どうせ私なんて……から始まる自虐トラップ

前回、「自虐的」と言われてしまう悶々を書いた後、とはいえ私は世の「自虐」について本当に理解しているのだろうかと思いちょっと調べてみたところ、「自虐」は驚くほど好かれていないことがわかりました。というのも、たいていの自虐が自虐だけに終わらない、言ってみれば自虐を「エサ」に本来の狙いを展開してゆく巧妙なテクが、特に女子の間でしばしば使われているからです。

例えば「私はどうせ美人じゃないし」と友達が言ったとき、気のいい日本人の67割は、彼女が必ずしも美人だと言えないタイプであっても、「そんなことないよ」とつい言ってしまいます。否定すれば「美人だ」になる「美人じゃない」という言葉は、もはや「あなたは美人」と言わせるための仕掛けのようなもので、"そんなことないよ"と言わざるを得ない状況に追い込まれてしまった気のいい人たちが、こうした「自虐」を嫌うのは当然のことにも思えます。

もちろん私はこの手の「自虐トラップ」には全然引っかかりません。以前にこのコラムでも書いたのですが、美人は唯一絶対の価値ではないと思っているので、「どうせ美人じゃないし」と言われても慰めなければいけないことに気づきませんし、「いいじゃん、美人じゃなくても、面白いんだから」と、相手が「そこじゃねえし!」とキレそうな言葉もうっかり言ってしまいます。「別に私も美人じゃないい」も言ってしまいがちな一言ですが、これはどうやら言ってはいけない、相手にとっては「待ってました」の一言のようです。「そうね、確かにあなたよりは私のほうがマシかも」。わーお。びっくり。「自虐」と見せかけたマウンティングですね。要するに世に言われる「自虐」は、「自分を貶めないで」という人々の優しさや同情を逆手に取ったトラップなんですね。

嘘で塗り固めた優雅な姉ジャスミンと、頭盛りまくって蓮っ葉だけど愛されの妹ジンジャーpinterest
Everett Collection//Aflo

あなたは自虐的と、憐れむあなたが自虐的

こういう展開で私が思い出すのは、映画『ブルー・ジャスミン』のヒロイン、ケイト・ブランシェット演じるジャスミンです。詐欺まがいの手口で儲けていた投資家の夫が逮捕され一文無しになった元セレブ妻の彼女は、気のいい妹ジンジャーのもとに転がり込むのですが、いまだに「私はインテリで優雅、妹はオバカでガサツ」という思考回路から抜け出せません。妹は傷ついた姉を持ち上げるために「姉さんは完ぺき、私はみそっかす」と言ってあげているのですが、「そういう自虐的思考回路だから、しょぼい男としょぼい人生しか手に入らない」的に切り返します。

それはまるで「泣かないで」と優しく差し出されたハンカチを相手の口に突っ込んで窒息死を狙うみたいな所業なのですが、妹はこのすべてを完全にスルーで、ハンカチを口に突っ込まれれば突っ込まれるほど、大丈夫?と心配します。なぜかと言えば、ジャスミンの人生が完全に崩壊していて、にもかかわらず体面を取り繕うためにあることないこと吹きまくり、それでも結果としてぜんぜん取り繕えていないことが、あまりに見え見えだからです。

そんな中で繰り返される「私は実際に働いたいことはないけれど、妹と違うからスーパーのレジ係みたいな頭を使わない仕事は屈辱的で耐えられない」「世の中は所詮金だから、私は成功することに決めた」「ダメ男と付き合うのは、自分がその程度だという証明」などジャスミンの発言は、妹に斬りつけたはずの返す刀で自分がザックリやられているようなもので、そのことに彼女自身がうすうす気付いていることを考えれば、これ以上に本物の自虐はありえません。

こうしてみると「自虐」の実態は、女子においてより顕著な「口ではそう言ってるけど、本心じゃない」という"習い性"と、「口ではそう言いながら、本心は違うに決まってる」という"深読み"の合わせ技によって、なんだか非常に複雑です。いまハタと気づいたのですが、逆に他人が語る失敗談も、「ウケる!アホや!」と無邪気に笑っちゃいけなかったってことかしら。生まれてこの方、ずっとそうしてきちゃったけれども。わかりにくくて怖いよう。

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