「どうせ私は孤独」と主張するデンジャラスなアイライン

基本的に「化粧はレジャー」と思っている私は、化粧はその人が気持ちが良ければそれでよく、まあ時にはギョッとするようなメイクの人もいますが、「化粧は礼儀」的発想の風紀委員のごとく、「あのメイクってどうなの?」みたいなことを言う人には、ほっとけや!と心の中で塩をまいたりしています。

そんな私が、それでもどうしても気になってしまうのは、どんな時も、ほとんどノーメイクであるときすらも、常に濃くて太いアイラインを入れている人です。

というのも――独断と偏見であることを重々承知の上で言いますが――アイラインと精神には相関関係があるような気がしてならないからです。急に濃く太くなったり、原型がわからないくらい囲み目になってる知人友人セレブリティを、そうなった近辺の生活と併せて観察すると、周囲が見えなくなっているんじゃないか、何かしらの理由で攻撃的になってるんじゃないか、社会に対する精神的な隔絶を感じているんじゃないかと、すごく不安になるのです。

そしてここ10年で私を最も不安にさせたアイラインが、今回のネタ『AMYエイミー』のエイミー・ワインハウスです。

さて今回のネタは『AMYエイミー』。28歳で急逝した彼女の生涯を、残された映像と知人の証言で綴ったドキュメンタリーです。

16歳でスタジオと契約、20歳で出した1stアルバムの売り上げは60万枚を超え、22歳で大ヒットした「リハブ」でグラミー賞を受賞、世界的なスターになると同時にパパラッチとの攻防が始まる――そんな流れの中で私が注目したのは、当然ながら(←おかしい)「どのタイミングでアイラインが"ああ"なるのか」。そして自身の感覚が、エイミーにおいては的を射ていることを確信いたしました。

彼女のアイラインが"ああ"なるタイミングは、後に夫となるブレイク・フィールダーと出会った後。映画を見た100人中150人くらいが「この男さえいなければ、エイミーはまだ生きていた」と思うに違いない男です。

エイミー・ワインハウスと、彼女を見出した最初のマネージャー、ニック・シマンスキー。エイミーが彼を遠ざけずにいれば・・・pinterest
(C)Nick Shymansky Photo by Nick Shymansky

「運命の恋」はそのほとんどが思い込み

この作品を見て思うのは、20代の恋の難しさです。

20代になるとたいていの人が、形としては「大人」になります。法的な結婚の許可はもちろん、多くの人は社会に出てお金を稼ぐようになり、自分の行動について周囲からとやかく言われなくなる、少なくとも「余計なお世話」と言い返せるだけの環境が整います。

でもだからといって精神的に大人になっているわけではありません。私事で恐縮ですが、今考えると20代の頃の自分の「大人認定」は、居酒屋入って「とりあえずビール」って言うとか、後輩にたまにおごるとか、自分でフリー旅行を手配できるとか、そんな表面的なことでしかなく、それごときで自分を「大人~!」と思っていた時点でアホはなはだしく、無知と思い込みと知ったかぶりの集合体でしかありません。

さらにこの年齢の女性において危険なことは、生物学的にみて生殖に最も適した時期、平たく言えば発情期が重なることです。

さあここに、見た目がまあまあ好みの男が現れて「君は僕が初めて心を許した人」「君と僕は似てる」くらいなことを言ったとしましょう。「運命の恋」が一丁上がりで完成します。

ブレイク・フィールダーはありていに言えばちょっとばかり顔がいいだけの、本当の大人ならば目をつぶっていてもそれとわかるチンピラまがいの男なのですが、いくら音楽において老成していても所詮エイミーは22歳、気づくのは難しかったのかもしれないし、たとえ気づいたとしても自分の感情を制御できなかったかもしれません。

2枚目のアルバム制作を始めるべきタイミングでこの男に出会った彼女は、音楽そっちのけで恋に突き進み、友や仕事仲間の心ある忠告を「余計なお世話」とシャットアウトし、ブレイクに、そして(「あなたのやることなら何でもやる」と言いながら)この男がやっていたドラッグに、ずぶずぶとハマってゆきます。

その姿に私が悶々としてしまうのは、「運命の恋」が本当に「運命の恋」であることは万に一つもないこと、そして「運命の恋」(と本人が思い込んだ恋)が必ずしも女子を幸せにしないことを、自他の経験として知っているからです。

もちろん相手がいい人で、互いを尊重した心地よい付き合いが続いていく、そのまますんなりと幸せな結婚に向かうという人もいるでしょう。それはそれで素晴らしいことです。でもそうはならなかった時、働き始めると同時に結婚も意識するこの時期の「運命の恋」の打撃は、そう簡単には癒せません。

悶々極まった私は思います。恋なんて、しなきゃいけないもんじゃないのに。すべての女子の人生において恋愛が必ずしも一番大切なものだとは思わないし、才能ある男性ミュージシャンが「運命の恋」で身を持ち崩したなんて話はほとんど聞きません。でもやっぱり女子は全身全霊で恋をしてしまうんでしょう。そして、仕事も恋も人生も一緒くたにしてしまうその不器用さに、ただただ落涙してしまうのです。

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