子供が生まれたら、人生を諦め落ち着いて生きるべき?

さて前回に引き続き、今回も『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きる日まで』。

エイプリルとフランクの夫婦は、郊外の住宅地「レボリューショナリー・ロード」の一角にある素敵な家で、2人の子供と暮らすカップル。女優志望で美しいエイプリルと大手コンピューター会社に勤めるフランクは、自分たちを「人より勝った特別なカップル」だと信じています。

でも年を取れば誰もがそうした幻想から覚め、自分は何の才能もない凡人だと気づくもの。それでも、外の世界とつながっているフランクは適当な憂さ晴らしができますが、主婦のエイプリルは、そう思い知りながら何もできない毎日に悶々がたまるばかり。何かを変えなければ――そう考えた彼女は夫に「パリへの移住」を提案します。若いころ軍隊で駐留したことがあるフランクが「こことは違って、人々が生き生きしている」と言っていたのを思い出したからです。「非現実的だ」と退けようとする夫に、エイプリルは続けます。

「今の私たちはほかの人たちと同じ、つまらない幻想に騙されてる。"子供が生まれたら人生を諦め、落ち着いて生きるべきだ"っていう幻想。それがお互いの首を絞めている」

そしてエイプリルは「私が働くから、その間にあなたは本当にやりたいことを見つけて」と提案するのです。

これは2016年でさえかなり男前な妻ですが、舞台は1955年。妻が夫を養うなんてありえなかった時代です。もし私が男で、妻からこんな提案をされたら、え!ホントに?いいの?と驚きながらも、ホクホク顔でお言葉に甘えるところですが――フランクは結局のところこの提案を退けてしまいます。

「男」だから、「俺は癌だ」なんて告白できるワケがない???

話は変わりますが、俳優のサミュエル・L・ジャクソンが代表を務める「One for the boys」という社会活動を知っているでしょうか。そのシンボルはピンクリボンに対するブルーリボン、つまりは男関係ガン関係なのですが、この団体の目的は「癌にかかった男性がそれを告白できるようにすること」です。

これを初めて聞いた時、正直、意味がよく分からりませんでした。そのことによって治療開始が遅れてしまうこともしばしば――ってことは、親類や友達に言えないどころか、「オレ、もしかして癌かも」と思ってもお医者さんにかからないってこと? まだちょっと理解不能ですね。要するに、癌になって弱ている自分を受け入れられず、弱い自分を誰にも見せられず、癌になったことを告白できない、なぜなら男は強くあるべきだから、ということ、らしいのです。これを知った私は、心の底から叫びました。「アホかあああああ!」。

さてこれを踏まえたうえで、エイプリルとフランクの決裂が決定的となった時のやり取りを見てみましょう。

「パリに行きたくないんでしょ」

「行きたいに決まってる」

「嘘よ。あなたは何もしない。何もしなければ失敗しないから」

「何もしないだって? 俺は家族のために毎日10時間も、イヤな仕事を我慢してやってる」

「だからそれはしなくていいって言ってるじゃない」

「イヤな仕事でも責任からは逃げない」

「好きな生き方をする勇気がないからでしょ」

周囲の男たちに「自分は特別」をアピールするはずが、「女に働かせて毎日ぶらぶらする男」と見られてしまったフランクが、パリに行く気を失ったのは明らかです。というのも結局夢なんてかなわず、自分はそのとおりの男になることが見ているのですから。でもいいタイミングで出世話が持ち上がっている今の会社に残れば、「女」を養える「男」であり続けられます。要するにフランクは、自分が「男」であることを、エイプリル(つまり「女」)を下位に置くことで保っているんですね。癌は告白できないタイプです。

フランクは、無神経で俗物な上にプライドだけは高いというそれはもう忌々しい男なのですが、それはさておき。私が悶々とするのは、「女」を下位に置く「男」たちが、それゆえに背負う「男」に自らも苦しめられ、生き方を制限されていることに、何で気づかないのかなあということです。「男」だから強くあるべき。「男」だから弱音は吐けない。「男」だから癌を告白できない。「男」だから家族を養わなければいけない。「男」だから会社を首になったと言えない。こうした考えは不況下で高まる、主に中年男性の自殺率の高さと無関係ではありません。

もしフランクがエイプリルを「女」や「母」から解放していたら、彼も「男」や「父」から解放され、パリで全く新しい、「特別な」人生が待っていたはずです。それがそんなに難しいことかなあ――と思うのは、まあ、私が「女」だからなんでしょうね。

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