「ありがとう」の言葉で済むという考えは甘すぎる

この連載は土曜日更新で、今回もバレンタインネタを元気に書いているのですが、なんと今日は14日(書くの遅すぎ)、バレンタインの当日で、この原稿が世の中に出る頃には町も人々もひな祭りに猛進中、は?バレンタイン?それどんな食べ物?っていうレベルにバレンタインのことなんてすっかり忘れているに違いありません。季節ネタを書くならそのタイミングがくるぞ!くるぞ!と盛り上がっていく過程、今年の暦で2回書くなら24日と11日に合わせるのが常道だろ、と私の中にいる"ちゃんとした人"が言っていますが、ま、今回も平気な感じでバレンタインについて書きます。というのも、バレンタインの楽しさは、バレンタインの後にこそあるからです。

さてそんなわけで、バレンタインデー。

同部署の女子たちの思惑の調整と資金調達、味やボリュームなど吟味の上でのブランド選択、本命・二番手・義理1(上司)・義理2(同僚以下)・友達などのランク選定と、費用対効果を鑑みた予算分配など、様々な気遣いと戦略を考慮して、イモ洗いのデパ地下でもみくちゃになりながらチョコレートを購入し、女子たちはこの日に臨んだことでしょう。なぜか。会社業務だからです。

私もやっていたのでわかりますが、OLの仕事では「自分の苦労が報われた」という実感を得にくいものです。書類を作り事務処理をしたときに「ありがとう」と言われればそれなりに嬉しいものですが、そうしたやり取りも100200回と繰り返せば、気持ちのない「手続き」「儀式」「条件反射」となり、それが「口だけ」であることにも気づくのは当然でしょう。もちろん「ありがとう」は必須ではあるけれど、それ一言で清く正しく「報われた」と思えるまでには至りません。

そんな人たちからの「会社業務としての気遣い」であるチョコレートに、「ありがとう」の一言ですませる、もしくは「義理」で返しとけばいいんでしょなんて態度は、まったく甘すぎるというものです。

気張りすぎ、掟化が進み、つまんなくなるイベント

そうした男たちに「女子への正しい気遣い」を示すべく、長い時をかけて出来上がった暗黙の「掟」が「ホワイトデーの3倍返し」です。この完成がいつなのか明確にはわかりませんが、おそらく「それくらい当然だと思うの」という女子の気分は1015年くらい前からあったのでしょう。高視聴率ドラマ『半沢直樹』で堺雅人が香川照之に叩きつけた「倍返しだ!」という叫びの影響もあったのかなかったのか、とにかくそれは言葉で明確に言い表されることで全女子たちに意識されることとなりました。

そうなってくると不思議なもので、お返しなんてさほど期待していなかった女子たちにさえ、「え?このチンケなハンカチが、ピエール・マルコリーニのお返し?」「私たちの何倍も給料をもらってるアナタのお返しが、"女子一同で食べて"的な詰め合わせ?」「気合い入れて作ったチョコレートの返礼が、居酒屋デートですか」みたいな黒い気持ちが生まれてしまいます。どちらが悪いというわけではないのでしょうが、この黒い気持ちも理由のひとつなのでしょう、実のところバレンタインの前後に別れるカップルは少なくないんだとか。「愛の日」は完全な本末転倒で、なんだか不毛なイベントにさえ思えます。

ここで前回に引き続き、今回のネタ『チャーリーとチョコレート工場』の主人公、チョコレートが大好きなチャーリーの名言を。「チョコレートに意味なんていらないよ。だからチョコレートなんだ」。

私がバレンタインが終わったこの時期が好きなのは、世の中に美味しいチョコレートがあふれているからです。祭りが終わって、愛とか義理とか気遣いとかそういう意味が抜け落ちた極上のチョコレート。こんなに楽しいもの、ありませんね。

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