちに目をつぶって動き続けているうちに、気持ちがついてくるのかもしれないと。

そんなある夜、私は大学の講義で提出したある作文を思い出しました。それは、祖父母の恋愛について書いたもので、私はそこから、もし誰かを強く思っているのなら、何があってもあきらめるな、という教訓を得ました。

私の父方の祖母、チョレンは、1922年、バタンガス州アリタグタグの裕福な家庭に産まれました。曾祖父は4年間の日本による植民地時代を含み、実に25年の間市長を務めた人でした。

チョレンが後に祖父となる、賢くてハンサムな少年、ヴィックと出会ったのは、小学校1年生の頃でした。2人はクラスメイトで、よく学校の四重唱団で一緒に歌っていました。

卒業式でヴィックは卒業生総代を務め、その後は別々の学校に進みました。チョレンは修道女が運営する私立学校へ、ヴィックは公立の中学校へ行ったのです。

ヴィックがチョレンにラブレターを送り始めたのはこの頃からでした。チョレンの学校にいとこが通っていたので、手紙を橋渡ししてもらったのです。現代の自撮り写真に相当する、20世紀初めの写真が同封されていることもありました。チョレンはまだ13歳で、どうしていいかわからず、特に彼を気にとめてはいませんでした。でも、拒絶もしなかったのです。

ある日、2人が教会で入門者向けにキリスト教を教えていたときのことです。遠くからヴィックを見ていたチョレンは、彼に対して、これまでにない感情が生まれるのを感じました。言葉にはなりませんでしたが、たしかに、彼女の気持ちに変化が起きたのです。

ヴィックはチョレンに手紙を書き続けていましたが、この頃にはチョレンも返事を書くようになっていました。ただし、両親に見つからないよう、彼と面と向かって話すことはありませんでした。彼らはまだ学校に通っていましたし、チョレンの両親は子どもたちが就学中は、異性とつき合うことを禁じていたのです。ところが、2人の関係は周囲のうわさになり、やがて両親の耳にも届きました。うわさの相手が、彼らと異なる政治的信条を持つ家系の出身で、社会的地位も下だと知ると、彼らは相手にもう近づかないよう娘に言い渡しました。

2人が大学に通い始めると、ほとんど会うこともなくなりましたが、2人に同情した親戚の仲介によって、手紙のやりとりは続けていました。偶然道ですれ違ったときは、思いを込めた目でお互いを見つめたり、一言二言会話を交わしたりしました。

日本の占領が始まると、2人は教会の聖歌隊に加入するようになりました。これによってともに過ごす時間が増えましたが、距離は保ち続けていました。2人の関係がチョレンの両親に気づかれないようにしていたのです。

月夜の晩は、ヴィックが5㎞歩いてチョレンの家の前まで行きました。2人のおなじみの曲を口笛で吹くと、チョレンが窓に駆け寄って、彼が通り過ぎるのを見守ります。お互いの気持ちを口にできないときに2人が見つけた暗号でした。それで十分だったのです。

2人の秘めた恋は6年にも及びましたが、どちらも決してあきらめることはありませんでした。

そして、ヴィックは工学の学位を取り、仕事を見つけ、自分がチョレンにふさわしいことを証明しました。チョレンの両親はついに安心し、2人が一緒になることを認めました。

2人は1948年に結婚、以後6人の子に恵まれ、1994年にヴィックが亡くなるまで、46年間の幸せな結婚生活を送りました」

祖父母の純愛
Getty Images

「最近、祖母に2人のラブ・ストーリーについてあらためて聞かせてもらいました。94歳の今でも、祖母の記憶は鮮やかで、11つの思い出を語っては少女のようにクスクスと笑っていました。お互いに初恋で、1度も別れたりしなかったと言っていました。私が、おじいちゃんにもおばあちゃんにも、他に誰も好きな人はいなかったの?と聞くと、笑って頭を振りました。

こんな話は、今ではめったに聞きません。誰か好きな人がいて、その人との関係が進むのをずっと待っているなんて言ったら、みんな笑ってこう言うでしょう。『そんな人忘れなよ。ティンダーで新しい人を探すか、私の男友達に会ったら?』。もちろん、まったく待つに値しない男性もいます。その場合は、友達の言うとおりにするべきかもしれません。でも、もし他の誰も、その人のように好きになれなかったら?

友達や家族から感じるのは、難しく考えずに、いつでも相手を替えるべきだという強いプレッシャーです。そうしないのは、"理想が高い"とか"努力が足りない"と見なされるのです。私たちの多くが、ときめきを感じない男性たちとそこそこの関係に落ち着くのも不思議ではありません。私たちは、そうしたいからではなく、可能だから、相手と一緒になっているのです。

もしあなたが私と同じで、真の愛でなければ1人でいた方がましだと思うなら、そしてそれによって誰かを傷つけることがないなら、愛のために闘うべきです。その関係が成就するまで、力を尽くすのです。心が耐えられる限り、待つのです。そして、愛は使い捨て可能だという考えに反旗を翻すのです。

私? 私はこれまでどおり、何年でも好きになった人を諦めないつもりです。その人とうまくいくか、ひとりぼっちに終わるかはわかりません。ただ、自分に正直に生きたということは、それだけで意味があると思います」

※この翻訳は、抄訳です。

Translation:mayuko akimoto

COSMOPOLITAN US