「女性とのセックスに夢中になれない」という理由から、自分のセクシャリティと向き合った本連載。結局、複数の方法を試してみたものの、男性を性の対象として受け入れることはできなかった。ならば、自分のセクシャリティは一体どこにあるのだろうか?筆者なりの結論と、連載を通じて感じた発見を整理して、終わりにしたいと思う。

まず、自分のセクシャリティにまつわる要点を整理してみよう。

  1. 女性とのセックスにはあまり夢中になれない
  2. 映画やBL漫画にはある種の性的興奮を覚えることはできる(第1回第2回より)
  3. プラトニックな状態での男性への好意は経験がある(第3回より)
  4. リアルな男性との性行為には踏み込めない(第5回より)

2)3)ではプラトニックな関係では男女は比較的かかわりなく、恋愛意識を抱くことは可能であること、そして1)4)では実際の性行為は男女ともに前向きではないことがわかる。つまり、心の通じ合いは、両性に対するハードルが低い(むしろ、男性への気持ちは強い)一方、肉体的な関係は両性ともに好きではない。ただ、抵抗の低さから考えて、結果として「性の対象=女性」だったといえるだろう。今回の問い「自分は男が好きなのか?」の結果を言い換えれば、"半分正解で半分不正解だった"ということになる。

結局、明確にヘテロセクシャルかホモセクシャルかはわからない…という不明瞭な結果なのだが、自分の中ではスッキリと整理された。その理由は、連載を通じて直感した、"ある考え"がある。その考えとは、「性はグラデーションであって、明確なヘテロセクシャル・ホモセクシャルのふたつでは分割しきれない」ということだ。

筆者の結果を踏まえても、肉体的に魅力を感じる対象と、精神的に魅力を感じる対象は同一とは限らないのだろう。これは、第5回で会った"彼"とも話したことだが、同性であることで精神的に通じ合える部分は非常に多く、逆に異性だと分かり合えないこともまた非常に多い。これが恋愛感情にも影響を与えるとすれば、あとは肉体的なハードルを超えられるかどうか、だけだ。

人によって、そのハードルが段階的に設定されていると、筆者は考えている。たとえば、筆者の場合、「男性と性行為の想像ができる」というのが限界だったが、当たり前ながらこの想像も難しい人がいる。そして逆に、想像を超え、「実際に触れ合うことができる」「性行為ができる」という人もいるだろう。

もちろん、世間一般では「異性が精神的にも肉体的にも好き」という人が多数派なのだろう。そして、ゲイやレズビアンのように「同性が精神的にも肉体的にも好き」という人もいる。ただ、それだけではない性の形が世の中には存在している。今回、人生で初めてこんなに深く、編集部を始め、さまざまな人とセクシャリティに関して話をする機会があったが、それぞれが独自の感覚を抱いていることを実感することもできた。

筆者のように、いい年になってからでも「自分はゲイかも?」「私はレズビアン?」と感じる方がいたら、そのままにせず、何らかの形でセクシャリティの確認作業を行うことをおすすめしたい。そして、個々人で性は多様であることを受け入れて、自分のセクシャリティがみんなと一緒ではないかもしれないということも覚えておいてほしいと思う。きっと、心の奥底にあるひっかかりが取れるいい機会になるだろうから。

終わり。

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