見ず知らずのペニスを見たい、とは思わない

中高から30歳くらいになるまで、私はなぜか露出狂にしょっちゅう遭遇する人でした。中高生時代は学校に通う電車の中で、特にJRの乗車区間は有数の混雑区間だったので、座席に座れない日はもみくちゃになるわけですが、この人痴漢ぽいなと思って避けた先が露出狂みたいなことも少なくなく、なんで狙われるのかしら、あ、もしかして背が低いから? 視線の高さがちょうどってこと?みたいに変な納得をしていたのですが、そうした通学生活が終わり告げても露出狂とは縁が切れず、街を歩いていて角を曲がったら露出狂、道端に止まっている車の中を何の気なしに見たら露出狂、みたいなこともしょっちゅうでした。25歳を過ぎた頃からは達観し「またですか」とスルーできるようになりましたが、それでも覚えてしまうあの何とも言えない屈辱感。この世の全露出狂を荒縄で縛って東京タワーにつるし1年間雨ざらしにしてやりたいくらいです。

さて前回に引き続き、今回もネタは『SHAME シェイム』、今を時めくマイケル・ファスベンダーと、『それでも夜は明ける』のオスカー監督スティーブ・マックイーンが、最初に世の中を「あっ!」と言わせた作品です。何しろ主人公がセックス依存症という設定で、ファスベンダーがオールヌードで登場し、過激な性描写が次々とあり、日本で公開できるんだろうか……みたいな作品だったのです。

イケメンがオールヌード!みたいなことで、映画業界はこぞって盛り上がおり、もちろん私も「これは見ねば!」といきり立っていたわけですが、ふと考えてみると何が見たかったのかしら。だって露出狂にあれだけ悩まされた私は、その持ち主がイケメンだろうとなんだろうと、見ず知らずのペニスを「みみみ見たい!」と思ったことなんて一度もありません。

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Everett Collection//Aflo

「見世物」か「屈辱を与える道具」か

とはいえ『SHAME シェイム』は日本公開バージョンなのでボカシがばっちり入っているのですが、よく考えたら私、ベルリン映画祭の『ニンフォマニアックVol.1』でも、「無修正バージョン」と聞き「これは見ねば!」と、やっぱりいきり立っていたのでした。そして上映では次々と映し出される何十本ものペニスを、周囲の観客と一緒に爆笑しながら見たのです。それでも見ず知らずのペニスを「みみみ見たい!」と思っていたわけではないことを、私は断言できます。映画を見たかったのは、たぶんそれがめったに見られない「見世物」だったからです。

ところがその一方で、もう最悪に気持ち悪い、こんなもん見せないでくれと思った映画もあります。『ブラウン・バニー』『LOVE 3D』という2本がそれで、個人的には「二度と見たくない」どころか「見たことを後悔」くらいの作品です。そこで感じた不快感は露出狂に遭った時に似て、「誰かに屈辱感を与えるための道具」として描かれるペニスがかわいそうになるくらいです。ああいうの、当の男が嫌がらないのが不思議。

そんなわけで罪を憎んでペニスを憎まずの私ですが、これまでの露出狂遭遇人生の中で、特に印象に残っている経験があります。腰の位置に鈴をわんさかつけたその男は、片手でそれをシャンシャンさせながら歩き、通りすがりの人が何あれ?と思って音源を見るとその横にデローンとご開陳してたのです。もはやエロなのかオモシロなのかわかりません。もちろんもう一度会いたいとは思いませんが、何度思い出しても笑える――ということは、私にとっては、あれは結構いい「見世物」だったのかもしれません。

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