筆者は男である。生まれて約30年間、そう生きてきたし、これからも変わらない。ただ、恋愛に関しては、ずっと胸の内にモヤモヤがある。その原因は「セックス」だ。

これまでに幾人かの女性と付き合ってきたが、昔から夢中になることがイマイチない。そして、義務感を抱えるがために遠ざけて、セックスレスになる…。そんなことが何回も起こってきた。

女性との性交に興奮を覚えなくなる…。この言葉を頭のなかで呟いた結果、ある疑念が生まれた。

「もしや、相手は男の方がいい?」

打ち消し続けてきた考えだが、本当にそうであれば合点がいくわけで…。とはいえ、こんなことは、どうやって確かめればいいのだろう。ホモセクシャルの生い立ちを綴った書籍やネット情報はたくさんあるが、「幼い頃から男の子に触られるとドキドキした」なんて言葉がほとんど。「自分の恋愛対象がどちらなのかを確かめる方法」なるものは記されていない。

モヤモヤしている時、酔った勢いで相談したところ、ゲイの知人A氏にこんなことを勧められた。

「初めから"リアル"にチャレンジするのは恐いよ。だったら、芸術鑑賞をしてみたら?」

いままで確かに男性同士の絡みは見たことがない。となれば、観ているうちに"確信"が得られるのかも。おすすめされたのは、ともにアカデミー賞を受賞した映画『ブロークバック・マウンテン』(2005)と『モーリス』(1987年)の2本。

早速、DVDを借りて漫画喫茶へ。鑑賞会のはじまりだ。さてと、ではどちらから見るか…。いずれも作品としての出来は折り紙付きだが、比較的新しい(といっても、2005年だが…)『ブロークンバックマウンテン』をチョイスした。

6070年代アメリカでの許されない純愛『ブロークバック・マウンテン』

舞台は、1963年のアメリカ・ワイオミング州。職にあぶれた男2人が"ブロークバック・マウンテン"で羊の放牧のために短期で雇用されるところから物語は始まる。社交的なジャックと内気なイニスは、山奥で2人きりの放牧生活を過ごすなか、友人として心を通じ合わせるが、酔った勢いからか肉体関係を結んでしまう。その後、山を下りた2人は互いに家庭を築くが、定期的に人里離れた山奥で秘密の関係を続け…。

性の多様性に厳しい社会で関係を続けた男性2人の約20年の交際を描いた本作。衝撃のラストが用意されており、作品として非常に素晴らしい出来だった。

「ひげ剃り姿さえセクシーに見えてきた…」

そして肝心の"確信"はというと…、そういう目で見た結果か、男性を"セクシー"だと感じたことは否定できない。例えば、まだ関係の浅い2人が行為に及ぶぎこちなさ、そして男2人が裸で戯れる姿。さらには、山の暮らしで出てくる「ひげ剃り」シーンまで。顎のラインにカミソリを押し当てている姿にさえも、かき立てられる感情が自分の心の中に見え隠れ。また、2人の奥さんとのセックスシーンも登場するが、やや興奮の種類の違いも感じた。例えるなら、

男性×男性のセックス=捌かれたばかりの生肉

男性×女性のセックス=スーパーに並んだ加工肉

といったところか。女性とのセックスも興奮するが作りものの雰囲気が漂い、男性同士の方が強い"生"を感じられたのだ。この感情はどう解釈すべきだろう? 片付かない感情を胸にしたまま、続いて『モーリス』を鑑賞。

●プラトニックか肉体か…思い悩む2人の物語『モーリス』

男性同士の関係が違法だった20世紀初頭のイギリス。男子大学生・モーリスとクライヴが、互いに惹かれながらも長い期間プラトニックな関係を続け、その後、モーリスは別の男性と結ばれて終幕に向かう。プラトニックな関係に"高潔な愛"を求めたクライヴと、肉体関係も含めて男性との恋愛を求めるモーリスのすれ違いが切ない作品だ。

悲恋には違いないが、『ブロークバック・マウンテン』とは異なり、最後にハッピーエンドを迎える同作。心情的に男性との関係を求めるクライヴと、肉体を含めて男性を求めたモーリスの姿には、同じ"男性が好き"という言葉で括られていても、恋愛の認識が1つではないことが感じられ、勉強になる作品だった。

翻って、筆者自身に問いかけてみた。

「男性と肉体関係を結びたいか? 触りたいと思うのか?」

…幾日か悩んで出した答えは「わからない」。『ブロークバック・マウンテン』で男性の体にある種の興奮を覚えたのは間違いないが、実際にしたいか否かを問われると、恐怖感、嫌悪感、興奮が入り交じる。気持ちのいい感情ではないことは確かだが、女性とのセックスを避けていた筆者にとっては、否定しきれない"欲"である…。

映画を観ただけでは、筆者の結論は出なかった。このことをA氏に報告すると、続いて一段ハードルの高い提案が…。

続く

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