ゲイの市長が支持を集め、エロ映画を喝采するベルリンの自由

この原稿を書いているのは2月の末なのですが、この季節になると3年前に行ったベルリン映画祭を思い出します。ビールが安くて美味しくて、夜中まで遊んでても平気なくらい治安がよく、街並みはクラシックなのに最新アートの香りもして、ステキな町だわぁと思ったら、当時の市長はゲイで市民にもすごく人気があったんだとか。自由な町です。

滞在の約1週間、ずいぶん映画を見ましたが、最も印象に残ったのは世界的に話題を呼んでいた『ニンフォマニアックVol.1』の上映。主人公の女性はタイトル通りの「ニンフォマニア」、つまり色情狂で、彼女が自身の幼い頃からの性の遍歴を語るという物語です。話のタネに……くらいの軽い気持ちで見に行った私は、始まって30分で「日本公開では意味不明なまでにボカしだらけに…」と憂慮し始め、1時間で逆に「見られてよかった」とラッキーな気持ちになりました。日本ではまず上映は不可能なエロ描写、その完全無修正バージョンに「マジかマジかなんじゃこりゃあああ!」と興奮ともパニックともつかぬ状況になったのは否定しません。でも何が「見られてよかった」かって、この映画がものすごい爆笑映画だったからです。

『ニンフォマニアックVol.1』は、とにかく爆笑の連続

物語は生真面目な初老の男セリグマンが、道端でボコられ捨てられていた女性ジョーを見つけ、家に連れ帰り介抱するところから始まります。語り始めるジョーは性的には実地オンリー、一方セリグマンは本で仕入れた(セックス以外の)知識オンリーなので、彼女のセックスの話をいちいち別のことに置き換えてどうにかこうにか理解しようとします。

「男をひっかけるには、トラブルを抱えているふりをすればいいのよ」とジョーが語れば、「ああ、それはフライ・フィッシングだね。毛鉤にも弱った虫を演じさせるんだよ!」とセリグマンが返し、噛み合ってるような噛み合ってないような会話の最中、マジメに話しているジョーが「私の罪深さをわかっとんのか、このおっさん……」という情緒を漂わすのも最高です。強烈な性描写も余りに振り切っているので、途中(具体的に言えば1時間6分くらい)で麻痺してきて「これはウケ狙いだな」と分かってきます。

とはいえ私にとって本当にラッキーだったのは、この映画をベルリンで見られたこと。劇場は詰めかけた人々で超満員、人々はわかりやすくワクワクドキドキしていて、暗転した劇場は「待ってました~!」という空気でパンパンになり、上映中はどっかんどっかんの大爆笑、エンドロールでは拍手喝采。マジで盛り上がりました。

江戸時代の日本は「春画」を笑える国だった

1年後、その映画の日本公開が決まった時は、ものすごーく驚きました。一瞬「へー、日本も結構やるじゃん」と思ったものの、もやもやと浮かんできたのは「作品として誤解されとるんじゃないか」という不安です。

『ニンフォマニアック』は、言うたら「キツい冗談」みたいな映画です。

色情狂の主人公にとってはセックスがすべてで、だからこそ人体や薬を学び、言葉が通じない方がいいのでは……と通訳雇って黒人をナンパして、痛みが必要なのかしらと……サドの大先生を訪ね、それでも満たされない自分が辛くて辛くてどうしようもなくなり、セックスを絶とう!と決心、家から性を連想するもの排除したら空っぽになった――という具合の「セックスがすべてすぎる」状況を笑っているうちに度を越してしまうというタイプの作品です。

私が『ニンフォマニアック』に一番近い感覚を覚えるのは、ちょっと前にどこぞの展覧会で大盛況だった江戸時代の「春画」です。描かれたデフォルメされた性描写には、眉を顰める人もいますが、「追究し過ぎて度を越した性描写のアホらしさ」に思わず笑っちゃう人も多いと思います。

そうしたおおらかな感覚がなくなりつつある現代の日本で、『ニンフォマニアック』はただの「オッサン向けエロ映画」にされてしまうんじゃなかろか。この杞憂は完全に現実のものとなり、先に「無修正版」で見ていた私にコメントなどで食いついてきたのは、なんと「週刊現代」と「フライデー」だけだったのです……。

もちろん映画は見てもらってなんぼですから、その2誌を悪と言うつもりは毛頭ありません。でも「愛とセックスのなんたるかを探求する女子の七転び八起きの珍道中」を描いた映画を、「おっさん向けエロ映画」としてしか話題にできない社会で、ああ、私はこれからも生きていかなアカンのだなあ。

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