女性とのセックスに夢中になれない、アラサー男の筆者。悩んだ末、ゲイの知人・A氏に相談すると、勧められたのは名作ゲイ映画の鑑賞会。"反応"するか確認作業を行ったが、男性同士の絡みに興奮と不快感が入り交じり、判別できない気持ちになった。

モヤモヤした気持ちを抱えながら、再びA氏を尋ねると、2つ目の指令が…。

「まだ腑に落ちない感じだね…。じゃあ次はBLを読んでみて」

核心に迫るための2ステップ目は「BL(ボーイズラブ漫画)」。仕事柄、触れる機会はあったが、ガッツリ読んだ試しはなかったもの。はたしてどうなることやら…。

前回に続き、A氏のオススメ作品は2つ。BLジャンルの草分け的存在・竹宮惠子作『風と木の詩』と、山岸凉子作『日出処の天子』だ。特に前者は、劇作家・寺山修司をして「これからのコミックは、風と木の詩以降という言い方で語られることとなるだろう」と言わしめた名作中の名作である。

映画よりも細緻な心情表現を描く漫画。今度こそ内なる何かが解き明かされるか? 薄暗い漫画喫茶の一室でおっかなびっくり、ページをめくった。

●耽美な少年愛の世界『風と木の詩』(連載年:19761984年)

19世紀末のフランス。妖艶な魅力を持ち男娼のような行為を繰り返すジルベール=コクトーと、高潔で誠実な性格の持ち主・セルジュ=バトゥールは、由緒ある家系の男子が集まる学院の寄宿舎で出会う。自虐的な行為をするジルベールを諌めて友情を結ぼうとするセルジュと、逆に過激な行動を繰り返すジルベール。過酷な生い立ちを背負うふたりは、反発しあいながらも心身ともに近づいていく。そして、ふたりの行く先には悲しい結末が…。

読了後、強く感じたのは「これは純愛物語だ」という熱い気持ち。当初BL漫画に抱いていた感情とは非なるものだ。互いに思い合い、求め合い、気持ちや行動のすれ違いで傷つく…。これを愛と呼ばずにいられようか! と素直に感動。

冷静に判断し切れないが、男性同士の恋愛物語をすんなり受け入れられる="適正がある"と判断できるのかも? ただ、男同士の表現に興奮したわけではないし…。

しかし、あえていえば、登場人物に共感し、これまでの経験で思い当たる節はあった。たとえば、

・端正な顔立ちの男性に会ってドキッとし、その後も意識してしまう

・親しい友人が他の人と仲良くなって疎遠になり、嫉妬に近い感情を覚える

といったこと。過去を振り返ると、心にチクッと残る記憶がある。これは"確信"といえるのか?

不完全燃焼感を抱きつつ、次の作品へと手を伸ばした。

●男を選ぶか、女を選ぶか…『日出処の天子』(連載年:19801984年)

美貌と超常的な力を持つ厩戸王子(後の聖徳太子)と、大臣の息子・蘇我毛氏(えみし)を中心とした、飛鳥時代の歴史群像劇。厩戸王子は毛氏を愛するばかりに、策謀を巡らし、毛氏と毛氏の思い人・布都姫を引き離そうとする。毛氏も厩戸王子に惹かれていることに気づくが、最終的に毛氏は厩戸王子を拒絶し、布都姫を選び…。

歴史、超常、恋愛と様々な魅力が詰まった本作。筆者の心が揺さぶられたのは、厩戸王子に告白された時、毛氏が性別の違うふたり(厩戸王子と布都姫)から女性である布都姫を選んだ"あるセリフ"だった。

「王子、わかりました」

「何故あなたとわたしが同じ男としてこの世に生まれたかが」

「それはわたしとあなたはこの世で決して一つになってはならぬ…ということなのです」

※文庫版『日出処の天子』第七巻p.73-74より

このセリフを読んだ時、何かがわかった気がした。

上述のとおり、筆者は恋心といえないまでの気持ちを同性に抱いたことがあったのだ。けれど、筆者は"同性との恋愛はしない"と気持ちに鍵をかけ、知らず知らずのうちに、毛氏と同じ決断をしてきたのかもしれない。

振り返ると、そのきっかけとなる記憶は高校時代まで遡るのだが…。それは次回に譲ることにしよう。

続く


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