働く女子の共感度100%。レディー・ガガ、30歳のプライベート

Netflixで配信中の『レディー・ガガ Five Foot Two』は、昨年2月から今年2月までのレディー・ガガに密着したドキュメンタリーです。

私は特にファンだというわけではなく、レディー・ガガっていうたら、あのとてつもないファッションの、っていうか、生肉ドレスの人でしょ、すっごいパワフルな歌声の人でしょ、程度の認識で、その証拠にというたらなんですが、この映画を見て初めて知りました――彼女がまだ30才だってことを。その理由はおそらく、彼女がめっちゃ強そうで、意思的で、しっかりしてる感じだから。

ところが、このドキュメンタリーを見ると、そのイメージは完全に覆ってしまいます。ガガはめっちゃ泣き虫。不安になっては泣き、ファンの温かみに触れては泣き、失恋を思い出しては泣き。その姿は私の中の「生肉ガガ」とか「変な靴ガガ」とか「青い口紅ガガ」とか、そういうイメージを宇宙の彼方まで吹き飛ばしました。

いやまあもちろんね、プールサイドでビキニ姿で仕事の打ち合わせをしている最中に、唐突に「脱いでいい?」と言い出しトップレスになる、的な、なんでここで脱ぐのガガ!?みたいなことがないわけではありません。いやでもそれもガガのファッション感覚(?)からすれば、私たちが、下はブラトップだけだからちょっと恐縮なんだけど、暑くなってきちゃったんで、「(ガーディガンを)脱いでいい?」くらいの感じなのかも!(違うか)

でも映画を見ていると、「あの"生肉"きた人が、よもやこんなにも、普通の服着た私たちと似たような経験をしているとは!」と、思うことの連続です。化粧をとり、普通の格好しているプライベートのレディー・ガガは、いたって普通の30歳。強気の裏にどこか頼りなささえ感じる、共感度100%の働く女子なのです~。

実は難病で闘病中のレッディ・ガガ。映画の中には病院の場面も。pinterest

「みんな弱いし、弱くていい」けど、ずっと弱くてホントにいいの?

例えば、冒頭では当時の婚約者テイラー・キニーとケンカ中で、その理由は「もう男に振り回されたくないの。30歳になったからかしら、私が一番乗ってる時だからかも」。これ、ものすごく逆説的な物言いですが、20代の彼女は「男に振り回されていた」ってことなんです。ところがこの後、みなさんもご存じのように、彼女はテイラーと別れちゃうんですね。映画はそれで号泣するガガもとらえています。

「権力に物を言わせた、上から目線のプロデューサー」に対して、どうやって自分を保つか、という話しをするときのガガも印象的です。「お色気」や「人気取り」を求められたら、そこに強烈な個性を加味する――と、「パパラッチ」によって表現した「名声に殺されたスター」について話し始めるのですが。こうして文字で書くと彼女の強さしか感じられないこの流れで、ガガ、最後には泣きそうになってるんですね。自分自身、いっぱいいっぱいなんです。

私は男の言いなりにはならない。私は男の所有物じゃない。そう繰り返すガガに、ある人物が問いかけます。「君は過激なことをするのは、そこから抜け出すため?」。別の場面では、新しいアルバムで"いわゆるレディー・ガガ"なゴージャス衣装から抜け出そうと試みている彼女は、こんな風にも言っています。「自然な姿で歌うのに抵抗があった。自分を可愛いと感じたことがなかったし、賢いミュージシャンとも思えなかったから」。

物事を単純化したがる世間は、表面的な印象だけで無邪気かつ軽々しく、女子を「強い女」と「弱い女」に分類しますが、世の中には「すべてにおいて強い女子」も「すべてにおいて弱い女子」もいません。それでも敢えて二つに分けるなら、それは「強くなりたいと思っている女子」と「それ以外の女子」。

「みんな弱いし、弱くていい」。もちろんそういう時もある。でも弱さを常に肯定し続けることには、正直言えば、私は違和感を覚えます。例えば「上から目線のプロデューサー」のような強者たちが、自分たちに都合のいい世の中を作るために利用されている感じも、しなくもないし。

映画を見て、レディー・ガガが大好きになりました。私はやっぱり強くなりたいし、強くなりたい女子を応援したい。

『レディー・ガガ Five Foot Two』

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