「これやっとけ」と資料を投げる、無礼で無能な"あるある"アホ上司

さて今回のネタは、全働く女子が感涙の『ドリーム』。

当初の雑な邦題で炎上騒動が起こり、こんな「もう一声!」というか「結局何の映画」みたいなタイトルになってしまっちゃっていますが、原題は『Hidden Figure』(隠された功労者)。草創期のNASAで「人間コンピューター」として活躍した3人の黒人女性たちについての物語です。

スマホ世代の人たちにはちょっと想像もつかないかもしれませんが、1950年代はコンピューターどころか計算機すらもない時代です。でも宇宙開発では、例えば打ち上げたロケットが地球に戻るには、時速何キロくらいがいいわけ?とか、回収の都合上、この辺の座標に落ちてほしいんだけどどうすれば?とか、ジェットエンジンのこの風圧に耐えるには、機体の鉄板の厚さはどのくらいに?とか、ぜーんぶ計算で割り出さねばなりません。

これ当然ながら、ルートとかシグマとかサインコサインとか、なんだかようわからんニョロっとした記号とかがごっちゃり入った、小数点以下含めた10桁とか15桁とかの計算になります。計算機すらない時代にそれどうやるんですか?って思いますね。暗算です。ひゃああああ。それも「じゃあ明日までに」とかじゃなく、「この場合はどうなるかね?あつみくん」と聞かれたら「はいはい、そうなるとこれがこうなってこうなって、こんなん出ました」的に、その場で黒板で即座に計算しちゃう。3人は尋常じゃない天才なんです。

ところが、彼女ら含めた「黒人計算係」は、黒人(それも女子)であるために、単なる「計算機」としてしか扱われません。その日常は、ちょっと信じがたい「エンガチョ的」な黒人の扱いはもとより、無能な上司に「これやっとけ」って資料投げられ、完璧に仕上げた報告書にはそのバカ上司の名前のみ、会議の出席を認めてもらえないために二度手間三度手間、認められたと思ったら鼻先で扉が閉まり……の連続。その憤懣は、働く女子ならきっと1度は経験したことのあるもので、それでもくじけず品位を失わず、自分たちの地位を勝ち取ってゆく姿には、声援を送らずにいられません~!

白人男性の中、たった一人で働く黒人女性キャサリン。その孤独感と圧迫感が泣かせる~。pinterest

「せっかくいい大学出たくせに、なんでバリバリ働かないの?」

映画を見て――まあ悪くはないけど良くもない、しょせん文学部でしょと言われがちな、中途半端な学歴の――私は思いました。頭がよくて仕事がデキる高学歴の女子って、ほんとカッコいいなと。能力と性差の相関関係などないと、誰にも文句を言わせない形で証明できるんだなと。そして、私ももう少し頭が良ければこうなりたかった、こういう人たちこそ世の女子をリードしてほしい!働く女子の閉そく感を打ち破るパイオニアになってほしい!と。骨の髄まで凡人的発想で、思っちゃったわけです。

そんな中で耳にした「昨今の高学歴女子は、"結婚し子供を産んだ後も、長く働けるから"と業務職を選ぶ人が多い」というニュースには、残念さと反省とがないまぜとなった悶々に陥りました。もちろんマイペースで働ける業務職だってぜんぜん悪くはない。でもやっぱり「残念だな」と思うのは、「舞台に立ちさえすれば凡人にはできないことを成し遂げられる。だから諦めないで!」と思うから。そしてそれと同時に「身勝手な思いばっかり託してお尻を叩き続けて、ごめんよ高学歴女子。そりゃ疲れちゃうよね」と反省もしたのです。

『ドリーム』の主人公3人のうちの1人、メアリーが、ユダヤ人の上司(彼も差別されている)に技師になることを薦められ、黒人女性には無理と断る場面を思い出します。「もし君が白人男性だったら、なりたいかね?」と聞かれ、メアリーはこう答えるんですね。

「白人男性なら、とっくになっています」

そこには「しょせん無理」な人間とは比べ物にならない、高学歴ゆえのより大きな失望があります。高い目標だからこそ目の前に立ちはだかる壁もめっちゃ高く、ゆえに人知れず何かを諦めている場合も少なくないのかもしれません。

もし彼女たちが業務職を選べば、人々は「こんないい大学出たのに、なんで?」とどこか非難がましく言っちゃったりもするし、エグゼクティブになれば「いい大学出てるんだから当たり前」と片づけちゃったりもする。強いから。美人だから。〇〇だから。そんなふうに言っちゃう私たちは、裏を返せば「私は〇〇じゃないから」と、責任逃れしているだけなのかもしれないなあ。

『ドリーム』

(C)2016 Twentieth Century Fox

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