は『セックス&ザ・シティ』とそっくりな『ニンフォマニアック』

前回は映画などに登場する「女のセックス」の多くを「オッサン系エロ」に変換してしまう日本社会について書きましたが、これをものともせずに打ち破った作品があります。それがみなさんもご存知の『セックス&ザ・シティSATC)』。ニューヨークに住む4人の女性を中心としたキャリアウーマンたちの性の実態を、笑いと切なさを交えながら、赤裸々に描いたものです。

SATC』に登場する女子たちは、時にはそこそこ付き合う相手はいるものの、誰も彼もがほぼ週替わり日替わり相手を変えており、セックスのバリエーションもあんなのからこんなのまで、めちゃくちゃ豊富です。その中ではまだ「お堅いほう」である主人公のキャリー・ブラッドショーは、不思議な縁で出会いと別れを繰り返す「Mr.ビッグ」をずっと愛し続けてはいますが、性的にビッグへの「操(みさお)をたてる」なんてことは到底なく、セックス・コラムニストとしての好奇心の赴くままに探求し、実地も相当数をこなしとります。

ニンフォマニアック』を見た方ならそろそろお気づきだと思いますが、キャリーを始めとする『SATC』の女子たちは、実は『ニンフォマニアック』の主人公、ジョーとそっくりです。

とにかく欲望の赴くままに、次から次へと男と関係するジョーにも当然「初めて欲情した男=ジェローム」がいます。彼はキャリーにとってのMr.ビッグ同様に、ジョーの人生にしばしば現れては嵐を巻き起こす人物です。ジョーはこの男に本気になってしまったゆえに、愛と欲望と快楽をドライに整理できなくなってしまい、セックスの大迷走を加速させてゆきます。

この物語の聞き手、中年男のセリグマンは、その一部始終を聞いて、一言こう漏らします。

「君がやっていることは男なら普通にやっていることだ。でも君は女性であるがゆえに、決して許されない罪として責め苛まれ、そのことに激しく反発している。君は戦っているんだ。君を支配し、君の手足をもぎとり、君や数百万の女性たちを殺す"ジェンダー"とね」

「セックス」は「個体が持つ生物学的な性別」で、「ジェンダー」は「社会や文化によって形成された(役割としての)性別」。子育てと家事は女の役割とか、男のくせに泣くなとか、そういう考え方のことです。ちなみに『セックス・アンド・ザ・シティ』の1シーズン第一話では、キャリーはこう宣言しています。「これから男のようにセックスしたい」。

誰に非難されようとも、私は "*****" な自分を愛してる

まあこの作品は「愛」がネタなんでややこしくはありますが、女子の欲望の多様性を肯定する話として、私は支持したいと思うわけです。『ニンフォマニアックVol.2』にはそれが鮮やかに示される秀逸な名場面があります。

「お前は淫乱だ」と世の中に後ろ指をさされるジョーは、自分の性欲を抑え込むために集団セラピーに通い始めます。そして体育館みたいなところで車座に座ったセックス中毒のおばちゃんたちに、「私はセックス中毒です。もう3週間と5日セックスをしていません」と報告し、「おめでとう、ジョー」と拍手されるのですが――あるきっかけで「アホくさ!」と我に返り、極上のタンカを切ります。

「私たちはみんな似てるはずなんかないないのよ。私はあなたたちとは違う。(やや過激なので中略)あなたたちが訴える共感なんてウソだわ。だってあなたたちはみんな、社会の倫理警察みたいなもんで、私の猥褻さをこの世から消すことが義務なんだもの。そうすれば金持ち連中が"気分悪い"って思わずにすむんでしょうね。私は"ニンフォマニア"だわ。そしてそうである自分を愛してる。特に私の***(自粛)と淫らさと不潔な欲望をね」

関係諸方面に気遣い自粛しつつお送りしております。ものすごいダーティーなセリフではありますが、"ニンフォマニア"のところを"韓流おっかけ"とか"腐女子"とか"家事なんて大嫌い"とか"子供を産みたくない"に変えると、共感する人は激増するんじゃないでしょうか。

周囲に何を言われるかわからない。社会が気になって本当の姿で生きられない。「悶々」の根っこは、そこにあるのかもしれません。

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